えびすだいこく100キロマラソン2009参戦記-2
スタートと同時に、トビウオ漁でも有名な美保の港に別れを告げる。
10年程前にあれほど関心を持った魚釣り・・・この港に以前はマラソン以外の目的で訪れていたことが、今では不思議に思える。(釣竿がランニングシューズに、えさは魚用でなく自己消費に、また釣果がラップタイムに変わっただけ?)
福浦集落に続くまでの海岸線は朝から多くの釣り人が集まり、時には竿を曲げる場面にも遭遇できた。
えびすだいこくマラソンは、こうした太公望が羨む場所を海岸線沿いに、東から西にめぐるコースでもある。
スタート直後は肌寒さもあり全体のペースもすこぶる速かった。まるでフルマラソン??
少し上げ調子でなければ体が温まらないこともあってか・・・5キロのスプリットが25分。さすがにオーバーペース気味である。平坦な道ではそれほど負荷を感じなかったが、100キロを走り抜くスタミナを考えるとここは自重が必要!とばかり少しペースを落とす。
落とすと同時に後にいた女性3人に追い抜かれた。その走りは力強さのなかに弾力性を合わせ持つ、いかにも女性らしく無理のないフォームであった。やがてグングンと離されていった。
しかし・・・姿がすっかり視界から消えた後でさえ元気に語り合う関西弁が聴こえてくることが実に不思議でもあった。
「早い!だけどこんなペースで大丈夫だろうか?」
最近のフルマラソンレース参戦において、ようやく女性を見かけない位置で走れるようになった自分にとっては久しぶりの出来事。目を疑うと同時に、少々心配にもなった。
「だけど、大抵の女性ランナーは無理しない、また大崩れしないとの法則がある!」
やはりここは日本の文化健在!大和撫子よろしく、恥じらいを美学とする気持ちの働きのためであろう。かって女性ランナーの後について走る意義をベテランランナーから教わるたびに、こうした話を繰り返し聞かされたことを思い出す。
この「女性は大きく崩れない法則」であるが、多くの場合に当てはまる事をここまで見てきたことも事実である。
「女性は強いぞ、母はさらに強い!もっといえば関西弁の女性は何より強い?!」
個人的にわずかに苦手意識があることを認めるが・・・ここで改めて100キロマラソンに出場する勇猛な女性に関心する。
だけど、できる事なら周囲にごろごろいないで欲しい!とは、婚活中のチームメイトの談。(そんなこと言っているからまだ・・・・)
さて、10キロまでの山道を駆け抜けると見渡す限りが一面の海、日本海を再び臨む。
この頃よりようやく足と呼吸のリズムが合い始めた。この辺りまではランナー同士が多くを語り合うことをしない。それは、各々に速度と調子を五感で確認する作業が必要なためである。
しかし、一旦速度が決まると話し相手が欲しくなるのが当然の理。
3時間程度で走るフルマラソンならまだ我慢も出来る。(誰ともしゃべりはしない!)しかし、半日近くを要するウルトラマラソンにおいて、誰にも話しをしないなどもったいない!また考えられない!
皆が同じ趣味を持ち、当日はゴールを切る共通の目的で走る。加えて各自が少しだけ変態?を自負、または意識している。一期一会を愉しむ事もウルトラマラソンの醍醐味にある。100キロの長丁場では、抜きつ抜かれつを繰り返す。勿論、順位を意識しての事ではない。
「おや、トイレでしたか。」「やっと追いつきましたねえ-」ペースの近いもの同士が終止こんな調子で短い言葉の挨拶を繰り返す。
鳥取から来たランナーのTさんもそんな中の一人。自然にペースが合い、お互いのことを語り始める。
因みに私の場合は人から話しかけられるより、話しかけるほうが圧倒的に多い。
この人は間違えなく話しかけてくるタイプと思われるのであろうか??(要するにおしゃべりに見えるのか?摩訶不思議だ!)
このTさん。4年前よりウルトラマラソンやトレイルランにはまり、最近では単独練習において90キロを走破!「ランナーの屍は決して拾うな」など残酷レースとして名高いハセツネカップや、萩往還250キロなどなど一流の集うトップレースに多数参加し、また見事に完走を続けているとのことであった。また、圧巻は全身パンダのぬいぐるみでハーフマラソンにエントリー、脱水症の危機を乗り越え自己ベストから僅か25分遅れて完走したようだ。(参加者1名の被り物部門優勝と、被り物コースレコードという大会珍記録はいうまでもない)
標高1700メートル級の鳥取大山を庭とするスーパー・ドM級ランナーだ。
彼とは30キロ地点までなんと20キロ近く並んで走った。実に楽しく明るいランナーで、語り合いながら瞬く間に時は過ぎた。かなりの時間が経過した後のこと、彼が250キロ走りきった萩往還マラソンの後半、眠気の余り意識が薄れゆく中、横たわる道路の縁石がまるで女性の顔に見えて驚いた。それはあたかも幽霊が飛んでくるようにも見えたと話した時であった・・・私はその話に聞き覚えがあった!
「そういえば昨年、お会いしましたよね-」
彼も記憶に残るところがあったようで、併走後2時間経過した後に遅ればせながらお互いの再会を祝う?!
その後も走行中に熊と鉢合わせをした話など、面白おかしく聞いていたが30キロ近辺のエイドで彼を見失う。
「有難う、元気を頂いた!今日のところはもう合えないかもしれないが、またどこか残酷なレース会場に行けばきっと会えるだろう・・・」
しばらくしてチェリーロードのアップダウンに差し掛かる。マップに高低差は100メートルとあるが、感覚的にはもっと起伏があるように思えるのは恐らく小刻みに変わる高低変化の仕業であろう。
高い場所から見下ろす海岸線は絶景が続く。何度見ても見飽きる事はあるまい。
激しい波が崩した様子が一見でわかる岩が視界に広がると、ついつい足を海岸線一杯に寄せて走りたくもなる!また、寄り道したい衝動に駆られるのもこの辺りである。
「いつの日か、体力がついたらコースアウトしてみよう!」
こんな気持ちになるのは、ここがまだ30キロ程度の道のりにあるからに違いない。
30キロのスプリットは2時間44分。よし、予定通りだ!
大芦、御津の集落は応援が多い。消防隊の方々に加え、地元のお年寄りが精一杯の挨拶をしてくれる。沿道の応援にはいつも勇気づけられる。
「頑張れや~兄ちゃん、来年もおいで」
「ありがとう。おばあちゃんこそ来年も同じように元気に見にきてねえ!」
暖かい声援に手を振り返し、出来る限り精一杯の笑顔にて応える。
まだまだ余裕の折り返し前、50キロ地点。ここでのスプリットは4時間32分。
少しだけ足に疲労を感じ始めていた。
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