2013年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

« 2009年4月 | トップページ | 2009年6月 »

仲間

電車を乗り継ぎ下関に向かう。

昨日はほんとうによく飲んだ。笑った。そして泣いた。

騒ぎすぎて隣席のご婦人よりお叱りを受けてしまう始末。

朝目覚めると早速、昨日の宴会の模様を映した画像がメールに届く。

仲間が思いっきり笑っている。

これほどまで幸せそうに笑えるものなんだ。

実に清清しくもある。

この素晴らしき仲間といる大切な時間。

一緒にいることで幸せを感じる同じ目的を持つ仲間。

空気にまで手を合わせたくなる気持ちになる。

出会いと別れ。

自分の気持ちを曝け出すことでそんな仲間達を

集めた男が、1400キロ離れた東北に旅立つ。

これまでどおり練習したり、飲んだりする機会は減るかもしれない。

しかし、貴方が築いた功績はあまりに大きい。

走ることへのほとばしるほどの情熱に皆が酔った。

ひたむきな生き方に賛同し心打たれた。

実直で素朴な人柄を慕う9人のメンバー一同が

貴殿の新天地での活躍を期待して熱いエールを贈る。

「会長、頑張れ!」

志を持つ人間を仲間とし、異郷の地でも元気に活躍することを期待する。

Cimg2877_3   

違反はどっち?しかし裁くは人也。

「そこの車、右側に寄せ停車しなさい!」

後にいるパトカーからのようである。

耳に突き刺さるけたたましいサイレンの後に

無機質かつ高圧的口調がスピーカーから流れる。

和やかな風景を瞬く間に冷たい空気に制す。

ドライバーでなくとも、日常的とは言い難いこの露骨な命令口調に

周囲は心を凍てつかす。

「私か?」

まずはその気持ちになる。そのほうが楽、辺りを見回すよりまず観念する。

考えることより先に心の動揺を見せてはならぬとばかりに

最低限の自己保全を最大の優先事とする。

「例え捕らわれても私ならなんとかなる!」

なにせ違反歴20回以上、免停歴有りのキャリアが物を言う?

しかしこの日は私でなく、すぐ後方の車が停められた。

「至極、気の毒である。」

しかし、私ではなかったことに安堵する。

(ここは正直な話しだ。)

その後、何もなかったように平常時の運転に戻る。

事故なら別であるが、先の出来事などは完全に他人事と化す。

しばらく経つと忘却の彼方に消えてゆくことが普段であろう。

何故なら毎日、しつこいほどの違反現場とパトカーの追跡を路上で見かけるからである。

さて、話しを元に戻す。

路地を曲がり直ぐの所に予定していた訪問先があり停車する。

少し経つと私の車の後にパトカーと違反により停車を命じられた先刻の車が停まる。

パトカーより若い2人の警察官が降りてきて、違反したドライバーに駆け寄る。

「進入禁止違反か?スピードではあるまい・・・」

その現場を後にして訪問先に入り1分程で用事を終えて車に戻る。

すると、警察官に体を張って精一杯の抗議をしている小柄な中年男に再び目が留まる。

商用型バンに乗り、身なりも清潔である。一見で営業マンらしく思えた。

「だから・・・何回も言っているじゃないですか、電話なんかしていないですよ。」

体格の良い2人の警察官はこの小柄な男を仁王立ちで囲む。居丈高な態度である。

「それでは携帯の着信履歴を見せてもらっていいですか?」

「どうぞ見て下さい」

男は携帯電話を無造作に渡す。

「こうやって見るのです」

憮然とした表情であるが、しっかり事態を受け止めた堂々とした態度である。

(何も事情を知らなければ、警察の捜査に協力する善良なる市民か?と勘違いしたくなる。)

「ほら、○○からの電話が1時間前、私の最後の発信は30分前、これでわかったでしょ」

携帯電話を操作し、身振り手振りを交えつつ無実を叫ぶ男に対し警察官の一人が発した言葉に驚く。

「バッグの中を拝見させてください」

バッグに別の携帯電話を隠し持っているかもしれないとの推理か・・・

一体どこまで疑えばよい?

