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つぶやき②

いよいよ国会が解散した。

あと数日で候補者名、政党名およびガンバリマス!を連呼するだけの選挙カーが職場に自宅周辺にと、縦横無尽に駆け巡る。選挙カーのボリュームにルールがあると思うが、小鳥のさえずりがこだまする閑静な場所と、車の行き交う大都会では音声の受け留め方がまるで異なる。

私の住む田舎街でもあの音はいつも許容を超えている!騒音公害は環境問題の一部?お年寄りや乳幼児のいる家庭では健康障害すら心配だ。いずれにしろ、この音を考えただけでもしばらくは憂鬱な気分になる。

目下、エコ文化真っ盛り。排気ガスを撒き散らす選挙カーは少ないかもしれないが、はたしてすべて電気自動車になるだろうか?いや、選挙費用が決められてるはずだから、レンタカーの予算を最優先できまい。

それにしても、路上清掃車と見間違えるノロノロ運転で、時には葬儀の列のごとく複数台が連なる。これには関心しない。追い越して先を急いでくれか、あるいは支援を請いたいのか・・・候補者の紛らわしい手の動きに度々閉口した記憶がある!

さて、普通選挙がはじまり80年以上が経過している。この21世紀はテレビの普及率は限りなく100%に近い。またPCの発達により国内で8000万人近くがネットを覗ける環境にある。

ここで提案である。

車の走行距離と騒音公害にもなりかねない、単純な言葉の連呼数を競う旧態依然のやり方をそろそろ変えてみないか?

勿論、移動手段として車を利用することは構わない。その際に車に選挙公約や政党名、また自分の顔のポスターを飾る事まで誰も厭わない。

その変わり選挙期間を公示より30日間とする。

政治的空白が目立つが、この程度なら取り返しがつく。国家の一大事でシステムが機能するよう準備をすればよい。

加えて選挙活動を24時間とする!

この意味は若者以外にも80年前と比べ、明らかに生活スタイルに変化が見られる。

深夜でも候補者が有権者を前に政見を語りたいと考えるなら、若者や夜勤の人が集まる場所や集会所を抑えればよい。要するに規制を撤廃して限られた時間を自由に使えるようにする。

次に移動のための選挙カーであるが、生協が共同購入場所で組合員を呼び出す程度の音楽ならよい。

この選曲もやはり候補者が自由な裁量で決められる。ポップスよし、ジャズよし、演歌よし!思い違いも含め?おそらくは自分のイメージに近づけるであろう。

この曲に合わせ候補者は有権者に手を振るだけでよい。また、子供もすぐ覚えられる優しいメロディーを考え、候補者の名前を売り込む唄として考えても面白い。

そういえば、田舎町ですれ違う選挙カー同士が相手の候補者の健闘を讃える光景を思い出す。

スポーツなどではいかにも好感を持てるシーンであろうが、これまでさわやかさを微塵も感じられなかったのは、この陳腐な選挙のやり方に問題があった!一体、何が目的でスピーカーを使用して相手を讃えなくてはならないのか??

ボイスがないから新人は知名度向上につながらないと考える候補者がいるとすれば、そこは思考停止状態。固定概念より「選挙たるはこうでなくてはならない」ではなく、条件により過去は捨て去り変化に対応した独自の方法を各々が考案する。

いつ、どこの場所にいけばよいか、時間帯はいつが良いのか、移動手段は自転車、それとも走るか?

候補者のやる気とセンスがにじみでれば、スピーカーでうるさく叫ばなくても有権者は振り向くに決まっている!本当に政治がやりたければもっと以前から地道に活動をするべきである。

今日は、変化に順応する能力もこれからの政治家に必要ではないかと考えた。

21世紀はどうなる?

我々が生きる今、この21世紀は22世紀以降の未来からみて一体どのような時代に映るであろうか?

「人口爆発による食糧不足と環境破壊による天変地異の100年になる!」約10分の1を経過した今、こう予測をした識者がいる。

アジアを含めアフリカなどで今後も人口増加が進み、2050年には今より33億人多い100億人に達するとの予測である。現在も10億人が食糧不足にあえぐ中、食糧事情は益々厳しさを増す。もはや一刻の猶予もあるまい。この問題は人類の抱える問題ととらえ、世界中で総力を上げ解決を図るべきであろう。

次に環境問題であるが、これも先の食料問題と同様で人類を危機に晒す問題、また地上のあらゆる生命の存続に関わる問題でもある。いずれも人為的に繰り返された過ちが起因したものである。

人為的災害と認識してはじめて、良識のもと行動ができる!

