2013年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

« 2010年7月 | トップページ | 2010年9月 »

入道雲

あの日も暑かった。

着替えを取りに自宅に戻る電車には、昼間というのに大勢が乗り合わせていた。

その日、自分だけが特別な人間と感じていた。

『そうだ。たった今・・・大切な人を失くした。』

周囲を見渡して、見ず知らずの人にそのことを告げたくなる。

『不思議である。誰もこの私の異様さ加減に気がつかないのか』

相変わらず無関心を装い、他人の目線を避けるように視線を移す人々。

感覚を研ぎ澄ませてみたが、電車内はいつもと異なる様子はない。

この時、私だけが自然な状態にあり、逆に大勢が不自然を装っているかの如く思えた。

『大きな穴が心に開いた。』

その穴を埋めるものは今、到底見出せない。

だから・・・

しばらくはその穴を覗きこむことにした。

少し乗客が降りたため、車内に空席が目に付く様になる。

目の前の席が空くと、まるで儀式のしきたりのように腰を下ろす。

しばらくはうつむいたり、天井を見上げたりを不規則に繰り返す。

やがて音が消え、臭いもなくなり、また何一つ見えなくなった。

電車を降り、海辺近くの家まで歩いた。

見上げると、そこは夏模様の空。

海から入道雲が、勢いよく天に向って立ち昇る。

雲上に、まだあの人がいるのではないかとじっと目を凝らしてみる。

森の木々は鮮やかすぎる緑をたたえる。

海の照り返しは、目がくらむほど眩しい。

いつもと変わりなく過ぎる真夏の一日のはずだった。

『あの人は、たった数時間前までこの空間にいて、自分と同じ呼吸をしていた。

吐いた空気をかき集めて雲にすることができれば、あの人は元に戻るまいか・・・』

真夏の入道雲を見ると、8年前の8月に逝った父を想い出す。

人の形をしているとつい、生前の彼の姿と重ねる悪癖が身についてしまった。

                                        2010年 夏

夏の思い出8/21 ②

このたびのパーティーには学生時代、山岳部の部長まで務めたこともある友人K氏が同行した。約20年間、仕事を共にする相棒でもある。

アルプスの常連、しかも7.000メートル級の海外の山にも挑んだ猛者だ。

百戦錬磨の経験の持ち主、加えてこの大山はすでに5回踏破しているとのこと。

その彼がいるだけで、いかなる難コースといえども登頂は可能であることに他のメンバーも疑う余地はなかった。(内緒話だが、実は前日ぎっくり腰を発症。それを圧しての参加であった。変人に脱帽!)

しかし、彼と友人が前日に選んだこの日のルートは、一般コースではなく一部は登山道から大きく外れる険しい道が含まれていた。(そのことを確認したのは登山後の話となる。)

さて、この日の山の天候である。

雲が掛かり突然、やや強い雨に見舞われることもあった。しかし、大山名物の日本海からの吹きさらしはなかった。時折の雨は汗を洗い流す役目を果たし、むしろ心地よいばかりのものであった。また、雲の中にいるおかげで真夏の日差しが直接照りつけることもなく、私のような素人が挑む大山登山にとっては好条件が揃っていたといえよう。

古寺名刹として名高い大山寺を朝8時にスタート。1.500メートルの非難小屋までは登山道を快調な足取りでたどる。とはいえ、初心者向きに整備された登山道ではないから険しい場所も少なくない。あれほど登山口で見かけた子供や若者の姿は、以降さっぱり見られない。

道で出会ったパーティーは全部で10組程度であったか。皆が頭の先からつま先まで完全に登山者の装いであり、熟練者および経験者であることが容易に想像ができた。また年配の方が多かったが、その身のこなし以上に動きがきびきびしていたことに感心することしきりであった。

さて、いよいよ1.500メートル地点、ここは3つの選択肢が出来る分岐点がある。

一つは山頂とは逆方向にある小さい頂きに向うコース、次に下山専用で小石の川をひたすら降りる道、そして三つ目は山頂に向うコースである。そして、我々一行は山頂コースを選択したが、このコースだけは登山道ではなかった。

ポイント近く、山頂に向う入り口には緊急非難用に立てられた山小屋があった。そこで4人は持参した弁当を食べる。山で味わう弁当は、味に少々難のあるコンビニ弁当にも拘わらず絶品!と唸りたいほど実に旨かった。空気と景色が味覚を格別にした感である。

この時の様子である。

隊長のK氏は勿論、疲れがみえない。友人二人はかなりバテ気味であったが、残すところ高さ200メートルと迫った山頂までは問題なくたどり着ける雰囲気にあった。私といえば元気そのもの、日頃のトレーニングの成果であろう。体力的には消耗している気配すら感じなかった。