ここまで堂々とした男の態度に、2人の警察官は清々しさすら感じないらしい。

「重大犯罪でもないのに、まさかバッグの中身まで調べることはすまい。また、この男は応じないのではないか。」

私はそう考えた。

だが・・・事実は異なる方向へ進む。

「どうぞ見てやって下さい」

少し考えた後、男は厳しい視線を2人に送りつつ吐き捨てた。

それからの警察官であるが、最初は遠慮がちに次第に執拗に男のバッグに手を入れかき回していた。

目を疑いたくなる光景であった。また、端から見てその行為そのものが不潔で挙動不審に思えた。

別の携帯電話が見つからないことに焦り始めたのか・・・

その態度を読み取り、その後男が見せた態度は圧巻であった。

車のシート目掛けてエイヤと言わんばかりの勢いでバッグをひっくり返したのである。

何もそこまでして潔白を証明しなくとも・・・しかし、男の態度は真剣そのものであった。

この後、しばらくして警察官は何かを男に告げてその場所を離れる素振りを見せた。

男は無表情に警察官を見やりながらつぶやく。

「分かってくれればいいのです。」

時間の無駄をさぞや取り戻したいだろう。また、とてつもなく不愉快な気持ちでいるだろう。

男が実に気の毒に思えた。

またほんの数分前、この出来事を記憶から抹消しようとしていた自分を責めたい気分になる。

2人の警察官はお互いの顔を見合わせて暫くさえない表情を作った後、

車に散らかしたバッグの中の荷物をしまう男の背中に向け警察官が投げかけた言葉が耳から離れない。

「悪く思わないでください。車を停めることが我々の仕事なんで・・・」

「???」

緊急の際、瞬時に現場における行政の執行人として、また法を守る番人として

治安を守り続ける警察官。

時には命も省みず正義のために力を尽くす尊い仕事である。

その絶対的な権威は、民には常に、公正な判断を求められる立場にある。

危険回避のため交通ルールを遵守させる指導は必要であろう。

そのためルール違反した人を罰することも再発が多発するのであれば止む終えないであろう。

(自分も過去に散々お灸をすえられたことで、近頃ようやく大人しい運転をするようになった。)

だけど彼らも人の子、判断を誤ることがある。

犯人逮捕の権限や権威は言い換えると犯罪者、違反者として

簡単にレッテルを貼ることが出来る仕事ともいえよう。

いわゆる犯罪印(マーク)の総発売元である。

しかし権威を手にする彼らが万が一、無実な人間を追い込むことがあれば思わぬ悲劇につながる。

権力を行使する際に一瞬の判断が必要な場合もあろう。

こうした自信がなければ犯罪者を見逃してしまう。

また見逃せば更なる惨事を招きかねない。

しかし誤りがある場合・・・

その時に限り同じ市民の立場として考えて欲しい。

これから裁判に一般人が立ち会い審判する制度が始まる。

個人的にいえば先進国でアメリカと日本に限られる死刑制度をまず廃止してほしい。

それから後に一般人を審判に招致すればよいと考える。

裁く立場側に長くいると法制度の疲弊を感じることもあろう。

1つとして同じ犯罪はない。しかし過去のものと全く適応しない類の犯罪ではその都度、裁く側は与える罰則に困惑しなくてはなるまい。

だからといって国民をランダムに・・いやランダムだから良い!

この制度は審判する側と、私をはじめとするいつ審判されるかもしれない側の垣根を低くする意味で

賛成している。もともとはとてつもなく大きな壁が存在した。

勿論被告にならない限り?出席して意見を言いたい!

