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2008年12月21日の出来事

立ち止まればこれ以上走ることは出来まい。

とにかく腕を振り続ける。足は腕の従順なる徒弟であるはず。

しかし、右足のふくらはぎと左の大腿筋が次第に痺れていく。

呼吸が乱れる。心拍数は平常時の3倍に達している様子だ。

また、のどがやたらに乾く。

口の中に綿を詰め込み、それを無理矢理噛むよう命じられているようだ。

我が体よ、しっかり動け、もっと働け!

しかし、意思とは裏腹に、体は完全に別物に変化してしまった。

まるで心と体を切り離したように・・・

いよいよ恐れていた瞬間が訪れた。

前進させることに必要な体の機能一斉が停止してしまった。

その時、わずかでも体に対する意思伝達が遅れれば前のめりに転倒していたに違いない。

このタイミングを、残る意識で制御できたことより転倒は免れたが・・・

この一瞬、「ここでマラソンにより死んでもいいや」とくらい気楽に?考えていたかもしれない。

しかし、「まだ死ねないな」と合わせて考えていたことも後から気着く。

立ち止まると、あまりの頭の重さに耐えかね腰を折った。

すると、血液の逆流のため頭がふらふらし、目前が真っ暗闇となる。

マラソンは過度に足裏を叩きつけるため貧血を起こしやすいスポーツという。

また、私の持病は貧血である。

しばらくの間、血液の逆流に耐えていたら今度は眠くて仕方なくなった。

急激に血液が脳内を活性化し始めたからかもしれない。

その間も、自らが立っているのか座っているのか状況判断すらできない。

その後、数分は経過しただろうか・・・

次々に私を追い抜くランナーを横目で見て、ようやく我に返る。

「そうだ、ゴールを目指さなくてはならない。あと僅か6キロではないか。。」

沿道の心温まる応援もずいぶん力になった。

勿論それに反応する余裕さえなかったが、とにかく前にむかって歩もうと考えた。

おそらく真っ直ぐ歩いてはいなかっただろう。

途中、少し元気が戻り、ゴール直前の1キロからようやく小走り程度に走れるようになる。

そして待望のゴール!

長くて辛い、至福?の時間を終えた。

苦しんだレースから得たものは、順調に運んだレース以上に大きい。

はじめは思い通りにいかなかった結果に、いささか悔いが残った。

しかし時の経過につれ、不思議なことに想像以上の達成感が心を支配しはじめた。

その後は走り続ける意欲と、次回のレースに向けての闘争心が燃え上がることに。

今回のレースは、久しぶりに味わう低カリウム血症と、持病の貧血により結果は芳しくなかったが、多くの収穫とともに幕を閉じた。

以上を12月21日 第39回防府読売マラソンの参戦記とする。

最後に沿道の皆様へ

雨の中長時間にわたり、我々市民ランナーにまでお付き合いをいただき誠に有難うございました。本当に心温まる応援でした。また、過去に記憶がないほど感動しました。防府の皆様の温かい心に触れ、あらためて日本に生まれたことを感謝いたしました。来年もどうか、よろしくお願い致します。また、皆様のご多幸を心より祈念いたします。

チームの皆様へ 

最後まで応援のため見守ってくれた、我がチームの会長とたかさん。残念ながら今回のお二人は故障により応援に回られましたが、最後まで熱い応援を頂き有難うございました。お二人とも早く回復され、ご一緒にこの美しい地球を、大地を、自らの足により幸せを噛み締めながら走りましょう!こうして楽しいことや、辛いことなどが刻々変化して訪れることを人生と呼ぶ?お互いに頑張りましょう。

また、参加されたチームのメンバーの皆様、本当にお疲れさんでした。また、自己ベストを出されたちょろさん、キーさん。おめでとうございます!福さんもナイスRUN!心よりお祝いを申し上げます。次回は私も自己ベスト仲間に加えていただくように、さらに堅いムチを購入してまでも自らを痛めつけたく考えます。また腹さん。公私全てに苦しい中、自らを奮い立たせての走りは見事。しかも完走には感動しました!!最後にえがさん、今度は必ず「♪くすのき町で逢いましょう?♪」

