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沖縄基地を考える。

先日の官房長官の常識を疑う発言。彼の非常識極まる暴言に沖縄県民以外も、真の平和を希求する人々は怒りを露にした事だろう。

憲法には第13条で幸福追求権、第25条で生存権を定める。その一切を無視した発言は政治家の資質を疑う。また、この国は法治国家であるかと耳を疑いたくなる。発言は信じ難く、許すべき問題にあらず。

さて、この普天間基地であるが民家が空港を囲むことから世界一危険な場所として米国本土基準でも不適格な飛行場になるらしい。大戦以降も42件の飛行機墜落事故が発生。普天間市の24%が軍事施設というからすさまじい。とても生きた心地がしない。しかし、ここは米軍の世界で最も重要な飛行機軍事基地でもあるようだ。

さて、この普天間基地であるが確実に移転すると思う。時期はやや遅れるかもしれないが、そのように向かうものと考える。また、移転先はグアム等の国外となる。その代わり莫大なお金が以前にもまして必要となる。そのため日本は大幅な増税が必要となるかもしれない。

国内の別の場所に移転するにしても、国外に移転するにしても同様にお金はかかる。因みに2005年のグアム移転案では移転費用の6割を日本が負担するとの決めている。今回はアメリカの沽券にもかかわるからその費用は更に上積みが必至である。イラク海上沖給油をやめたことでもアメリカは計算づくである。沖縄返還時以上に相当な出費があると覚悟がいる。勿論、日米同盟を維持することが前提であればの話である。

日米同盟だけで戦後60年の国体が守られたか、守られなかったか?の議論は尽きぬほどあるであろう。私も含め人それぞれに考え方が違う。

しかし、今回は日米同盟で犠牲になった人がいるとするとそれは誰か?と言う問題。

加えて沖縄の国家に対する自治権である!

これからもそうした議論が繰り広げられながら約束した5月を迎えるのであろうが、いち早く普天間に住む人をヘリコプターの喧騒と恐怖から開放したい!また、名護市の民意を反映させて移転受け入れない事を声高らかに宣言すべきであろう。

失業率の高さや、公共工事に頼る沖縄県の経済も理解でき、また基地に対して一部既得権を持つ人などの存在もある。しかし、まずは沖縄の地元人の決断を真摯に受け止めよう。沖縄が日本の本土と考えれば、理解できない問題など何一つないと考える。

駅伝レポート

この日曜日は都道府県対抗男子駅伝の応援に向う。毎年恒例の観戦ではあるが、今年のレースは特に見ごたえがあった。

区間ごとに入れ替わるトップに、最後はトラックエースとマラソンエースのバトル。

異次元のスピードにも魅せられ、すっかり観戦を堪能した1日であった。

私の家から徒歩5分で社会人、学生の走る3区中継所がある。至近ということで選手たちのアップする光景をしっかり見れるのも特典である。

その3区では正月の話題を独占したあの人も出場、昨年も箱根の熱気冷め止まぬところで彼の存在感は光っていたが、今年はさらにヒートアップ。ギャラリー一同が彼に熱い視線と掛け声を送っていた。

カメラ片手に取材記者のように追いかける人もいた。勿論、アップとはいえ彼に追いつける人はいないが・・・。もはや普通の人には戻れないのではないかと少々気の毒に思う。

高校生の若さはじける走りが実に清清しくまた眩しくもあり、気が付けば周囲に恥ずかしくなる声で応援していた。

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恐ろしいスピードでダッシュを繰り返す選手、この道はまるで滑走路状態。

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童顔ではあるが、すでに大物の風格充分のK君

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この後、300メートルで1位と2位が逆転。

地球人の悲鳴2

今朝の新聞でこのたび大地震に襲われたハイチへの支援額について、国連議長が日本は少なすぎると指摘した記事を読む。

国連運営費の殆どを拠出している日本であるが、今のところ世界2番目の経済規模からみても少なすぎるということが理由のようだ。勿論、被害の規模が甚大で想定外の事態であるとはいずれの国も同じであろう。

ランキングの内訳は1位アメリカ、2位は民間の合算、3位フランス 5位イギリスと続き日本の2つ下、17位には中国が入る。

すべてはハイチとのつながりに国益が絡むものと分析する。それだけに日本の貢献について昨日抱いた不安は的中してしまった。

日本は米とアフガンの戦争において、イラクの給油活動に長期に渡り巨額な支出を続けた。しかも法律まで変え強行したことは記憶に新しい。その額はなんと700億円にものぼるという。今回ハイチに援助した金額は、その額の1%にも満たないわずか5億円。