さて、今回私が目撃した国家権力の誤発動であるが、勿論そう滅多にあることではないだろう。

しかし、現実に目の当たりにすることになった。

こうした誤った判断を冷静に分析し、いかなる時も憲法の下で人権を擁護する訓練を国民としてつむ必要性を感じる。

それがもうすぐ始まる裁判員制度に意味を与えることになることと願う。

5月10日雑記

「にごり無き、心の水に棲む月は

波に砕けて光となる。」

座禅会で和尚が披露してくれる唄である。

この詩が心に染みる。

灯りを消し薄暗い中、閑静なお寺で耳一杯に聴こえる音は和尚の唄ばかり也。

言葉の1つ1つの意味を味わいながら、アカペラの美声に聞き入る。

唄をもてなす寺は多くないのではないか・・・とは和尚の弁。

座禅に加えて唄まで聴ける自分は果報者。至福の時間に思わず合掌。

この心づくしのもてなしを聞く人は、私をいれて多い日で3人。

冬はだだっ広いお堂を暖めるため早くからストーブに火を入れ待ち構えてくれる。

参禅者が僅か1人や2人の時は、何故か気の毒で仕方なくなる。

また夏は扉を全部開放するので、我々が蚊に刺されぬように蚊取り線香の位置に腐心してくださる。

この座禅会が今日で700回を数えたと和尚が嬉しそうに教える。

700回といえば約15年間も続けてきたということらしい。

「去る者追わず、くる者拒まず」

これが和尚の座禅会に対する考え方である。

1つのことを愚直に繰り返す。その行為そのものが道に至るのであろうか・・・

プロ野球でカープが話題になると止まらない。また、ワンゲル部にいた学生時代の思い出話などは、まるで私達、俗人のそれと変わりない全くの現代っ子である。

スポーツマンでもあり笑顔が優しく親しみが持てる。また、余計なことだが一人身のため菩薩様のような方がいれば紹介してみたい。

「あらためまして700回、おめでとうございます。」と申し上げたい。

横断歩道の意味。

自宅前の道路は、産業道路に繋がる工事が完了した昨年より交通量が激増した。

港が至近のため、日中は埋立て地に盛土を運ぶ大型ダンプの往来が激しい。

ダンプは道路幅の限界まで遮り、けたたましく噴煙をあげ激しく行き交う。

まるで往年の成長過程にある日本を偲ばせる。

さて、この道路であるが元々が住宅地のため信号機の設置がない。

しかも2キロ以上直線が続くため、交通量の減る夜間はマフラーを改造した車や救急車の音が闇夜を裂き空中に轟く。

少し前の静寂を想うと、往来が続く家の前の道路と車を恨めしく見つめる時が多くなった。

あらかじめ想定こそしたものの、ここまで交通量が増加するなど考えにも及ばなかった。

道路を隔てた数メートル先に渡ることすら苦労がいる。断続的に車が続く中、皆は信号待ちの一瞬の間隙を諮り、勢いで横断するのである。

いつ頃からだろうか・・・横断歩道は歩行者の安心して渡る道ではなくなった。

その場に立ち止まれど車は減速こそすれ停車することが珍しくなった。

そのせいか、最近の歩行者は横断歩道を「ないよりまし」な歩行エリアと位置づける?体験から学習した自衛本能であろうが納得しているわけではない。

さて、ますます本来の使途で活用されなくなった自宅近くの横断歩道でのエピソードである。

ある時、家の前でお年寄りから「交番はどこですか?」と尋ねられた。

一見ではあるが、気品と知性が自然ににじみ出る立派な紳士に見受けた。

交番の場所を教えた後、老人は語る。

「この横断歩道で向かいに渡ろうとしたが車は停車する気配もなく、また手を挙げても応えてくれなかった。ここは大変に危険な場所であることを交番に行き報告したい。」

丁寧で落ち着いた言葉遣いであったが、運転マナーに対する厳格な憤りを感じた。

「これで抗議は3度目です。道路向かいに友人が住んでいるのでこの道をよく横切ります。しかし、横断歩道に差し掛かると我々年寄りだけでは苦痛です。なにしろ通行させてくれない。以前にどうしても車が停車しなかった時、手を真横に伸ばし体を張って横断したことがあります。こんな道路に白線を塗ること自体、税金の無駄遣いではないでしょうか。こんなに酷い仕打ちはない。横断歩道で歩行者が怖くて渡れないなど昔は考えられない話です。こんな横断歩道なら即刻封鎖すべきです。そして今度は信号機をつけた横断歩道になるよう交番に再度、嘆願したい」と続ける。

「信号機の設置なら警察ではなく市役所の管轄ではないですか」と聴くと

「先に市役所を尋ねるとそこで信号機の設置は警察と知り、その時も最寄りの交番に掛け合いました」とのことであった。

お年寄りもつい最近まで、車を運転するドライバーであったとか。これほどマナーが乱れたのはごく最近ではないかとも語っていた。それからしばらくお年寄りとその友人は高校の教員仲間であるなど語ってくれた。

最後にお年寄りが残した言葉が胸に突き刺さる。

「自分さえよければ良いという日本人が近頃は急激に増えた気がします。不正が横行し正義が影を潜め、また人が人を大切に扱う社会でなくなったからでしょう。この国は本当に魅力に乏しくなりました。」