   来年度出走予定 

1月 玖珂マラソン  10キロ

2月 さざん瀬戸大島 ハーフ

3月 くすのきマラソン フル

4月 岩国米軍基地  フル

5月 えびすだいこくマラソン 100キロ  ※お薦め

6月 にちなんおろちマラソン 100キロ  

                                        

マスコミの功罪-2

今朝の新聞記事によると昨日、総理はハローワークを訪れたらしい。

その際、工場で働き契約期間切れで失業した男性に向かい「目的意識がないと就職は難しい」と語り、またもや物議を醸している。

相手は舌蜂鋭く、政敵を切り捨てる野党第一党のH氏。

その発言を的外れと一蹴する。

理由としては

「その彼(失業者)は仕事が思い通り見つからないからこそ、ハローワークに来ているんだ」と真っ向から掛け合う。

どちらのコメントも、あくびが出るほどごく当たり前の話である。取り合うのも間が抜ける。

しかしこの議題、今や国民の関心ごと。2人とも実に大真面目にとらえている。

この話題からも世論を作り一定方向に操る権力の存在を垣間見る。

さて、この2人の政治家であるが・・・

現在有利なサイドが相手の敵失を狙っていたかのように思わせる報道。大衆を操る例の権力がいつもの無為なる作為より、2人の発言を誘導したのかどうか、また敵失を故意に誘いにかけたか・・・

しかし所詮は足の引っ張り合いに過ぎぬ。いずれも国家の窮乏とはおおよそ無縁の緊張感なき茶番にしか聞こえぬ。

昨今の政治家に言質の重みについては差し引き、政局の行く末を見越したかどうか、品性に欠ける話題が多くなる傾向が気に掛かる。

その総理、連日の高級ホテルのバー通いやカップラーメンの価格を400円に認識していることからか、生活感に乏しい首相と評される。世襲を踏む政治家業のことである。庶民感覚??どなたも似たり寄ったりのところではないか・・・

余談ではあるが、私の好むカップラーメンで250円程度のものもある。味も結構イケル!桁外れの財力を握る総理が、我らが庶民の買回り品の価格認識につき、あの程度のズレで収めたことに安堵する??今年の小麦の値上がり分を織り込んでサバ読みしたことに同情さえも?!

さて今回の総理のハローワーク入りであるが。その彼のイメージを払拭させたいゆえ、少しは国民の現状を肌で感じるべきだとの周囲の声を愚直に実行に移した勇気ある行動だ!またなにをやっても批判がでることも、予期していたはずである。

被災地であれば真っ先に駆けつけるのは行政の長たる任務。仕事にあふれる現場の危機を認識しているかとの野次をかわすため?

とはさておき、マスコミの作為は政権をどうにかしたいらしいと訝る。

この国のマスコミは鮮度の高い話題を、好むと好まざるに関わらず提供することに使命を感じる。スポンサーの金銭事情が悪くなる今後はさらに取材競争の激化が予想される。捏造問題が浮上したが、過激な報道の危険性はさらに高まる。国民受けのみを狙った低俗なテーマが増えやすくなるかもしれない?!

しかし、絶大な権力を持ちながらも議題を投げかけそのまま放置する悪しき慣習。今後、報道の質とモラルの低下を懸念する。

前述したがこれらの報道すべてに付き合い、まともに自らの感情を移入することが精神を病む原因になる。元よりマスコミの性格は偏向性のあるものと受け留めるべきで、また他人の考えと全てに同調する必要がないことも現代を生き抜く考え方として重要!とは私個人の大いなる偏見でもある!?

例えば原油価格の高騰により政府が一斉に援助した漁業関係のその後は?

