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秋の大根は何故か煮え切らない?!

先日書いた失言問題である。

今回の失言騒動におけるN大臣は、民より政党、理念より組織に殉ずる政治家の役割を立派に演じた名優であったとして一連の騒動の幕を引いた。

この世に失言たる台詞を与えられた政治家(役者)は過去に数知れぬほどある。

しかしこのごろの政治は、失言を繰り返すことにより民族にかすかに残る自負や良識すら麻痺させる作為的(悪意的)な意図を感じる。

要するに、その役を大根役者が演じ続けることで、有り余る失政を帳消しとする。

いわゆる負と負を掛け合わせ、ひとまず浄化と導く手法にようやく気付く。ここで民が受ける作用とは、政治不信を募らすことからなる政治への関心喪失である。

民の政治への関心と無関心、これらを巧みに利用することが政治を稼業とする輩の能力として評価される。「機を見るに敏」など・・・

(最近は不正がらみについて官僚まで悪役に仕立てる。だから余計、民は理解に苦しむ。いずれにしても無関心のままでは、権力者より消極的保守支持として受け留められ、まずい政治を助長することになる!とは余談)

そこでこのたびのN大臣に再登場していただく。

これまで多数輩出した名優に、優るとも劣らぬ名演技であった。。

追い詰められた時に見せた、一見したたかにも思える迫真の演技にこそ真実が潜むのではないかと思えども、これまた演技であったのか・・・・絶句!

しかし、退任に続く議員辞職はいただけない!もう少し奥が深い、いや余波があるのではと考えた。

否、余波があれば分かりやすいかなと考えた。その理由は・・・

大臣の喧嘩相手が教育界の大奥。ここが国家権力に抗う勢力であるかどうかは前述のとおり左程関心が向かない。

むしろ大臣に脅威を与える相手としての実力の程、政治に屈せぬ教育に対する信念、すなわち、いざという時の国家権力への対応が知りたかった。そこが教育界の人々が一点に集まる最大の意義とも考えた。

今回の件も含めて、私は誰よりも政治に期待している民かもしれない?

反省も含めて大いに疑うこととする。

至誠にして動かざる者の未だこれあらざるなり。

誠をもって人に訴える時、心を動かさない人が一体あろうか??いやあるまい。

今回の騒動、数あるお粗末な失言問題としてやがて忘却の彼方に消え行く。

しかし、国民の感情には後味の悪さが依然残る。

今後の日本は困難なことを先に処理して、手に入れることを後回しに出来る人をまず探さなければ大変なことになる!

不正に目をそらさず、また我が身を捨て、私欲を断ち切り民のことを考える人に政治を任す必要に迫られる!

今、まさに政治に期待し採点が甘かったこと、政治に期待をもたないといい野放図にしていたことにおいて国民につけが廻る事態にある。

過去における大根役者の任命責任は、総理ではなく国民にある!

もう直ぐ選挙が始まる。この候補者の視線は国民に向っているのか??

自らが出馬する気持ちで政策を吟味し、候補者の一切の詭弁を見抜く!また、マスコミのご都合とムードに酔った一般受けの論説を丸呑みしない!断じて自らの考えを持ち、責任ある投票をする!!

やるべきことはこれだけと考える。ここら辺りでこの件は終わる。いや終われないかも・・・

PS

やばい、世界経済が激震に揺れている。誰か格好の隠れ蓑って言ってるって??

炭は地球をすくう!