自国の利権に絡む戦争には協力し、災害援助について無関心と他国からそしりの声を受けかねない。

こうした援助金の額は緊急時のマニュアルがあらかじめ用意され、その上で内閣のさじ加減が加わるところであろう。

しかし、民の力は圧巻だ。集まれば並み居る大国以上に義捐金が集まる。その金額はアメリカの国としての支援額に肉薄している。また、時間が経過すると逆転すらありうる。愛は本当に尊い、また何より優る力強い弱者への味方である。

さて、その人間たちが寄り合い国家を形作る。

しかし、国家は人間本来とは別の価値観で操縦されることが多い。

この支援金額だけみると、日本の為政者のモラルも実に気がかりだ。

親の仕送りにより上り詰めた金にだらしのないぼんぼん息子に加え、昭和の金権体質を受け継ぐ議員にこの外国の憂うべく状況を冷静に判断できるであろうか?

連日の献金疑惑についての報道を見ると、不安な気持ちはぬぐえない。

最後にハイチでは、生まれたばかりの赤ん坊を人身売買のため国外に連れ去る事件が多発しているらしい。

親を亡くした子供は勿論のこと、そうでもないケースもあるようだ。

昔、罪もないのに奴隷として連れて来られた先祖。今、身勝手に国外に連れ去られるその子孫。政情不安続きの貧困国を襲う、史上稀に見る規模の災害。あまりに厳しすぎる現実が遠く離れた国にある。

こうした窮状にあえぐ国を自分なりに考え意見し実行する。

こうした態度から日本の品格を見直していくことが今、必要ではないかと考える。

為政者の中に他人の苦しみを理解出来る人が見当たらないのだから。

地球人の悲鳴

私の部屋の壁には、紫外線によりすっかり黄金色に退色した2枚の世界地図が張ってある。

いずれも数年前より同じ場所に位置するが、狭苦しい我が国と同様に窮屈な思いをしながらも他の調度品にない異質な存在感をかもし出している。

その2つの地図は私の目、地球を覗くことができる唯一の窓とも感じている。

世界でもとりわけ国土の狭い日本。地図に晒すと大陸の大きさに比べ、惨めに思えるほどである。くじらの群れに囲まれたイワシさながらともいえる。

また、日本に居を置く自分の行動範囲となるとさらに狭くなる。自宅から半径10キロ程度で行事の全てがこと足りる日もあるほどだ。世界の広さを感じることなく過ごす日は嘆かわしい気持ちになる。だから世界地図は、慣れあいの日々を過ごす自分を戒める意味から必要で欠くこと出来ない代物でもある。

私は行きたい場所、気になるところを地図上にピンで刺す癖がある。

先日、地図を眺めているとその跡がカリブ海の海上にあった。

この場所であるが、メルカトル図法など平面図で見ると落下しそうな南アメリカ大陸を北アメリカ大陸が両腕を伸ばし必死に支えているように見える。

この度その片腕あたりで援助とは裏腹の大惨事が起きた。

初めは地震があったが情報がつかめないという不思議な報道であった。

理由は政情が不安定極まりない国家であると言いたげであった。

報道も焦りの色を隠せなかったのであろう。しかし、予断を許さぬ状況は倒壊した住居跡を見ても明らかであった。

それから数日が経過。首都ポルトーフランシスは壊滅的状況にあり、犠牲者も数万人規模に上ると報道した。

災害の規模を示す情報で最も被害状況を客観的かつ的確にとらえることが出来るのは、誠に辛らつな話であるが犠牲者の数である。

災害のほとんどが被害者の予測数より始まる。

しかし、犠牲者がどれほどいるか予測する側が仮に誤った判断をすると救済も的確に行なえないことになる。事態が収束するにも余計な時間がかかってしまう。

発生後、数日が経過した今、犠牲者は7万5千人に上ると言う。発する言葉を見失う。

ここにきて各国の救援隊がようやくでそろう。果たして、どの程度の被害を想定してやってきたのか?我が国の救援部隊がようやく到着するも、充分な体制であったか?