できればこの円高・原油安により窮状を克服できたその後の事実も知りたい。

なぜなら負の連鎖を断ち切り、救済した政策の正当性につけてもう少し報道する必要性もあるのではないか?問題を投げかけたとまでは言えぬが、知らない人々を認知させた事実は残る。マスコミの後追いで政策ができることもあろう。政策および行政の批判ばかりがマスコミの役割ではない!このまま事態の顛末を知らされなければ、この支援が一部の業界支援に過ぎぬ近視眼的政策と、国民から非難を浴びかねないのではないか?また、自分達の所属する業界に対して優先的に支援をとりつけたいと考えるのは、お隣の国で用意に予想できることと同時にごく自然な話である。

さて、話はそれたが総理の語った「目的意識がないと就職は難しい」

この言葉自体、誰が語ろうと常識的である。深く掘り下げて言葉の奥を読む必要はなさそうだ。

(また、強制してどこかで働かせると何かと問題が生じるものである!?)

つい最近までの若年労働者の職業流動化問題の原因は仕事に対する目的の欠如にあった。

しかし、この急激なる景気後退局面では少し内容が深刻となる。

家計を支えるはずの労働者が失業、しかも日増しに解雇のニュースが飛び交う。

景気が後退したことをまずは認めてほしい。また、弱い人間から疲弊しているこの惨状を政府と行政にいち早く認識してもらい、責任の一角を担うべく救済の手を差し延べてほしい。これらをマスコミの音頭の下で催促している状況であろうか。勿論この役割を否定するものではない。良識の範囲においては極めて大切な報道となる。

しかし法治国家の行政とは法に従い税を集め、特定の職業や業種に偏らず公平に数多くの国民の相互利益になるよう、また大国として世界的な信任を得られるように有効に税を配分する機能を創り出すもの。加えて社会保障により最低限の生活保障をしてあらゆる国民の生活を守ること。これらが最も重要な仕事となる。

景気対策は極めて大事である。しかし、「景気が悪いからすべてを政治の責任にする。」この命題だけでは多くを間違える。景況感は立場により変わるのが常。例を挙げれば円高により救われる業種もあれば沈む業種もある。加えて財政の悪化、保護主義台頭による国家間の紛争などもあわせて鑑みる必要があるからだ。

今回は世界同時不況により弱い立場の雇用を脅かした。また、我が社も含めてすべての企業の存在価値を問われる事態にあるようだ。その事情の中、とにかく仕事をすること!見つけることも仕事。仕事を作りだすことも仕事!いずれの立場であれ自分の役割を精一杯演じるしかあるまい。

今、総理の語りは特に必要ではない。目的とは仕事なり!とするだけで解決がつく。

次にH氏の語りによる、「仕事がないからハローワークにくる」

やはり間違えではない。しか世襲を踏む政治家には理解に苦しむかもしれぬが、求職者の求職活動としてそれだけではいけないとも思う。

大勢の求職者が集中する場所でもあろう。しかも報酬、職種、雇用形態(アルバイト、派遣、正社員)による色分けが整然となされている。アドバイザーに意見を求めると、特に実際に体験しているとは思えぬ仕事を客観的に伝える難しさがあるはずである。偏見を含め客観情勢を求職者に伝えることは、就業する判断を鈍らせる原因になりかねない。

すべてが美人投票となるから、仕事が得にくくなる論理。そこで必要なことは仕事に対する単純化した本来の目的意識。それゆえ、その時はじめて麻生氏の言葉をたどるべきだ。経営者などいつでも失業の危機に瀕している職業。目的がないとすべてがご破算になりかねない。だからこの言葉は自由業の人間にとってはさして抵抗を持たないはずである。

さて、この時代にどうやって生きる?

急激な価値観の変化を伴う時代。他人とも過去の自分とも比較しない。固定化した価値観は幻とし、陳腐化した過去の成功話など元からあったものではないと断ずるべきだろう。

きっと各々がさらに頑張れば、正しい時代が訪れる。他人と同じ道を歩むことに安堵せず、自分の道を見つけて歩く。すると行く先々で仲間がいることに気がつく。

この先のことはわからないけど、専門の経済学者でもこの金融危機を正確にいい当てた人がいない!予測ははずれるためにある!悪いイメージを抱くとそれのみが現実になる。不安は過去における心の記憶(ダメージ)。それを将来の我が身に投影した形に過ぎない。

それならば努力を前提とした、自分と社会の明るい未来を予想してみよう。総理と政治家の皆さんもそれを国民の前に誠実に伝えること!100年に一度の危機などの言葉を多用しない!!気持ちはわからないこともないが、あたかも突発的な災害と切り捨て、すべての責任から逃避するのでなく、真のリーダーとしてわれ先に明るい指標を描く。この指導性のみ国民は求めてやまないのである。そこでマスコミも未来志向により明るい国家を論じていくことを切に望む。

明日はいよいよ防府読売マラソン!ランナーの皆さん。防府の街を42キロ精一杯走り、沿道で応援してくださる方を元気づけましょう!!