罰金などの厳しい規制がないからか・・・横断歩道を渡る人が例えお年寄りや幼い子供であろうが容赦ない。皆やっていることだから自分も許されると考える。

ドライバーは車から降りれば直ぐに歩行者となる。それゆえ車のドライバー感覚を知ることで、歩行時は危険を察知し自らを守る。しかし、車を普段から運転しない人はいかにも無防備である。彼らはドライバーの悪癖やいじわるの多くを理解しない。

これは悲劇に通じる理由の一つかもしれない。早朝の歩行時にお年寄りが事故に巻き込まれるなどまさに思い当たるところではないだろうか・・

さてこの横断歩道は通学路でもあり、学校からも度々危険箇所との指摘があった。

さらに詳しく話すとこの歩道以外も危険な数箇所があり、それぞれに朝の登校時は父兄会が当番を決めて、旗を持ち児童の横断を助ける。

また、父兄と学校は声を合わせて警察に信号設置を申し入れているようだ。

だが、警察からは予算がないのでしばらくは設置できないとの返答が続いている。

何かが起きてからでは遅いというのに・・・

行政側の対応には首を傾げたくなることが多い。

都会の横断歩道は信号機とセットが多い。しかし、新しい道路ができたり急に交通量が増えた場合は順番待ちになる。

一体どれ程待てば順番になるのか警察の説明が欲しいところだ。

では、法律や行政の力で補えない部分は一体どうすればよいか?

地域の大人の知恵と行動力により補う以外に方法はないと思う。

児童の下校を見守る、緑色のジャンバーを着たボランティアの方々には本当に頭が下がる。

このボランティアの方々に負担を掛ける,掛けないはドライバーのマナー次第である。

横断歩道で停止する僅かの時間を惜しむほど忙しい様子には見えない。

また、我先にと急いでも結果はたかがしれている。むしろ気持ち良く横断を助けるほうが運転していても爽やかな気持ちになれるのではないか・・・

要はついこの前までの自分に戻ればよい。最近のドライバーを敢えて見習う必要はないのだから。

正しいと想ったことを素直に実行出来る人を大人と呼ぶ。

今回のお年寄りの件より、自分の運転も大いに反省するところが有ると考えさせられた。

連休と初めてのETC割引

一般的にゴールデンウイークと称される期間が昨日で終わった。

昨日といえば週半ばの水曜日にあたるが、ウイークの終わりとすることに何ら抵抗を感じない。

連休中は帰省のほか、各地の行楽地で賑わいをみせたと報じる。

この期間は突然の新型インフルエンザ感染の広がりに世界は緊張したが、あらかじめ海外旅行を予定していた人に影響はなかった様である。

このゴールデンウイーク、世界の金融マーケットは通常どおり営業していることを新聞で確認すると日本の国民的行事であることをあらためて知ることとなる。

さて、今回の休日で異常ともいえる道路の渋滞など話題を独占した?ETC割引について考えてみた。

その前に日本における高速道路の有料制度は世界でも稀であると知る。その理由は地価と地形にあるようだ。

日本の国土は約70%が山林、欧州の10%、アメリカの50%と比べいかにも平地が少なく、そのためトンネル工事や橋梁工事が多く高速道路を設置する建設コストが高い。加えてもともと少ない平野部は人口密集地帯により取得に必要な地価が高い。

だからといって天文学的な赤字を財政が抱えて良いとは国民の誰一人考えていない。

また、あの膨大な借金は今後、一体どうなる?などを考えれば、国民ならずとも官僚および政治家は心配しないではいられない気がする!

一般の会社であれば、多額の借金を抱えて夜も安らかに眠れないところであろうか・・・

ところで道路法人を評論家や作家が糾弾していたことは記憶に新しい。

加えて巨大政党の党首とゼネコンの癒着が発覚し未だ真相は霧の中にある。

これらの背景とは別に「大規模な財政政策は楽観的な広がりを見せる」とする米の心理経済学者を支持したかどうか・・・今回のETC割引制度が実施された。

IMFの試算した我が国の今年度の経済成長率はマイナス6.4%と先進国中最も悪い。内需を活性化する適正なる財投の分配に異論はないところである。

そこで登場した今回のETC割引は不況対策の財政出動における目玉商品でもある!

将来的にみて大きな財源を必要とするからにはその効果においては即効性と持続性を併せ持つ必要がある!!