さて、この地球温暖化の原因、CO2の削減目標などの低炭素化に向けた動きであるが、今回の経済危機によりさらに焦点が絞られた感がある。

解決のためには食糧問題と同様、地球規模での協力が必要である。地球に生きる全ての人のコンセンサスを得る日までは・・・

勿論、今すぐ生命にかかわる食料問題を大事にしていきたいところだが、実はこの2つの問題は根底が共通する!

この地球温暖化の原因について、二酸化炭素の増加との関連をいぶかる学者の声もあるがすでに議論は待たない!実際に200年前の産業革命時より大気中のCO2は30%も上昇している。また、有史以来これほどの上昇率はないらしい!!

昨年末発生した世界同時不況、いわゆる経済危機であるが、これほどまでに大きな経済の下降局面が全世界に飛び火することはきわめて稀なことである。だが明確な時期は専門家に譲るとして・・・いずれは収まるところに収まる!

環境問題と経済危機・・・いずれも世界規模での出来事ゆえに合理的思考のもと全員参加でいきたいものである。勿論、経済的効果あっての持続であろう。

とりあえず、現在はこれに優る経済効果の呼び水となる平和的な目標は考えにくい!

この理由だけではない。他にも枚挙に暇がないほどの環境の変化を人類が目の当たりにしているからである。それゆえ誰もが追随する他あるまい。人事を尽くしたあとは、天変地異がこないことをひたすら祈るだけだ。

さて先日の政府広報紙を読むと、日本の2020年までのCO2削減は1990年比で15%と決議したようだ。これで充分であるかまた非現実的であるかは別問題として、日本としては大きな目標を立てて取り組む方がメリットが大きい。なぜなら技術的なアドバンテージを持つからだ。また文化レベルも高く、平和教育により大多数の国民に賛同を得やすいこともある。

次に京都議定書に署名した国は、EU15カ国、ロシア、日本。この国々で排出量をあわせると22%。

一方、非承認国のアメリカと中国が20%づつである。

アメリカに関しては自国でスタンダードを作らない気持ちがおさまらない?にしても、オバマ政権のグリーンニューデールが今後額面どおり機能すると削減量は大いに期待できる。

要は力を入れる、入れないとの不平等をなくしたいことを建前に、リーダー国を標榜する国が基準を作りたいだけであろう。しかし、この基準さえいつ変更になるかわからない!!きわめて曖昧である。

なぜなら全てにおいて新しい取り組みでもある。また中国やインドなどから想定を超えた排出量があれば制度自体変わりかねない。要するに国際協調が必要であることを間違えなければ、将来の自国の威信をかけて各々が愚直にやればよい!

今回は人類の危機から立ち直るとの意で、全く負からのスタートであるゆえ逆コースに大ぶれする事はあるまい。それがもとで国際紛争の火種になる心配がないところがよい。

(これすら分からないという識者が仮にいれば・・・それを話題にする時、もはや状況は手遅れになるほど事態は切迫しているという認識をすべきだ!)

後進国も今後は協力せざる終えない。先進国のメッセージを真摯に受け止めないほうがデメリットとなる社会に進むからだ。環境に配慮しない商品は、たとえ安くても購入してもらえない。たとえばカーボンフットプリントなる制度が徹底すると、商品毎に輩出したCO2の量を商品に書き添えねばならぬ。それゆえ環境保護を訴える国に配慮のない商品は売れなくなる。

このテーマについては今後、折に触れて書いていきたい。とりあえず二つの問題が人類に立ちふさがり、それを克服するために努力を尽くすことを心に命じる。

つぶやき

ここのところお茶の間に映る政治ショーには辟易する。

どの役者も大根役者、見事に小粒ぞろいに見える。マスコミに露出することだけ力を入れ、そこに肝心の政策やイデオロギーは見当たらぬ。加えて自民党内に政策における相違点がないにも係わらずかっての同胞が派閥を盾に争う。政策を語らず選挙のため、自己保身のために・・・