マスコミの功罪。

連日起こる度重なる凶悪犯罪。

しかし、新聞であれば紙面、テレビであればスイッチを閉じたと同時に、犯人とその事件を他人事と見逃す事実に気付く。

これこそ、犯罪(殺人)ほう助になる!?まさに病める時代にあるから。

この問いかけは、日々に蓄積されていく。

連日、過去の惨事に酷似した事件に遭遇する・・・

あの犯人は正気であったか?かっての事件は解決したのか?被害家族のその後は??

記憶が重なることで凍てつくような心を感じつつも、過去に起きた事件と同様に無機質に記憶に上書きされる作業のみが残る。

しかし・・・その肝心の心はさらに病むところとなる。

果たしてマスコミの安易な報道を、このまま無警戒に聴き続けるべきなのか??

最近は、自らの姿勢すら問うことが多い。

誠に残念な予測ではあるが、今後も繰り返されるであろう犯罪により感情が動くことなく報道を受容する自らの存在が甚だ恐ろしくもある!

それゆえ、まさに溢れんばかりの犯罪を報ずるニュースを含め、一切の情報をとる事を金輪際やめてしまいたい!!

このところの報道は、この暗い時代を象徴するかのごとく度重なる凶悪犯罪に心の整理もつかず、ただ疲労が蓄積するばかりである!

やりどころのない怒りの矛先を、この「時代」と呼ぶ不確かなる対象の他に向けれないものか?

否、むしろ時代に生きる存在として、犯罪の責任を共有すべきであろうか?

連日、飽くなく続く非人道的事件を耳にすると、あたかも与えられた運命を享受するかの如く受け留めている自らに気付く。順応といえば聞こえは良いが、おそらく楽な方に流されたい気持ちが支配しているのであろう。

言論の自由は絶対必要である!

しかし、負の連鎖による過多の報道は考え物である!(無為による作為的操作の危険性がそこにはらむ)

また一般人には、メディアの保持する権力による一方的判断を押し付けかねない!(結構大きい存在である。)

責任がないから報道ができる!

との論理では、もはや通用しないほど事態が深刻である。

制御ができないほど人心は疲弊しているものと、一度メディアも考えてみる必要がある!

また報道を受け留める側として、今後は必要とする情報以外を取捨選択する権利を今まで以上に主張する必要があると考える。

重ねて言うが、言論の自由を封じることを到達点としていない。

イデオロギーの有無に関わらず、感情の支配しがちな傾向性を持つ一方的情報の垂れ流しを慎む意味において、情報の出し手と受け手が双方に歩み寄れる落としどころ(妥協点)を見出す!

残念。。。。いささか曖昧なアプローチではあるが・・・

俗的に語れば、せめてテレビにおいては政治、海外、犯罪と別々の枠組みで報道してほしい!

視聴者は少々鮮度が落ちようが、次々に恐ろしい場面が移りゆくスリラー映画に味わう、生々しい恐怖心だけをニュースに求めてはいないぞ。

いや、いっそニュースを見ることをやめた方が良いかもしれない。

すると・・・

「ニュースを見ないで凶悪犯罪を減らそう!」

とのキャンペーンができるかもしれない??

いずれにしても主人公である我々は、どんな時代であれ明るい話題をマスコミに提供する必要がある。としたい!!

