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もんじゅの悪知恵

文殊菩薩とは精神統一の体現者、知恵の菩薩として普賢菩薩と並び称される。

菩薩とは人々の苦しむ声を聴き分け、身悶えするほどの苦しみからでも衆生を救う修行者である。

さて、この文殊菩薩がこのたび運転を再開した「高速増殖炉もんじゅ」のネーミングの由来と知り驚く?

同時に過去の忌々しい出来事を思い返し、いかにも似つかわしい名づけに苦笑する。

知恵ならぬ悪知恵をこの世に体現するとはいかにも皮肉な話。一仏教徒として名前を語って欲しくないとも感じる。

さて、この高速増殖炉もんじゅであるが知恵の化身?として、また安全の期待を背負い1991年に運転を開始するも5年も経たないうちナトリウム漏れ事故を起こす。この事故ではお決まりの事実隠蔽により地域住民および国民から最大級の怒りを買うこととなる。

この隠蔽体質であるが、国家プロジェクトにおいてもはや常識事であろう。

沖縄返還時の米国との核密約が白日に晒されたことは記憶に新しいが、核のタブーについては関係者一同、事実関係を躍起になり隠蔽する。原発も然りと考えても不思議はあるまい。

10年前のもんじゅ事故では報告にあたる担当者が自殺した事件を想起する。

国家権力が一個人を追い詰めたと、遺族の憤懣やるせない想いを察す。

さて、私はこのもんじゅの事故を詳しく知る者でない。また原子力発電については新聞により得た僅かな知識を持ち合わせているに過ぎぬ。だからと開き直り無暗に原発を批判するつもりではない。ただ現在考えていることを率直に意見する。

まず今回の運転再開につき、地域住民に対して国家がもんじゅの安全を保証したとの報道に戦慄を覚えた。

いくつかの不可解な疑問を挙げることとする。(原発に対する不足した知識を曝け出すこととなるが、ここは仕方あるまい!)

このたびの安全基準は事故以前と比べ、一体どれ程厳しいものか?

これまで多くの安全神話が大自然の猛威によりことごとく書き換えられたが、想定を大幅に超えた時の用意が果たしてあるのであろうか。いうまでもなく日本は世界的にも稀な地震大国である。数年前に起きた新潟地震で柏崎原発が間一髪であったこと、また最近は世界レベルで地震活動が活発化してきていることなど・・・不安要因を挙げれば限がない。

また、チェルノブイリ原発事故発生から約10年後にもんじゅの事故は起きている。アフター・チェルノブイリである。事故の内容こそ違えども人為的ミスと設計上のミスが重なったことに変わりはあるまい。チェルノブイリでの死者は10万人以上ともいわれる。これは原爆により広島で犠牲となった死者に匹敵する。加えて有事に原発が狙われたら最後、爆発による被害は想像を絶する。民家に自前の核爆弾を隠し持つことに等しい。では、一体これをどう解釈すればよいか・・・

また、過去例より起こりうる全ての可能性をデータベースで考えられるとすれば、世界的に今もなお大小の原発事故が多発している事への裏返しにならないか?

もんじゅにつき安全基準を策定し太鼓判を押した文部科学省と経済産業省に加え、主幹の日本原子力機構に対するチェックは機能しているといえるか?

最後に、今回のもんじゅ運転再開を認定した立場の人々は地域住民に心より責任を持つ人といえるか?

何はともあれ運転再開を優先したともいえる事件が昨日もあった。

今回は検出器不具合につき公表遅れの報道である。

また核不拡散条約の気運が拡がる中、核弾頭に積載できるプルトニウムを原発により日本が作るのではないかと疑惑を持つ国があるらしい。

そのためIAEAから世界各国で最大規模の200人の査察官が日本に常駐していると聞く。(数年前の記憶だが・・・)核廃絶を世界に訴える我が国の立場として甚だ迷惑な話ではないか!

とにかく原発による恐怖がトラウマ化した人が多いことも事実、これらの厳しい目に行政はまず向かうべきだ。

提言すると、不信感が募る国民に原発の安全性を伝えるばかりでなく、しっかりリスクを説明すべきではないか。

今、まさにその時期にあたると感じる。

国政に対する信任が揺らぐ現在、大切な命を危険に晒すことは断固避けて欲しい。

行政が保証する国民の命は国債の元本保証と同じであると、霞ヶ関の机上で考えられてはいないかと懸念する。ここは慈愛に充ちた文殊の知恵を望む。

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