2013年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

« 2007年7月 | トップページ | 2008年2月 »

沖縄教科書記述問題を考える。

学校教育を離れ、教科書に触れる機会がなくなり久しくなる。

振り返ると、教科書が教育終了後の人生観や世界観に与える影響は小さくなかった気がする。学生は教科書を与えられると、兎にも角にも覚えこむ。疑問をはさむ余地もない。一字一句、残さずマル覚えしたものが勝ち!こうして教科書から得た知識は、テストや入試が追い討ちしつつ、しっかり記憶と意識に潜りこむ。

代表的な暗記科目といえばやはり歴史、著名?な山川の教科書を見ると、縄文以来1万年続く日本史を370ページにまとめている。その内、幕末より現在にいたるまでの近代史が、実に170ページを占める。

近代の150年の歴史を、1万年の歴史より詳しく紹介する理由は学術的に乏しい。むしろ到達度を測る教育制度ゆえと推測する。

資料、文献の数が多いほど出題ができる。そのため近代史には、詳しい背景の説明なども要求される。

そこで先日の沖縄集団自決についての教科書記述問題を考える。

結局この顛末、沖縄の集団自決に軍の関与があったとする記述を、教科書会社が文部科学省に再度、訂正したいと申し入れ、ようやく認められたとする。つまりは軍の関与という記述が同省より、これまで制限されてきたようだ。集団自決の原因を特定させず、「集団自決においこめられた人々がいた」とする記述に限り認定されていた。(新聞による一般的情報だが・・・)

この表現では、事実を正確に捉えることが難しい。

歴史の教科書は、新しい史実が判明すると度々内容も変わる。特に考古学の分野では、我々の祖先が残した足跡を学者が発見するたびに、歴史が塗り代わり、歴史書も変更される。これは大いに頷ける。

しかし、多くは生きて証言する人のいない、遠い過去の史実に対するアプローチの成果である。沖縄での集団自決はわずか62年前の出来事。その場にいて生還された方も、存命と聴く。沖縄の民衆が史実に忠実に!とデモを行なった報道も記憶に新しい。そのデモの中で、一人の女子生徒が「私の祖父をうそつきにしないで欲しい」と嘆願していた。その声に、多くの沖縄の民を含めた日本人も呼応した。軍の関与といえども、同胞のはずである。そんな異常な状況を引き起こしたのは、戦争であったから。史実を忠実に語り継ぐことにより、二度と悲劇を繰り返さないぞ!そのために、尊い犠牲を風化させないぞ!!こんな決意を多くの日本人がメッセージとして受け止めた。

生々しい記憶が沖縄の人々に尚も残る。9万人の戦死者と、10万人の非戦闘員による死。その負の歴史を証言する生の声は、教科書を作る会社と、認可する官庁仕事の無機質なやりとりで変わることなど在りえない。また、政治的配慮や国家思想などとも一線を画す。

今、尚基地問題などを抱える沖縄の民が、願ってやまないことは恒久平和。二度と戦争はしない、おこさない。であろう。それを今回、より明確に全国民に訴えた意味は大きい。

僅か一行の表示にしろ、事実が教科書につけ加えられた。

引き続き、教科書を作る側と認定する側は、様々な思惑からも表現についての難しい舵取りを強いられることであろう。

特に近代史の負の遺産、第二次大戦にいたる道のりについては、国内外からも変わらず注目を集める事にあろう。

ゆえに、隣国との関係、住民への政治的な配慮、政権のイデオロギーなどから、史実が歪曲してしまわぬように、記述内容を、引き続き注意深く見守る必要があるだろう。

過去において教科書は、国民を一つの方向に進ませるため大きな貢献をしてきたこともあるようだ。忠君愛国の教育勅語などがそうであったと、やはり教科書から学んだ?記憶がある。

子供が自ら選ぶことができない教科書における責任は、まず親であり、大人がとること!!

子供の成長過程にどんな本を与えるか、その本に親が関心を持つことは教科書といえども例外とはいえまい!

そのため一切を、他人任せにしない!!

親である私が、沖縄集団自決についての教科書記述問題により、最も強く感じたところである。

我が家の正月休みは、幸い教科書にとっても休暇の時期?にあたるらしい。

「では、正月は子供の歴史の教科書でも読んでみよう!」と決めたところである。

全国のお父さん、お母さん、正月はご一緒に教科書を考える?お勉強をしましょう!!内容はもう、わかってることとして(笑)

病は気から燃え上がる??

実はこの2週間、病んでいた。

頚椎の神経を壊してしまった。原因は長時間連続して見るパソコンにあった。同じ姿勢で見続けると、首に負担がかかり、肩が凝る。その症状が悪化すると神経を蝕み、最後はあの恐るべし、ヘルニアに近い症状を引き起こしてしまったのである。

病名は頚椎変形症。

パソコンの普及により今や現代病になりつつあると聞く。

今思えば、私の首はもともと弱い!(経営者であることとの因果関係はないようだが?)