今年になり、山の再生に人生を賭けた社長に出会った。私にとっては、とても印象的な出会いであった。年齢は60代前半、物腰の柔らかい紳士でもある。

その社長が山の危機に気付きはじめたのは30年前.国の仕事として山に入り、林業のお世話をしていた時という。

最近でこそ度重なる土砂災害のため山の危機を叫ぶ人が増えたが、当時はその警鐘に耳を貸すことすらなかったという。

日本の林業は、高度経済成長と人口増を支えるべく急速に成長を遂げたが、暫くすると安価な輸入材の増加により衰退を余儀なくされた。林業の成長時は植林が進み、間伐材の処理により木々は生き生きと大地に根を生やしていたが、林業が衰退に向うと一転して放置されたため、次々と木々が立ち枯れしていったという。

また、杉やひのきなどの人工林は天然木と異なり、一度幹を切断するとその切断した箇所から再び成長することはないそうだ。そこは人工の弱さ、自立的な再生能力がない人工林は、植え替えを進めなければ根が次第に朽ちてしまうという。

荒れ果てた山は木々の根が大地に深く根付いていないため、今年多発したゲリラ雨などの発生では、木々は一溜まりもなく土砂もろとも流されてしまう。

一度豪雨に見舞われると流出した土砂により川は氾濫、民家や田畑にまで大量の土砂と流木が襲いかかり見るも無残な爪あとを残す。今年は北陸をはじめ各地でこうした災害に見舞われたことは記憶に新しい。

また、川を通じて流出した土砂はやがて海に到達。漁礁たる藻場を土砂が埋め、魚の生息場所を奪う。海に囲まれ豊富な漁獲量を誇る我が国の漁業も急速に衰退へと向う。これらが環境問題として取り上げられたのは近年であるとその社長は語る。

人間は最後の最後まで破壊し尽くさなければ反省をしない業を持つ。ただ便利と効率を追求することで文明の発達に酔いしれ、地球を自らの手で容赦なく破壊する愚行を重ねた。代償はあまりにも大きい。

炭工場の社長は寂しげ語る。

これからは山を活性化しなければ、人間の命の保障すらなくなる。今そこまで危機が近づきつつあることをまだ分からないか。

そこで彼は自分なりの考え方で循環型社会を提唱する。その内容とは、次なることである。

山に人が入り、その山から間伐材をとる環境をまず整備する。ここには最初に行政の力が必要かもしれない。しかし、間伐材を伐採するために人が入れば山道ができあがる。山に新しい道が出来ると登山客も入る。そこで山の危機を感じる人もあれば、山にある資源を活用したいと考える人が増える。

例えば第二の人生を山のある自然で暮らしたい人に仕事を与えることは、過疎化の進む限界集落などの現状から見ても好ましいところである。その仕事は何かといえば、山を生かすために伐採した間伐材を資源として有効に活用する方法ではないかと考える。それが自分にとっては間伐材の炭化であった。

さて、炭化に関しての一般的見解を述べると、二酸化炭素の排出量は完全燃焼に比べるとはるかに少ない。また、この段階で二酸化炭素の排出を固定できる。加えて植物は成長時において光合成により二酸化炭素を吸収し、酸素を作り出す。

従って炭化による二酸化炭素の排出は、カーボンニュートラルの考え方もあるように石油などの化石燃料を利用するよりはるかに環境に対する負荷が少ない。

化石燃料は数億年前の植物、それをこの時代にまで持ち出し燃焼させることで二酸化炭素を出すことは、ますます温暖化や自然災害を増長しかねないであろう。

炭工場の社長は、それらの考え方を信念とし、山を救うため考えられること全てを実行に移す真の活動家でもある。

その社長の夢は、自分で焼いた炭を砂漠化のすすむ中近東および中国に持って行きヘリコプターでばら撒くことであるという。

砂漠で植物が生育できる環境を作れば、動物も生息できる。また人間も暮らせる。と語る。

アフガンの不毛な大地に水路を引き、食に植えた難民に農作の機会を与えるという、ペシャワール会の中野先生の活動にも通じるところがある。

とにかく熱い!炭でできているのかもしれない。(笑) 固くて熱い社長さんだ!!

世界の不毛な地に炭を撒き地球を救う。彼がこれらを語るとき、その純粋さに心が研ぎ澄まされるていくことを感じた。

よし、できることからはじめよう!!

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