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大根役者なら失言はない。

「人生は芝居の如し、上手な役者が乞食になることもあれば、大根役者が殿様になることもある。」

とは福澤翁のお言葉。役柄の妥当性は置くとして、失言問題後のN大臣は現在、国民の非難を集中して浴びる事態にある。今後の動向も気になるが、正直で言葉の多い人ほど価値観、人生観が分かりやすいのも事実なり、と失言の多い私としては同情も含め少し擁護してみる。

さて、今回の失言騒動であるが、まず成田空港問題はごね得とのコメントは頂けない。行政と住民、支持団体との長期にわたる闘争の歴史があり、そこで見た深刻な事態はこの国の民主主義の在り方や法治国家の意味を根本から考えさせられるものであった。またこれからも歴史から検証すべきところは多い。その結論だけを短兵急に語るから理解されない。歴史は政治の応援団ではないはずである。政権を長期にわたり意のまま操った党の大臣ゆえかどうか、ここら辺りさえもつい懸念してしまう。

次に我が国は、単一民族。これは国内的にいえば先住民への配慮不足が問題であろう。しかし、この我が国は移民を積極的に受け入れない政策を国益と考えてきた。そこだけは他の先進諸国と異なるスタンスを踏襲してきた、との意味であれば百歩譲って理解できないわけではない。しかし政府要人の発言としては不適格である。

最後にN教組についてであるが、N大臣はこれをぶっ壊すと対抗意識をあからさまにし、政治生命をも賭すと語る。そこはマスコミのムードは批判一色である。マスコミは国民の同意を得たものと批判の語調を強める。

この報じる批判内容は、大臣に敵視された巨大組織、N教組の抱える問題や在り方にさほど向わない。言論の自由、結社の自由について憲法で保障されているゆえ、それらを壊してはいけないという論理が批判の根底にあるからだ。しかし、そこだけを強調しすぎるといささかエキセントリック、感情が先行した展開に聞こえる。大臣を大根役者に仕立てあげたいマスコミの思惑が透ける。

しかしそれほど批判に値する言葉であれば、両者の確執について批判を受けた側の論理と、批判した側の論理を冷静に諮ることを示唆することも、メディアの役割ではないだろうか。

勿論、話したこともない大臣の味方をするわけではないが、全体があるひとつの方向に動く時必ず理性の力が失われる。悪感情に充ちた後の心のファイルターは、対象となるものに向ける客観的判断力は奪い去る。そして事実や真相は闇の中に葬られ、ただ憎しみと呼ぶ感情のみ巣づく。政治不安。誰がやっても同じこと・・・よくある語りが頭に空しく鳴り響く。

この理性と思考力を失った全体のムードを警戒する。

さて、具体的にどう対処するか・・・

N教組を否定する、改革すると掲げた理由が、批判を浴びた大臣の個人的かつ一過性の私怨に過ぎぬものかどうかの判断こそ重要となる。問題化する以前の大臣の発した言動を知ることも判断材料といえる。

その面倒ともいえる作業は、失言であるか否かを拙速に、またムード任せに判断するより冷静な行動といえる。

メディアの発する情報の受け売りが、世相を理解したとする姿勢をまずは疑うべきと考える。楽ではあるが経験上、最後に苦痛が伴うことが多い。

民主主義の民の在り方として最低限、必要なことは少数意見、個の意見を尊重し多勢により少数意見を冒涜しないところにある。(絶対民主主義は異なる手法を用いるが・・・これは本日棚上げとする)

さて、引き続いて検証してみる。とはいえ教育問題に深い関心を持たなかったため、今後において時間をかけて疑問を解き明かすとの意思表示も含め、自然に沸いた疑問を掲げる。

まず「このN教組が強いところは教育が弱い。」

この言葉であるが少なからず当たっているのでは??と疑問を投げる。

では、我々の住むH県のN教組は不正のあったO県に負けず劣らず強いのか?

これは仮定から真実へのアプローチ。調査したわけではないが、どこの住民も周囲との相対的教育レベルは関心事といえる。また、地方は都会に対しコンプレックスを抱く傾向がある。そのため、教育に不信感を募らせない意味でも正確なデータの公表が懸命なことと考える。

では公表しない理由とは何か?地域別で学力差を競い合って、教育の質を高めた方がよいのではないか??

当たり前ではあるが先生の質を問うことが、そもそもテストを行なう本旨ではない。(ここら辺りは現在、大阪府で盛んに議論されている様子なので議論の中身を見極めたい!)

現政権と対立しているとすれば、最大の見解の相違点はどの辺りか?今後、政局転換があればどうなる?先般、教員試験不正問題が発覚したが、N教組の内部では事態の重要性をどれほどの危機感を持ってとりあげている?情報提供に協力的なのだろうか??

また、N教組に限らず、古く大きな組織に対して次なる懸念が思い浮かぶ。

良いもの、新しい価値観を積極的に取り入れ、陳腐化したものを勇気を持って取り去る英断が出来ているのだろうか。また、組織が肥大化して、内部で硬直が起きてないか。良い意味での競争原理が働いてないのでないだろうか。組織内部の権力や派閥などに捉われ、現場との温度差があるのではないか、などなど。。。

子を持つ親として、また一般の社会人として、政治と教育分野に専門知識が無いままにブログに思いつくままを書き綴る。

この失言問題により今後はこれらの疑問を打ち消すべく、教育制度とN教組を理解すべき機会を与えてもらったことを大臣に感謝する。

言葉による得失は、立場により常に移ろい変わるもの。現世の他人の評価をあてにするな。と古人も語る。最も真理に命を賭けてきた偉人に対する勇気への賛辞の言葉であるが・・・

さて、ここは頭を冷やして、この度の役者の力量とけんかの背景を学習していこう!

将来を支える子供の教育は、一部の人間の欲望や集団の権力よりも大切だと考える。

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