国民に今一番受けの良い旬の言葉とパフォーマンスとは一体何であるかを考え、瞬間芸として演じる。だからいたるところで失言が目立つ!!だからこそ大根役者たるゆえんである。

確かにここ数年、実現を考えたこともないであろう歯の浮くような言葉と国民受けを狙った政策のオンパレードであった。

政治は言葉といえども誠のない言葉は誰にも響かない。1つの政策をたとえ誰もが評価しなくとも未来に対して語り続ける、骨のある政治家の存在を見出せずにいる。非常に残念だ。

一億の老若男女が同じ不安を抱える年金問題や社会保障より、経済危機克服が大事とアドバルーンを掲げて躍起になった経済政策。先進国中のどこよりも深刻な財政危機の渦中、将来の見通しは国民負担であることには口をふさぐ。無責任に財政を封印してまでばら撒いたお金の波及効果を検証して見るまでもなく、次から次に借金を重ねばら撒く。

このばら撒き政策を見る限り、現在逆風下のエクセレントカンパニーの景気回復後の圧倒的優位性を保証するものが目立つ。中小零細との不公平さに戦慄すら覚える。加えて一般人にばら撒く前に将来の不安を打ち消さず、ただ消費を促す話ばかり先行する。

そもそも現在の日本の悪い状況は社会制度の疲弊にあると考える!不完全な社会システムが富の公平なる分配を妨げている。それを腰をすえ改革する必要があることが分かっていながら場当たり的政策の応酬で急場を凌ごうとする。

「今までの事は全て前政権の失敗にある!」

政党名や派閥など変幻自在の腰の軽い政治家達が声をそろえる。そんな気がするのは私だけか・・・

今や党を立て直すことはあきらめ誰と誰の派閥が一緒になるか、何時のタイミングで沈みかけた船より降りるか・・・政治家の個個はそれ以外に興味がないのであろう。

今回大いに話題を提供した二人の県知事であるが、これまでダーティーイメージの県知事職に国民のスポットを浴びせた意味で他の県知事から賛辞を得ているものと考える。

ここ数年で汚職による逮捕者が続出した地位でもある。利権の巣窟に欲望をむき出しにしてトップ自らが手を汚す県政に国民があきれ返っていたところでもあった。

ここで地方分権を財政支出削減の要と考え、中央集権体制による官僚主導のばらまきの無駄を批判、議員を削減し地区代表制にするなどの首長制も国民の賛同を得やすい事であろう。

その考え方自体に新鮮さは欠けるが、なによりも中央の官僚が指導する地域の実態を無視した無駄な支出を抑制する必要性はある!しかし、地方の懐事情も厳しさを増している。加えて不明瞭な使途金の存在もあるだろう。今後、官僚の反発も予想され改革は容易ではないであろう。過去の責任を棚上げし、組織替えをするだけで終わって欲しくないと考える。

さて、この二人が官僚主導の中央集権を批判することはかっての田中知事の主張に似て非なるところであると記憶する。これらの焼き直しについて鮮度があるからメディアも追いかける。マスコミが自然にひいきするから国民もその話題についてゆき理解を深める構図だ。

知事会は支持政党を公表しないと議決したが、政党のマニフェスト実施状況を評価する点につき今回新たに盛り込んだ様子だ。

そうであれば県知事のマニフェストであるが、お互いの県知事同士で評価しあうのはどうだろうか?ここは競争のルールを用いて県政のレベルアップを図る。あるいは議員からみた知事のマニフェストに対する評価も欲しい。こうした意見の理由として県知事の仕事は国民には分かりづらく、評価がいたって難しいからである。

やはりこんなことをブログに書いても仕方ないか・・・さあ、自分の仕事に戻ろう!