野良猫を嫌う資格

私は猫が苦手である。

用心深くもあり、器用に人を使い分ける狡猾さ。また猜疑心、溢れんばかりの用心深さ。

食事に対する執拗な執着心。いかにもアニマルな容貌も頂けない。

カラフルな外見はいろどりにより人目を引付けるが、俊敏さを誇る身の軽さは時として脅威に映る。

夜中に突然遭遇、しかも背後から現れて街路を横断する時など、恐怖のあまり背筋が寒くなる。後から次々に仲間が続くことも不快感を募らせる。

猫の身軽さはそのまま態度(身勝手?)にまで通じると、ついつい考えてしまう。

また人間に馴れきった飼い猫の、飼い主以外の人間に接する態度は実にふてぶてしい。まるで反抗期の少年の様相だ。夜回り先生よろしく!とお願いもしたくもなる。

こいつめ、首輪でもしてなければ・・しばし考えてしまうほど悩ましい。

だから・・

まだ空中にいるカラスの方が許せる。ゴミをあさるところや、ふてぶてしい態度は野良猫とよく似るが、まずは外見が黒一色であることで忌み嫌わる。

では、黒一色でなく、赤とか黄色の色が体に混じれば少しは印象が変わるのではないか?するとカラスの餌場を自治体が設けて、住民が争うように食事を持参する?また、ペットとして飼育する人も増えるだろう。人間の価値観などはこの程度のものであろう。

すると人為による調整のため、個体数も適度に調整されるのではないだろうか?とは想像の世界。

しかし、黒だからとの理由で嫌われるのは猫も同じ?

黒猫が通ると不吉なことがある。この言葉を度々耳にする。

(取引先の運送会社も確かそんな名前、今やこの国の道路を独占的に支配する存在。しかし、その車を見かけなくなると始めてこの話題が浮上するかも?)

さて、本日の出来事である。

ある黒猫が自宅前の狭い道路で車にはねられた。その一部始終を窓越しに目撃した。

ひかれた黒猫はその時、金色の母猫と道路を横断中であった。

ここ最近、度々我が家を訪れ車庫を荒らす野良猫でもある。

子猫は母親と同じ金色が2匹、黒と白の混合と黒が各1匹の合わせて4匹である。

このうち黒猫だけが事故に巻き込まれた。

「ギャー」 猫の断末魔のうめき声が耳に突き刺さる。

黒猫は車に轢かれた直後、数回にわたり空中に向かってジャンプを見せた。

その動きは一見、空に舞う蝶とじゃれてでもいるかのように見えた。

高く空に舞い上がり、体を反転させて着地する。それを数回繰り返す。

しかし見る見る高く飛べなくなり、やがて力尽き道路に横になる。

そしてぐったりとして動かなくなったのである。

その黒猫の横をしゃがんで眺める親猫。突然動かなくなった我が子を心配そうに度々覗き込む。

しかし、黒猫は一度倒れこむと全く動く気配はなかった。

事切れてしまったのか?

その僅か数秒後、空からカラスが甲高く鳴く声が聞こえた。本当に驚いた。

因みにこの辺り、里山もあるのでカラスの数も多い。

私と同様、どこかでこの事故の様子を見ていたのであろう。

異常にも聞こえるほど大きな叫び声をあげた。それは辺りにいる仲間を一斉に呼んでいるようにも聴こえた。

たまたま事故に遭遇した私は、この事態に猫のため何が出来るかを考えた。

(あの猫が苦手である自分が・・・実に不思議でもあった。)

狭い道を次から次に往来する車は、動かなくなった黒猫と心配そうに見つめる親猫のいる場所ぎりぎりを容赦なく通り過ぎる。その時の親猫は、突然の事態にすっかり判断力を見失っている。それほど親猫は失意の淵に追いやられている。

また尋常な猫であれば、真昼の道路上の自転車でさえ気にならぬはずはない。

人間界と同じく悲壮な情景でもあった。いや、小動物ゆえなおさら身につまされる思いがした。

それから先も、この親猫に更なる不幸が訪れることに同情の念を禁じ得なかった。

とにかく、子猫(黒猫)が親猫の目の前でカラスに晒すことだけは避けたい。

また、人間により更なるダメージを加えたくない。

(我々人間の仲間には、ひき逃げだって平気にできる奴もいる。万物の長たる矜持と責任感は一体どこに消えてしまったのか?)