成長してからの私の身長は180cmを超える長身のため、立ち話をしていてもよく「姿勢が悪い!」と周囲から指摘され続けてきた。

下を向くのと、上を向くのではどちらがいけないの?と単純な疑問が心をよぎる。こちらは草木と同じく、重力に逆らいながらも何とか直立しているつもり!屋内では、私より背の低いドアと過去より度々衝突した恐怖がトラウマ化したことも、首を折る悪しき姿勢が身についた理由でもあろう。とかくこの世は住みにくい。(引用)

しかし、この約10年間続けたマラソンにより、体力は同世代に引けをとらぬものと自負する。そんな自信が音を立てて崩れたのがこの2週間の出来事であった。

痛い!!ほんとに、マジヤバイッスヨ!

座薬に次ぐ座薬、今度は頓服に安定剤とギャルソネも真っ青な薬のてんこ盛り!レントゲンの後は、お決まりのMRIによる放射能の洗礼!首の牽引やら低周波やら、盛りだくさんの日替わりメニューにも閉口しつつ、一向に改善しないこの症状!

生!点数だけ稼ぎすぎてませんか! 頼むから効果がでてからのカウントにしてもらえませんか・・・ 痛けりゃぼやきたくもなりますよ!!

このまま痛むようなら、あと5分して救急車を呼んでくれ!」

家族にそう訴えつつ「このまま痛みで気を失うのも楽になる方法ではないか!」など不謹慎なことを考える始末。

その間、考えたことは

「今、自分が病であることを考えないようにする!」

 これは大きい!! 養生訓にも確か書いてあった!

とはいえ、痛みが我慢できる時ならまだ良いが、耐え難い激痛の時はどうするか?

とにもかくにも何かに没頭する。無理矢理にでも行動に移す!

痛みは、反射的なものを含め全ては自分の脳(意識)に宿る。痛み(症状)があれば自分は病気と診断し、病院に向かう。医者は豊富な経験と知識から、患者にふさわしい病名を授ける。その与えられた病名は、患者とその周囲の学習意欲を活性化させ、情報が情報を呼び込み、学習による症状をも意識のなかに植えつけてしまう。

やがて病名は、症状とともに潜在意識に刻まれ、存在感を増しながら患者独自の所有物と化す!?ゆえに病名が症状を悪化させないように、くれぐれも気をつけなければなるまい!

いずれにしても、自分は(大した)病気ではないとまずは考えるべきだ。そして病など考えて治るものでなく、むしろ考えれば考えるほど悪化するものであるとも・・・

何が幸いしたのであろうか、私の痛みが急速に意識の世界からなくなっていった。

今回の私の病は長期におよんだことより、影響は軽微とは言い難かった。しかしこの病のもたらした意義をまとめると、あの忌々しい痛みを伴った病も、少しはいとおしく思えるから不思議である。自分を成長させたところもあったことだろう!

「病も気から」

医学が発達した今、医学にそれほど頼れなかった先人の心の教えに素直に脱帽する!! 首の角度を気にしつつ!?

2007年のサンタクロースに望むこと!

今日はクリスマスイブ。

街中はイルミネーションで飾り立てられ、何が模範かよくわからないが、幻想的(現代的?)風景をかもし出す。久しぶりに開いた市の買出しを終えた様に、人々は大きな包みを提げながら人で混み合う師走の街を行き交う。

今が旬よ!と近年,定番化した音楽が執拗までに耳に入り、マスコミはまるで大災害を報道するかのようにフェステバルに沸く人々の様子だけ騒然と写す。

クリスマス。もともとは教会と信者による宗教的儀式(祭典)

この文化が日本の大衆文化に定着した背景には、欧米の豊かな物質文明に対する憧憬があったことだろう。

今、我が国は欧米並みの物質文明を謳歌できるほどになり、その繁栄を象徴するかのごとく、この祭りは過激さを増している!!

バブル期や景気回復期など、この日を、これ見よがしに贅沢三昧する日本人の姿が度々放映された。経済の発展に伴い、商業的意義の重要性が増した。それに伴い宗教的な意義を問うことすら少なくなった。

この文化に対する日本人の精神的解釈はどうだろう??

(勿論、信者を除くが) 2000年の歴史を抱える欧米の宗教的儀式の完全模倣を目的化しているにすぎないのではないか??

精神的思考の支柱をもたぬ擬似行為は、後世の世にまで誤解をもたらすに違いないであろう!

そもそも、愛する人にだけプレゼント(物資)を送り、また送り返される行為を神が推奨しているとは思えない。

この日ばかりは家族を省みようなど語る、本日づけのA新聞の表紙を飾る看板エッセイなどは、とてもいただけない。

この一日の意義を訪れた今日、無理矢理、しかも場当たり的に解釈しようとしても土台は無理な話!

せめて懸命に考えようとするなら、この日はキリストと同じく、人類の幸福を考えるべし。

史上最悪の人道危機、残酷な殺戮が今なお続くスーダン、ダルフール問題は今こうしている間にも罪のない子供や女性が銃弾により倒れている。

内紛が多発するイラクの国民の生活、洪水により多くの人が犠牲になり、なおも治まる気配すらない世界で一番貧しい国、バングラディシュの人々。

皆、同じ時代に同じ空気を吸って生きている!

