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横断歩道の意味。

自宅前の道路は、産業道路に繋がる工事が完了した昨年より交通量が激増した。

港が至近のため、日中は埋立て地に盛土を運ぶ大型ダンプの往来が激しい。

ダンプは道路幅の限界まで遮り、けたたましく噴煙をあげ激しく行き交う。

まるで往年の成長過程にある日本を偲ばせる。

さて、この道路であるが元々が住宅地のため信号機の設置がない。

しかも2キロ以上直線が続くため、交通量の減る夜間はマフラーを改造した車や救急車の音が闇夜を裂き空中に轟く。

少し前の静寂を想うと、往来が続く家の前の道路と車を恨めしく見つめる時が多くなった。

あらかじめ想定こそしたものの、ここまで交通量が増加するなど考えにも及ばなかった。

道路を隔てた数メートル先に渡ることすら苦労がいる。断続的に車が続く中、皆は信号待ちの一瞬の間隙を諮り、勢いで横断するのである。

いつ頃からだろうか・・・横断歩道は歩行者の安心して渡る道ではなくなった。

その場に立ち止まれど車は減速こそすれ停車することが珍しくなった。

そのせいか、最近の歩行者は横断歩道を「ないよりまし」な歩行エリアと位置づける?体験から学習した自衛本能であろうが納得しているわけではない。

さて、ますます本来の使途で活用されなくなった自宅近くの横断歩道でのエピソードである。

ある時、家の前でお年寄りから「交番はどこですか?」と尋ねられた。

一見ではあるが、気品と知性が自然ににじみ出る立派な紳士に見受けた。

交番の場所を教えた後、老人は語る。

「この横断歩道で向かいに渡ろうとしたが車は停車する気配もなく、また手を挙げても応えてくれなかった。ここは大変に危険な場所であることを交番に行き報告したい。」

丁寧で落ち着いた言葉遣いであったが、運転マナーに対する厳格な憤りを感じた。

「これで抗議は3度目です。道路向かいに友人が住んでいるのでこの道をよく横切ります。しかし、横断歩道に差し掛かると我々年寄りだけでは苦痛です。なにしろ通行させてくれない。以前にどうしても車が停車しなかった時、手を真横に伸ばし体を張って横断したことがあります。こんな道路に白線を塗ること自体、税金の無駄遣いではないでしょうか。こんなに酷い仕打ちはない。横断歩道で歩行者が怖くて渡れないなど昔は考えられない話です。こんな横断歩道なら即刻封鎖すべきです。そして今度は信号機をつけた横断歩道になるよう交番に再度、嘆願したい」と続ける。

「信号機の設置なら警察ではなく市役所の管轄ではないですか」と聴くと

「先に市役所を尋ねるとそこで信号機の設置は警察と知り、その時も最寄りの交番に掛け合いました」とのことであった。

お年寄りもつい最近まで、車を運転するドライバーであったとか。これほどマナーが乱れたのはごく最近ではないかとも語っていた。それからしばらくお年寄りとその友人は高校の教員仲間であるなど語ってくれた。

最後にお年寄りが残した言葉が胸に突き刺さる。

「自分さえよければ良いという日本人が近頃は急激に増えた気がします。不正が横行し正義が影を潜め、また人が人を大切に扱う社会でなくなったからでしょう。この国は本当に魅力に乏しくなりました。」

罰金などの厳しい規制がないからか・・・横断歩道を渡る人が例えお年寄りや幼い子供であろうが容赦ない。皆やっていることだから自分も許されると考える。

ドライバーは車から降りれば直ぐに歩行者となる。それゆえ車のドライバー感覚を知ることで、歩行時は危険を察知し自らを守る。しかし、車を普段から運転しない人はいかにも無防備である。彼らはドライバーの悪癖やいじわるの多くを理解しない。

これは悲劇に通じる理由の一つかもしれない。早朝の歩行時にお年寄りが事故に巻き込まれるなどまさに思い当たるところではないだろうか・・

さてこの横断歩道は通学路でもあり、学校からも度々危険箇所との指摘があった。

さらに詳しく話すとこの歩道以外も危険な数箇所があり、それぞれに朝の登校時は父兄会が当番を決めて、旗を持ち児童の横断を助ける。

また、父兄と学校は声を合わせて警察に信号設置を申し入れているようだ。

だが、警察からは予算がないのでしばらくは設置できないとの返答が続いている。

何かが起きてからでは遅いというのに・・・

行政側の対応には首を傾げたくなることが多い。

都会の横断歩道は信号機とセットが多い。しかし、新しい道路ができたり急に交通量が増えた場合は順番待ちになる。

一体どれ程待てば順番になるのか警察の説明が欲しいところだ。

では、法律や行政の力で補えない部分は一体どうすればよいか?

地域の大人の知恵と行動力により補う以外に方法はないと思う。

児童の下校を見守る、緑色のジャンバーを着たボランティアの方々には本当に頭が下がる。

このボランティアの方々に負担を掛ける,掛けないはドライバーのマナー次第である。

横断歩道で停止する僅かの時間を惜しむほど忙しい様子には見えない。

また、我先にと急いでも結果はたかがしれている。むしろ気持ち良く横断を助けるほうが運転していても爽やかな気持ちになれるのではないか・・・

要はついこの前までの自分に戻ればよい。最近のドライバーを敢えて見習う必要はないのだから。

正しいと想ったことを素直に実行出来る人を大人と呼ぶ。

今回のお年寄りの件より、自分の運転も大いに反省するところが有ると考えさせられた。

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