とにかくもうこれ以上、哀れな親猫に迷惑をかけたくはなかった。

ごめん。本当に申し訳ない。

そんな気持ちでガレージに行き、ダンボールを持ち出した。横たわる子猫を安全な場所に移動させるため。

車の往来がなくなった時、そのダンボールを持って猫に歩み寄ろうとした。

すると・・・それまで子猫の様子を伺ってた親猫は私を睨みつけ、行動を制止するよう視線で促したのである。まるでこちらを威嚇するようにも見えた。

その後の親猫は満身の力を振り絞り、子猫を咥え安全な場所に向かい走り始めた。

凄い!僅かの時間にも関わらず、冷酷な事実を受容する。その迅速な決断と行動力はあまりに立派。余程でない限り猫のなきがらをみない理由もそこにあるのか・・・

その時の自分は猫を轢いたドライバーに代わり、親猫に謝罪したい気持ちになっていた。

現在を生きる人間は、どんな動物とも共生できなくなってしまった。文明の進歩の名のもと、人間さえよければとの考えが支配する傲慢な存在にあることに嫌悪感を感じた。

今回の親猫が子猫のなきがらを咥えて去ったシーンは、厳しい環境下で生きる動物の親子像として目に焼きついた。また、親子の絆と、子を守る親の使命と役割についても考えさせられた。

今後は動物と人間という差別的視点でなく、動物として人間を客観視する必要性も感じた。同じ地球の住人として、また時の旅人として。

尾方選手の次回に期待!

この水曜日の夕方、車で移動しているとランニング中に信号待ちをする尾方選手を見かけた。その時点での彼は、この7日に行なわれる福岡国際マラソンに世界選手権出場を懸けエントリーしていたことと記憶する。

地元である中国電力陸上部の選手を広島市内で見かけることはそれ程珍しくない。

(やはりそこは住民でもある!カープの選手を夜の繁華街で見ることと同じくらい、日常的な出来事である。)

特に市内を流れる大田川放水路の河川敷で度々遭遇する。また、原爆ドームに通じる道、通称100メートル通りを歩くと部員数名が往来する勇姿を度々見ることもできる。

市民ランナーとは比較にならぬスピードのため、直ぐにそれ?と判別ができる。

軽快に走る自転車を気持ちよく追い抜く!この「風の集団」は今やこの町の真昼の路上の名物?でもある。

さて、その選手は一様に、また例外なく(自称ランナーでもあるこちらが気の毒にさえ思える程)痩せている。いや、実のところ大いにうらやましい!また尊敬に値する!!

しかし眼光の鋭さだけは人目をひく。また、各人の走り方がそれぞれに全く異なることから、走る行為そのものが自己主張しているかの如く思える。とにかく個性的な省エネ暴走集団?である。

その日の尾方選手は、トレードマークでもある大きな目をギョロギョロさせてすれ違う車とこちらを睨んでいた?(眺めていた?正解!)

過去に10度以上は彼を見かけている。これまでに一方的にも?話しかけたりするものだからついつい親近感を持つ。失礼を省みず馴れ馴れしく手を挙げたが、気づいてもらえなかった。(気が付いていたのかも知れないが・・・まあ、深くは考えまい!)

そんな尾方選手の福岡国際マラソン欠場を次の日、新聞により知ることとなった。

記者発表を翌日に控え、何とか自らの気持ちを落ち着けたかったのであろうか?

欠場を決意してすら最低限の練習(アップ)を強行する。

欠場の真の意味を知ることは難しい。

また故障であれば、その程度は自分しか解らない。

自分の痛みは他人に伝えにくいし、他人の痛みは理解したいけど自分の痛みとしては解らない。何れも、ただもどかしさが募るばかりである。

無論、周囲はいつどんな状況においても温かい目で見ていてくれるに違いないが、体の痛みばかりはやむ終えない。

だから選手は、出場が欠場かを自分の体と相談する他ない。いつでも最終的に自分で判断する必要に迫られる。

しかし野口みずき選手も、記者会見で欠場の理由を語る時に涙を見せた。

そこで予め想像はしていたが、あらためて真相を理解した。ああ、やっぱり野口選手も練習で自分を追い込みすぎたんだなと・・・

ランナーはどんな大会でも出場したい!プロであろうがアマチュアであろうが皆、同じであろう。否、必ずそうだと思う!少々苦しんでも走る事の方が余程楽しいはずである。元々走ることが楽しくて仕方がないんだから・・・

しかし、プロは引退するその日まで競技に生活そのものを懸けている。しかも周囲でサポートをしている人の生活にも覆いかかる。その人も自らと同じ立場として考える必要がある。

実に大変だ!尾方選手はオリンピックの後の今回は、特に出場したかったと思う!