救護現場が報道される。一刻の猶予も許されない患者が次から次に運ばれる。

医療チームは必死の救護にあたる。

だけど救援物資は不足、あるいは医師不足が事態の悪化を招いているとの報道に胸を痛める。

「助けて欲しい。」

「助けに来た。だけど助けられない」

災害救助現場で最も辛い場面であろう。これ以上の修羅場、いや地獄絵はあるまい。救出されても、簡単な怪我の治療すらできないため命を落とす人が多発すると聞く。

一体これは・・・その場に居合わせた人々は皆天を仰ぐ光景がテレビに映し出される。

災害で倒れる人、それを目の当たりにして救えない人、テレビの前でじっと見守るしか出来ない人・・・ 不意の天災を前に、人がいかに無力であるか痛切に感じる。

ハイチについて少し調べた。

コロンブスによって発見された時、アメリカ同様に先住民が存在していた。やがてスペインに占領、先住民はインデアン同様、皆殺しにされた。その後、サトウキビ畑の労働力と宛て込まれアフリカより大勢の黒人奴隷が連行されてきた。その人々が今のハイチ住民の祖先にあたる。その後宗主国はフランスに移行、1804年に民族自決によりようやく国家独立を迎えるが、その時から現在に至るまで政情は混乱続きであったという。

こうした歴史を知ると、コロンブスの発見を呪いたくもなる。

また、ハイチは西半球のうち最も貧しい国。人口の半分が栄養失調の状態にあるという。

ここまで厳しく疲弊した国の民を容赦なく襲った災害である。立ち直るには各国の相当なる支援が必要になろう。

日本も地震の多い国、また災害が起きるたび諸外国より援護を受けている。

この度も人道支援を惜しみなく続けて欲しいと願う。

さて、過去と比較できぬほど厳しい状況下にあるハイチの民衆ではあるが、生きる事だけは何とか絶望しないで欲しい。

この地上は幾たびも試練を受けた人々が、愚直にも復興のため努力を重ねてきたことで現在がある。

厳しい現状の今を精一杯生き抜くということは、これから先々の子孫と生き抜く意味に等しい。

私は幼少の頃から地図帳を眺めることが好きであった。かって片っ端から国の名前と地名を覚えたものだ。

しかし、国や地名を覚える以上にそこにはたくさんの人々が集まり、また人の数だけそれぞれの暮らしがある。また過去より連綿と続いている。

そこが重要であることに始めて気付く。

時間を共有する現在に生きるすべての人々に願う。

地上で理不尽な出来事が起きた時、まず人類が生き延びることに心から協力しよう。

我が身が消滅したあとも、変わらぬ清清しい地球であることを願えばできる。

その地球上のあらゆる場所は、海と陸のどちらかを通じつながっているのだから。

思い出

24年前に旅行で行った中国。外国人旅行者の受け入れが緩和し始めた時期に、約2週間の一人旅をした。

広州や昆明の駅に降り立つと自転車と人の多さに目を見張った。当時東京に住んでいたが、見るもの全てが違う事に度々カルチャーショックに見舞われたものだ。駅の前では兌換券(外国人の持つお金)と人民元を交換するようにと大勢のブローカーに声をかけられる。道路を走る車はロシア産トローリーバス、汽車のように途中に継ぎ目があるレトロバスだ。後の乗車用ステップには溢れた乗客達が、バスの突起物に器用に足をかけてぶらさがる。沿道のいたるところでは売り子によりサトウキビが売られている。この約20cmくらいにカットした茶色の茎を、糖分補給のためかじるのだ。一瞬甘みを感じるが、すぐ繊維質だけの味気ないものになるため道端に吐き捨てる。多くの人がデザートをこうして愉しんでいた。

昔の記憶を懐かしく思い出す。

さて、先日立ち寄った上海ではリニアモーターカーに乗る。のぞみより100キロ以上早い時速430キロの体感を中国で経験する。万博を前にした上海市内では高層ビルや高速道路を建築するため、いたるところで突貫工事が行なわれていた。また、道路では大型トラックがけたたましく噴煙を巻き上げて連なり、あちらこちらで渋滞が常態化していた。沿道はコンビニが立ち並びそこは日本かと見間違えるほどである。

今度中国に行く時は、必ず内陸を歩こうと心に決めた。

寒風に向って走れ!

寒波の訪れにより、広島の夜空にも小雪が舞い降りている。

今年は例年よりも寒い、暑いなどの会話が日増しに増えるのがこの頃だ。

誰もが冬は寒すぎることが苦痛で、寒くない方が楽であるとする考えを衆目の一致することとしたいのである。

ところが拙速に判断すると、暫くするとしっぺ返しが待つ。やはり冬は寒くて当たり前、夏は暑くて当たり前!