えびすだいこく100キロマラソン参戦記 -③

折り返し地点を過ぎると地域の集会場であろうか、コース最大規模のエイドに到達する。

その54キロ地点には出走前に預けた手荷物が一足先に搬送されている。多くのランナーはこの荷物の中に秘密のドリンク(スペシャルドリンクともいう)をしのばせたり、万が一に備えて変え靴、着替えを準備している。

しかし、その後すぐ汗臭くなる。だから私は着替えたりはしない。その代わり持ち込んだカメラをボランティアの方に渡し、記念に写真を一枚撮ってもらう。毎年同じポイントで同様のポーズを撮る。(他に決めのポーズがないことも理由にある)後で見比べると、顔付きの変化は老いを確認する程度としても、目覚しい肉体の進化に思わず目を細めてしまう?(今年も足に筋が1本増えただけではあるが悪い心地はしない。)

さて、エイドでおにぎりとコーラを補給。妙な組み合わせであるが、この辺りから水分補給の大半をコーラとする。体からの指令であるが、運動による上下運動により溢れんばかりの胃酸を炭酸で洗える効果があり、爽快感を向上させる。また、環境の負荷を考え出来る限りのゲップを抑えた事もここに書き加える?!

おにぎりは走りながら食べ切った。この無茶な行為など、運動しない頃には考えにくいことであるが、胃が丈夫になったことも訓練の賜物と解釈している。ウルトラマラソンは胃袋が頑丈でなければ後半戦にかけて相当の苦痛を伴う。胃薬を持参しているランナーもいれば、エイドで胃薬を置いているところも見かける。近年の私にはこの悩みがない。

いよいよ後半戦の修羅場、横手林道にさしかかる。60キロでのスプリットは5時間37分。

この辺りからアップダウンが約5キロ続く。昨年度は土砂災害のため利用できなかった道でもある。そのため3年前に走ったきつい上り坂のイメージが脳裏に焼きついていた。その記憶が次第に鮮明になるにつれ、足の疲れを一層感じる事になる。

「少しスピードを上げた反動か・・・」そう考えつつペースを落とし、慎重に足を運んできた。いよいよ上りの傾斜が激しくなる頃、ついに自分の足が音を上げる。

62キロ地点で走りが止まってしまった。いや、正確にいうと止めた。

「この先、この山登りを続けて走ると残りの40キロはきつい、よし、少し歩こう」

この判断を初めて自分に命じる頃、疲労度は90%を超えている。

「しかし・・・自分は走りきるためにやってきた!」

歩いても、止まってもとにかくゴールにたどり着く事を目的としたのは過去の話。出場3度目になるとコースも知り、ペース配分も心得る。加えて昨年は一度も歩かなかった。

「しまった。こんなはずではなかった」心が叫んだ。また、この先のレースに一抹の不安がよぎった・・・・・

さて、ここまで書き進めてきたが繁忙期の仕事を優先したため書きかけのまま中断。実に3週間ぶりにブログに向う。そのため、ここからは参戦記の完成、ゴールを急ぐ事にする。

70キロのスプリットが6時間52分。この区間はコース最難関の場所にあたる。10キロ走るのに1時間15分もかけてしまっていた。ここら辺りが今後の課題になるであろう。

筋力不足!この山を乗り切ろうとイメージし、直近2ヶ月は高地・山岳練習(たかだか600メートルであるが・・・)を重ねてきた。しかしスピードが速かった影響であろうか、上りに対応できなかった。ここは大いに反省である。(トラウマ化しないためにも、早期に過酷なレースにエントリーしてみたいと考えている)

80キロのスプリットは7時間48分。少し調子を取り戻せた理由は、山を下り終えたあとの市街地を走る平坦なコースへ移行したためでもある。要するにかなり楽をした。

90キロのスプリットは8時間44分。ここも前半のペースを完全に取り戻している!この20キロこそ唯一自分の進化した場面であった。フルマラソンでいえば35キロから40キロにあたる。この区間が最も辛い!!ゴールを意識する頃、同時に肉体と疲労はピークを迎える。それはグリコーゲンの保持の限界と、42キロの距離がくしくも重なるためとは医学的にみたアプローチ。しかし、一般人ではむしろ精神と頭脳の疲労による影響が大きいと考えている。

そしてゴールまであと10キロ。

今回、サブテンについては考えていなかった。これは事実である!実はこのペースでここまで走り続けるなど、出走前に予想できなかったからである。

「よくて10時間30分。それで今回は立派な記録としよう!」これが本音であった。

記録を意識した頃によくある話であるが・・・レース2度目の疲労の波が訪れた。

この波は予想を超えるほど大きく、修復に手間取る。ダメージが矢継ぎ早に襲い掛かる。

石ころを払うため靴を脱ぐと、悲鳴を上げたくなる程の激痛が頭の先に走る。その時になって初めて、足指の2本が他と感覚が異なることに気付く。度々のことだが血豆になっている様子である。(余談になるが、今回のレース終了後に爪は2枚剥がれた。そのためあと数ヶ月は救急テープが私の爪代わり。しかし今回はまだましな方?)