北京オリンピックの自分を、日本で応援してくれた人達のためにも・・・

だけど望みが叶わぬ時もある。これら不遇から立ち直ることも、マラソンの練習メニューの重要課題なのであろう。

マラソンは、首尾よく出場できても成功と失敗がある。確立はおおよそ二分の一ではないか?

だから出場前の勇気ある辞退については、成功と失敗という両極の結果を考えて以外の理由であることが多いとも考える。

たとえアマチュアでも周囲の心配をよそに、自分の気持ちを優先するためだけに走るわけにはいかないであろう。

とにかく、尾方選手は先の北京オリンピックでは日の丸を背中に背負い、重圧にも屈せず堂々と闘った我がヒーローである。暫くは心と体をしっかり休めてほしい。

そして次回の出走時は日本ランナーきっての安定感により、ここのところ分が悪い外国人ランナーと互角に闘ってほしい!!尾方ファンとして、祈る気持ちで願うことである。

明日は主役候補の尾方選手不在の中、福岡国際マラソンが開催される。

そうだ、油谷選手がいるぞ!アテネ5位の実力者だ、よし、頑張れ!!

いよいよ本格的なマラソンシーズンが始まり、日頃の練習に加えてテレビの前で足踏みをしながら応援できることを心から愉しんでいる。

(念のために・・・これは月間走行距離にはカウントしません!)

雑記-12月3日

本日、会社宛てに電力会社を装った怪しい電話があった。

その電話の内容とは

「中国電力の協力で○○地区をまわり、事業法人の電力設備が正常に機能しているかを調査している。地区の担当が直ぐに判断がつくよう請求書の控えに記入してある顧客コードを電話で読み上げてくれ。」

怪しい内容に加えて品のない若い男の声、その電話口の背後には、電話に向って語りかける多くの男達の声が呼応していた。また、いつものかな?とも考えたがとりあえず確認してみることに。

「貴社は中国電力の関係か?では一体どういう会社名なのか?」ときくと

「中国電力の上のほうだ??」との答え。

回答にあきれてしまいもう一度社名を質問をすると先方から電話を切った。

不愉快だ!しかしあきらかに怪しい。犯罪の匂いがする。

その後気になり、中国電力のホームページにアクセスすると、過去に社員であったことを名乗り、顧客コードを聞き出しその後事業会社を訪問。漏電と診断して法外な費用請求をする新種の詐欺に注意してくれとのこと。

この他に電気料金の還付を装い、金を振り込ます詐欺も後を絶たない。などなど・・・

その迷惑千万な電話の後、怒りをぶつけたくとも相手の正体がつかめないことに苛立ちが募った。また、こうしている間に極悪人により善意の人がだまされてはいないかと心配にもなった。

他人の貴重な時間を奪っただけでなく、自己の欲望のため他人の財を盗み取る。

自らに信用がないため、社会的に評価のある立派な企業の信用を悪用する。

同じ言語を使用する人間同士の信用の根底を覆すかのごとく、悪質極まりない非道な行為である。全く許されない行為である。

最近、度重なり報道される詐欺のニュースが、自らにも影響したことにより、この手の犯罪の社会に対する悪影響を言及したくなった。

現在、多発する犯罪は現実のありのままの社会を投影する。勿論、この社会も現在の大人も総じて誉められたものではあるまい。

これ以上、人心が腐敗しないよう歪んだ権力構造や行き過ぎた拝金主義など、この時代をつぶさに見直す必要があるのではないか?怒りの矛先がついつい自分にも向いてしまう。

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