唯一平等であるはず?の空気の質について責任すら持たないと言っているのは、あの超巨大国!今日一日、とても幸せに暮らしている様子だ。(少なくとも前述の国々よりは・・・)

我が家では今日、そんな話をしてクリスマスの日を迎えよう!

親父なんてきっとサンタさん来ないよ~ って言われるだけだが・・・

このままこの外来文化の上辺だけを、我が子に教えるわけはいかない。

宗教的には異なるが、この日をクリスマスとして迎えるためにキリストの善行を心に刻み、人類の共存と平和を希求する日としよう!

そして子供に教えつつ自分を戒める。

キリスト同様、他人の苦しみを我がことのように考え、多くの人に愛を惜しみなく与える人になれますように!

そして、多くの人々が自分の家族を大切にし、贈り物をする気持ちを人類に向ける。人類皆サンタと化す。世の中は善意の贈り物で溢れる。しかしクリスマスを飾るだけの仰々しい包装紙は必要在りませんヨ!

すべて今年のお歳暮のように簡易包装で構わないからね!!

本日ブログを書き終えた後、何気なくテレビをつけると、日本人がフィンランドのサンタと称する人に会う設定で、その実況中継を放映していた。そこで敬虔な信者のコメントを聞き、今回のブログ内容の中で、クリスマスに対する認識に不足があったことに気づいた。それは、「信者はイブ、もしくはイエス生誕日である25日には、家族以外の人と連絡すら自重し、ひたすら家族といる時間を大切にする」との内容であった。著者の認識不足をお詫びすると同時に、この日の宗教的な重みについて改めて認識することになったことをここに追記する。

日本人が日本人を欺く!

今年もあとわずか。1年間を象徴する言葉が「偽」だそうだ。

食品偽装、粉飾決済、官僚汚職、耐震偽装、性能偽表示に

とどのつまりが年金問題・・・   枚挙に暇がない。

日本人が日本人を欺く。そこには連綿と続く民族の誇りのかけらもない。競争社会の中、我欲を向きだしにして、ただ利己心のために平気で不正を繰り返す。他人など見向きもしない。受益者はいつでも自分の居る側。これが常態化すると自らを疑う作業すら忘れる。

連日の報道によると、業務だけにとどまらず、とるべき責任まで分業化?する、職を保障された役人、内容はともあれ人数が自慢の大企業、創業者の血の滲む苦労のかけらもしらぬボンクラの経営する老舗企業に多い。

これらに従事した側の論理として、長期におよんだ不景気で安定しない雇用のため、不正を修正する正義感や正しい判断を思考する判断力を失ったこともあろう。

民間企業は不況の中、経営の効率化が至上命題との掛け声むなしく、その実態は顧客をあざ笑うかのごとく目を覆いたくなるばかりの悪態。

役人は窓口から本当に困った国民に視線を送ることすらなく、組織の中での地位と、自らの退職後の職探しに躍起となり、ただ自己保身に努め、本来の職務から離れることを常軌とする。

ベストセラーの本ではないが、「日本人の矜持」は何処に?

他人に施す良きことは周囲に幸福をもたらす。それだけでも自ら幸せな気持ちになれる。

足ることを知り、困った人がいたら自然に手を差し伸べる。

間違ったことはしないし、押し付けない。

当たり前のことができれば、この国はきっと良くなる!

不安を増幅するだけで、解決策を何一つ提示できないメディア(マスコミ)に同調してはいけない!

また、マスコミの受け売りたる価値観だけで行動することも慎む必要がある!!

物質文明のもたらした恩恵は人々の暮らし向きを大きく向上させた。欲しい物はいくらでもある、お金をだせば手に入る。

無論、このことは自然環境の悪化や国家間の不公平を増長させた問題をはらむ。

自らの欲望にまかせ、高度に発達した物質文明のもと、この拝金主義に陥れば、欲望を向きだしの輩の格好の餌食となるにきまってる。

なぜか?ベクトルが一緒だから・・・

物質の豊かさに比例した心の持ち方ができなければ、全ての消費を慎むべきだろう。

腹が減らないのに欲望のまま美食するからメタボになる!

生きるために食べるのであり、食べるために生きることをやめればよい!ただそれだけの話である。

欲望を否定する訳ではなく、むしろ精神の向上性を阻害する活動を自粛すれば良い。

日本人の歴史や先祖のメッセージに耳を傾けると、この国の人々が一番幸せであったのは一体いつの時期だったろう・・・

移り変わる四季折々の自然を愉しみ、それぞれの仕事を誇らしげにこなし、今よりずっと短い人生の中、それでも限られた時間を贅沢に使う。(文化人の残した書物からの印象に過ぎぬが・・・)

人々は未発達なコミュニケーション文化と、過去の先祖と真剣に対話して日本人の心を育んできた。

その誇り高き日本人たるメッセージはメディアからは聴かれない!

きっと今感じている日本人それぞれのストレスの数ほど過去からのメッセージがあるはずだ!!

その声が一つに高まればきっと力になる。

真剣に考える時期がきっと来る。

手遅れになる前にやらねば・・・

« 2007年7月 | トップページ | 2008年2月 »