生活防衛に走る国民が一斉にレジャーに向うかどうか甚だ疑問が残るが・・・この制度の効果は今回の連休においては存分に発揮されたようだ。

「人間は思考こそすれ行動こそ論理を象徴するものである。それゆえ誤った行動は慎み、また必要としないものは購入することはありえない。」

今回の政策はこの理性に尊厳を与える考え方に対して、社会的動物たる集団的真理を逆手に取ったやり口とみえる。

滑り出しこそは、あのETCバーの見事に開放した瞬間のように?好調の様相である。

しかし、景気が失速する手前あたりで発動出来なかったことが悔やまれる。

備えがないからそれを不況と呼ぶ!

だが、友好国のためには例え改憲してでも予算を捻出する法案を迅速かつ強引!に通過させる今の為政者は果たして国民に視線が向いているかどうか・・・大いに疑問が残るところである。

いずれにしてもこのETC制度割引を利用することとなるが、この期間中に小旅行に出かけた。

行き先は我住む街、広島から300キロ先にある高知県を選択する。愛すべき竜馬を訪ねての旅でもある。

道中に見かけた車に遠方から着いた車が多いことに驚嘆した。

東京をはじめ東北から鹿児島まで実に広範囲に、また、突出する地域もなく均等に並ぶ駐車場のナンバーを確認すると自分は一体何処に居るのであろうかとの不思議な気持ちに包まれる。

また、この割引制度が今回は実にインパクトがあったことを知ることとなる。

これまでは近県に出かけていた人が一気に遠距離まで足を伸ばしたことが顕著であった。好奇心を呼び起こし日本中を旅することで観光を資源とする地域が潤う。何かいいこと尽くめであるようだが、手放しで喜べない理由も少なくはない。

先の財源不足などが加速化し、この割引を将来の増税による景気浮揚の足かせにならぬかなど懸念してみた。

また道路行政にまつわる不明瞭な赤字が闇に消えていくことにならぬか懸念もある。

この制度は観光サービス業にこそメリットはあるが、高速道路のヘビーユーザーたる運輸業においては限定的である。そのため休み明けの荷物の到着が遅れるなど、関係者において被害の声が次第に広がりつつある。

加えて突然の制度の施行における端末機器を持たない人々の不公平感!

また、環境対策半ばにしてエネルギー効率の悪い車を駆って炭酸ガスを吐き散らす自然に対する仕打ちなどなど・・・環境面の問題も憂慮する。

また、クリーンエネルギーを誇る公共機関への影響は軽微とはいえないようだ。こちらは今後の進退すら心配でもある。

しかし、この制度自体は約20年前より大前研一氏などが景気刺激策として有効ではないかと語っていた。

また、浮上してきては財政問題などにより足並みが揃わなかったテーマでもあった。

いずれにしてもこの機会を利用して、山を分断し緑を伐採して作った普段はそれほど活用されていない道路を国民が大いに利用することになるであろう。

その際に立ったまま枯れ果てた木や、しばらく放置された倒木などを目にすることにより自然の発する警鐘を目の当たりにすることが出来る。その記憶こそが日本人の行動を大胆に変える事を今回のETC割引制度の副次的効果として期待する。

また市民ランナーの一人として考えることは月に一度、高速道路を車のない一日として使用させて欲しい!

ランナーが、歩行者が自由に散策できるようにする!

勿論、「走るプライバシー」と揶揄されるカードの保持はこの際必要としないこととする。

こうすれば一日分の排出ガス抑制につながり、割引時の増車分だけ相殺ができるのではないだろうか・・・

くどい様ではあるが今回のETC割引が初期の試算とおりであったか、また波及効果はどれ程であるかなどの数値公開が待たれる。良い政策と感じられぬ不公平感のある人のためにも是非、公開を急がれたい。

旅行中、駐車場で忙しそうに駆け回る女性スタッフに「儲かりますね~」とつい余計な言葉をかけたがその女性から「麻生さんのおかげです~」との言葉が返ってきたことに驚きを隠せなかった。

かくして世論は風のように移り変わり、人は入退場を繰り返す。責任をすべて次世代に生きる人に託して・・・いや、やはりこれではいけない。

最後に、高知の人はとにかく明るかった!この南国の県民性が究極のアウトレット、坂本竜馬を輩出したと土地柄であることを感じつつ、渋滞続きの旅を思い返した。

« 2009年4月 | トップページ | 2009年6月 »