過ぎたるも天の決める事に人為は及ばぬ。ならば従順になるほか心地よく季節を愉しむに如くはなし。

というわけで、寒い時、寒さを忘れるには寒風に向かって走るのが一番!とばかりに毎朝のトレーニングを心待ちにしている。

さて、走れることは有り難いことといつも感謝している。しかし、毎朝のトレーニングを無事に迎える前に二つの試練(訓練)が待ち構える。

その一つは起床。4時から5時の間に起きる事を長年義務付けているが、この時期だけは少々の工夫を必要とする。

それは目覚ましの位置とアラームの鳴る間隔である。

この二つの段取りを少しでも間違えれば、あっという間に朝を迎えて消化不良のまま勤務につくことになる。

そのうち特に複数の目覚まし時計の設置場所には腐心する。

つまり、部屋中を駆け巡りながら複数の目覚まし時計を停め歩くイメージだ。

加えて携帯電話のアラームの変則音楽を駆使しつつ、一つ目の試練たる起床をクリアする術とする。

二つ目の試練は玄関から初めの一歩を踏み出すことである。

いつもは5時40分頃スタートするが、この時期の辺りは真っ暗闇である。ここで威勢良く家から外にスタートが切れるよう長年培ったコツといえば次のことであった。

1.着替えを完了させスタートまでの数分間は、ストーブを抱きかかえるようにして体を暖ためる。

2.その暖かさが冷めないうちに一気に外に出る。

ざっとこんなところである。その後の5分程度は、ストーブで強制的に暖めたウエアと肉体の表面が次第に冷めていくが、5分程度全力で走ると今度は肉体の内部から暖まり始める。そして10分で春のような心地になり、そこでインターバルを開始。500メートルを2本でもやるとすっかり真夏の気分となる。

そして最後はウエアを脱ぎ捨てる。その頃にはTシャツ一枚となっても寒さを微塵も感じなくなっている。

しかし、さすがに明日の朝は冷え込みそうである。しっかり時計の位置とアラーム編成に気を使いつつ、橋の上では凍結により転ばぬように注意しよう。

「今年の冬は例年と同じく走ると暖かいんです!」これ正解!

年明けムードを斬る!

本日より仕事を開始し二度目の週となる。先週のうちに得意先への挨拶周りを終え、さすがに今日は正月気分が抜けたかと思いきや、今年初めて会う人との挨拶は相変わらず「あけましておめでとう!」で始まる。勿論、お互いに言葉の切り出すタイミングを恐る恐る見計らっているのも事実。先週のように威勢良く決めの言葉を使えないところが相違であろう。

だが、今日もポストには何枚かの年賀状はがきが投函される。

いまどき律儀な御仁もいらっしゃると、妙に関心して受け取るが決して悪い気はしない。むしろ、年賀状が来ない人のことを思い返してしまう自分も・・・律儀な御仁を気取るクチである。元旦に官製はがきそっくりで送られてきたメール年賀状をもらったが、赤を黒ぶちにしてそのまま贈り返したい衝動にかられた。きっと私はレトロな人種かもしれない。いや、間違いない!

因みに私のよく知るベテラン調律師は500枚の年賀状をすべて筆ペンで書き込む。その時間たるや約2日間、精魂こめて賀状を書く!また異なるコメントをすべてに書き込むそうだ。

私もコメントは必ず書き込むことにしている。これは今やブロガーの常識??

さて、今年会う人の雰囲気は昨年度の新年時より断然明るい感じがする。

昨年を振り返ると国民一同が100年に一度の○○と言うフレーズに思考停止となり、この先我が身に降りかかる不幸にひたすら怯えていた感がした。

今年の雰囲気といえば、昨年ほど悪くはなさそうだぞという安堵感がある。また、それに加え「この世の中を生きるには、自分が変わらなければ何も変わらない」とする居直りのやる気?が多少見える。

勿論、巷で騒ぐほどの景気回復がある訳ではあるまい。個人個人が、また会社同士で受け止め方がまるで違うことからみれば、まだまだ先は長そうだ。

しかし、悪いことに慣れたせいでもあろう。所詮、人間など先のことは分からない。精一杯、自分の役柄を演じていけばよいのであろう。

ここはあまり人生の些事瑣末にとらわれないことが肝要。

歴史を大局から見れば、この国の今の状態は決して悪くはないぞ!