この頃になると歩道の縁石を飛び越える時でさえ呼吸を整える必要がある。それほど足に自由が利かなくなっている。精一杯腕を振れども一向に前に進まない。歩幅を変える。背伸びをする。気分転換に背中に吊り下げたポーチより飲料を飲む。すると一瞬は元気になる。しかし期待するほど長くは続かない。

いよいよ恐れていた事が現実になる。

完全に立ち止まってしまった。これではいけないと、その場で重たくなった足を両手で抱えてガードレールに載せる。そのあとしばらくストレッチを繰り返す。そうでもしないと応援の人も、こちらがあとわずかに迫るゴールを前に、時間調整の必要の有無を疑う事となる??否、とにかくゴールに向って一歩でも進みたいところであった。

「走れなければ歩く。そのうちなんとかなるものだ。よし。次の電柱から走り出そう!」

過去の大会でも身近な目標を定めるやり方で完走を繰り返してきた。

しばらく歩いていると、腰を2つに折ったまま動かないランナーがいた。歩いて近づくと見覚えのあるランナーである。

前回の大会で話をした記憶がある。昨年、8時間台でゴールした人である。

そのランナーが語る。

「もうどうやっても力が入らないんだ・・・」

その言葉の意味を噛み砕くと不思議に少しやる気がでてきた?心理的にいえばマイナスの言葉の呪縛により暗示がかかり、体を動けなくする場面でもある。

「あ、こいつだな!この正体こそ人類のカタキ!それぞれの個人が日々闘いに挑む。しかし自分以外に誰も存在を知らない。平常は鳴りを潜めるが、弱みを見せるとつけこむ卑怯な相手。また、放置すると居座るタチの悪い心の客人だ。出会えば何が何でも退治しなくてはならぬ!」

自分も過去に何度も体験してきた。だけど鍛錬を積み上位の結果を出せる実力選手もこの穴に陥ることがある。

限界を感じる事は肉体が先か、精神が先か・・・

このテーマについての議論はランナー同士の定番話でもある。またランナーの友人の多くは精神に分があると語る。私の目標もまた、そこにある。

「精神力で肉体を支配する!」このテーマはゆっくり今度書いてみる。

さて、その後電柱8本でようやく小走りができるようになる。このリズムに乗るまでは走り方もぎこちない。お世辞にも力強さは無いが、気力を振り絞る精神が肉体を支配できるこの一瞬、至福の時間でもある。この走りを認識するために日頃の練習が有り、この一日のここまでがある!とは決して過言ではあるまい。

ゴール地点の出雲大社が見える頃はいつもたそがれ時であった。それが・・・今年は日没まで充分ある。

スタートから9時間48分後に無事、ゴールのテープを切ることができた。

練習は肉体を鍛え、大会は精神を鍛える!!

記録は素直に喜ぶ。また、昨年の記録を1時間以上短縮したことに自信を深める。

しかし、喜んでばかりいられない。振り返ると多くの課題が山積していた。

まずは登りに対応できる脚力を養成しなければなるまい。次に90キロ以降のスタミナ切れでは精神力の弱さを露呈した。これらを養うべく、今後は日々のトレーニングをさらに充実させることとしたい。

最後に大会関係者の皆様。沿道で応援いただいた皆様に心より御礼を申し上げます。

また、来年も参加いたしますので宜しくお願いします。 

                                              完

                 今後のレース予定

9月  村岡ダブルフル、 玄海100キロ、国東半島100キロの中で検討中

10月  みかんマラソン         ハーフ

11月  下関海峡 (エントリー済み) フル

      坂ベイマラソン         フル

12月  防府読売マラソン       フル 

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