誰もが不平不満を語らず、また悲壮感ばかりにとらわれていない今年の年明けムードを歓迎する。

1月の休日

1月も早いもので10日を過ぎた。近所では大人と子供が集まり、とんど祭りが行なわれた。

さて、この行事であるが私の記憶の中に残影はない。理由を考えれば、幼少の頃は横浜のベットタウンに住んでいたからであろう。

正月の飾り物と一緒に、刈り取った青竹の先に餅をはさみ焼く。子供達は焼きたてのもちを奇声を発しながら食らいつく。伝統と風情あふれるこの行事が、これから先も長く続いてほしい・・・寒冬に空高く舞いあがる火の粉にそう願いをこめる。このときばかりは二酸化炭素削減の話題は考えにも上らなかった。

さて、その日は息子2人をマラソン大会にエントリーさせていた。場所は岩国の玖珂である。これで3年連続となるが、この度は珍しく子供の方から申し出があった。半ば強制的に参加させていた過去からの変化は成長の証し?とぬか喜びするも、お目当てはやはり物質的欲求の方であった。

会場ではゲストランナーの伊藤健太郎氏と話す機会を得た。(目の前に有名人がいると直ぐに話しかけたくなるのは私のかねてからの悪癖でもある。)

伊藤氏といえば2009年度の防府読売マラソンの覇者。今年の同大会でも上位入賞している地元出身の気鋭のランナーである。腕を大車輪の如く回転運動させてダイナミックに走る、あの独特の走法は印象に強く残る。イメージは野人ランナー!

しかし、その派手なフォームとは異なり控えめな表情と、朴訥な語りであった。実に誠実な人柄である。また若くもあるが、妙に落ち着いた雰囲気を持つ。そんな伊藤選手のベスト記録は2時間13分!目下、5月の長野マラソンに向け調整中とのことだった。

1日の練習量は朝10キロ、夜20キロが定番メニューと聞き納得しつつ感心する。

この日の彼は10キロの部に走り、30分台前半をひねり出す!!

最後に「サブテン、狙って下さいね!」と語り、固い握手を交わす。自分も彼にあやかり速く走れないかとの淡い期待もこめ強く握る。その後、息子たちとの記念撮影にも快く応じてくれた。本当に有り難たい!

帰り際、恐ろしいほどのスピードと大きな動作でレース後のストレッチを執拗に繰り返していた。プロのやることはアマのそれとはあきらかに違うぞ!と改めて認識する。

とんどにはじまりマラソン観戦、1月の休日を堪能した。

再開。

久々の更新となってしまった。その間に目を覆いたくなるほど失礼極まりないコメントが度々書き込まれた。彼等の目的は一体何なのか?理解に苦しむ。

また、サーバーが明らかに違反性の高いコメントを処理できないことにいらだたしさが募る。おそらく発信元は同一文章を大量に送信しているはずである。簡単にリサーチ出来るであろうが、サーバーはやる気がそもそもない。それはお金にならないからである。

しかし腹が立つ!正体の分からぬ相手へのやり場のない怒りがこみ上げる。

こうした不愉快な思いは今や大衆コミュニケーションの場と化したWEBに参加する代償として不可避、だから諦めてくれとでもいいたいのか?

WEBのもたらした功罪については様々な角度から日々、自らが分析する必要があると感じている。

歴史が浅く、成長著しいウエブの世界では法的措置もやはり後追いになる。

巷ではブログ炎上なるものがあるらしい。また個人の人権侵害に関わる情報漏出より、未成年をはじめ多数の被害者が生じているようだ。著名人のブログはコメントを中止としているケースが多いが、こんなことにならぬことを願う。

さて、本当に久々の更新になってしまったのはこれが理由ではなく怠け癖である!

日記とはそもそも習慣化して毎日つけるもの。その習慣がないのにブログに取り組むことに問題がある!手帳に思いついた事を書くことは多いが、PCに向うと勝手がまるで違う。書けない漢字をさも知っているように使えるワープロよりは、忘れかけた漢字を書いては消し、挙句はひらがなでノートに書き込む方が余程筆のスピードが上がる!

とはいえ足掛け4年にわたり曲がりなりにもブログを続けていることになる。ゆえにあまりに更新していないとブログの存在そのものが気になってくる。更新を意識しない日はないことも事実、やめないのであればそれに向かう他なし!

特に遠方に住む走友には、ブログを通じて元気でやっている様子を伝えることが重要!価値観の多くを共有している同士であるからだ。チームの大先輩からも年始にそのようなご指摘を頂いたこともあり、新年から数日経過したが本日よりブログを再開します。また少し多頻度に更新していくことも目標として考えます。

今年のブログのテーマはやはりマラソンとトレーニング!

昨年未達に終わるサブスリーの夢、これを追いかけるテーマを中心に書きたいと考える。また、それにともないブログ名の変更も予定している。「180分の向う側」がよいか・・・目下思案中である。

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