山小屋で休憩していた人から話を聞くと、約2時間ほど尾根伝いに歩くと最高点に達するとのことであった。

『よし、もう少しだ。』

一同、気合が入る。

それから20分程度登る。

その間、足元を支える尾根の道幅がめまぐるしく変化する。

狭いところで1mのところもあれば、背の低い山野草が道を塞ぐほど、生い茂るところもある。

険しく切り立つ岩を幾度となく越える。

『稜線とはこれほどまで頼りがいないものか』

地上からは、ただ美しく見えるだけの稜線を実際に歩くとそんな風に感じた。

また、荒々しい自然の創り出す光景に興奮を覚えた。

道端に咲き誇る高山植物の名前を、花屋を経営する友人に尋ねながら歩いていた。

至福の時間であったはずが・・・

一瞬にして思わぬ場面に出くわした。

眼の前に現れた稜線の道幅は最大で約50cm、それが20メートル先まで続く。

道の左右を見下ろすと、180度に近い断崖絶壁である。

また、そのころ丁度雲が掛かっていたこともあり、見下ろす視界に障害物が何もない。

私が見るところ地獄谷の様相を呈していた。

隊長が渡り、次に花屋の友人、その次に友人と3人はすでに渡り終えていた。

つまり私も行かねばならぬかと覚悟を決め、少し進んでみた。

ゆっくり、ゆっくりと歩む。

すると・・・

3メートル進んだところで急に足がすくむ。

左右を見下ろす。益々恐怖心が募る。

立ち止まり10秒程度、考えたであろうか。しかし、恐怖心は一向に収まらない。

もはやここまでと考え、その場で皆に向かい声を発する。

『無理だ!これ以上先に進めない・・・』

『分かった、無理するなよ!』

皆が心配そうに声を掛けてくる。

その時、体は緊張のあまり固くなっていた。膝を折り曲げてかがむ姿勢すら出来ない。そうすると、重心を一気に崩しそうな気がしたからだ。

しばらくは、その場で立ち尽くした状態にあった。

花屋の友人が少し大きな声で、

『おい、四つんばいになれるか?4本足なら大丈夫。きっと無事に戻れるぞ』

言われたとおり思い切って膝を曲げ、そして手を地面につける。50cm幅の道一杯を四つんばいになった大男が埋めた。

崖の左右を見下ろすと、相変わらず雲の上を飛んでいるようだ。

『どちらに転んでも命はあるまい』

思い切って手を動かしてみた。3メートル先のもと来た道までは、何としてでも戻らねばなるまい。

ここで何か手で掴めるものがないか探してみる。しかし、辺りには数センチ程の背の低い雑草しか生えていない。しかも、根が強く張った丈夫そうな草は見当たらない。

それでも頼りにするものがなければ、何かにすがる他ない。

その時、辺りの草を鷲掴みにした。

『溺れるものは藁をも掴む。』

いや、そうでもしなければ拡がる不安に耐えられない。

ゆっくりと一歩、一歩這うように踊り場を目指す。

後に考えたことだが、たとえ友人とはいえ人前でやる行為とは言えまい。

しかし、私は生きるためにその道を選択したのだ。

元の道までの3メートルは随分長く感じたが、何とかたどり着いた。

友人3人は続いて戻ってきた。そこで私は『悪かった、先を急いでくれ!自分ひとりで降りるから気にしないで欲しい。』

すると山に詳しい隊長が語る。

『こんな時に分かれると事故に遭うことが多い。だからこれからも全員で行動しよう』

続いて花屋の友人が語る。

『俺たちも体力的に限界に近づいていた。ここでの下山はタイミングとして止む終えまい。先に行けば更に厳しい局面があろう。また、もしかしてこの先に進めない可能性がある。ここは、一緒に降りよう』

かくして山頂まで残すところ標高で約100メートルのところで無念のリタイヤとなった。

その後も友人に対する罪悪感が我が身を包み込む。自分の気持ちの弱さを攻める。しかし、自分を責めてみても過去に戻れない。また現実は変わらない。

帰りの3時間半の道のりは罪滅ぼしの気持ちも手伝い、一人ハンドルを握る。

そこでも考える事は、あの時あの場面。

また居酒屋での打ち上げならぬ反省会でも、自らがその話題を持ち上げる。

皆も私の気持ちを察してか、『その場は疲れすぎていて恐怖を感じなかっただけだ』と慰めようとしてくれる。しかし、私の気持ちは治まらない。

その場で次回のリベンジの約束をした。

あの場所で同じことをやるとは限らない。

あの道の先にどのような試練が待ち受けるか想像すらできない。

しかし、必ずやこの度以上の修羅場に挑み、畏怖心を跳ね返す事にしようと決意する。

あの時・・・やはり死にたくなかったのかもしれない。

だけど、いつでもそんなことを考えて生きているわけではない。

むしろ生死を越える死生観を身につけたいと日頃は考えている。

生への執らわれ、つまり執着こそ多くの煩悩を招く不幸の元。

死を恐れる心がある限り、平常心ではいられない。

死はいつも背後にあることを忘れ、生を貪ることを恥と考えねばなるまい。

一体、生と死を分別する事自体、生きている証しであるといえようか?

結局、この瞬間に生きていない、だから生と死を考えるのではないか?

2日が経過し、ようやく何に憤りを感じているか理解できた。

また、心の修行が足りないことを大いに反省する。

『K氏、H氏、T氏。今回はご迷惑をお掛けして大変申し訳なく思う。また、友情には心から感謝している。分かった、もう一度大山に挑もう!また、今日のテレビにあった大峰山の荒行、西の覗きはやってみるつもりだ。その時、皆の同行をお願いしたい!』

夏の思い出 8/21 ①

連日の猛暑、いや酷暑を乗り切るには暑さから逃れるだけではいけない。

寒さを感じないためには寒風に向って走れ!と高僧も教える。これはランニングを趣味とする自分にとって、いかにも好都合な言葉。

では、『真夏も走り抜けるか!』とばかりに盆休みに炎天下のランニングを決行してみたが、体を激しく痛めつけた割りに効果は左程でもなかった気がする。

その後もやはり暑い!いや、適切な表現をすると暑さという感情が自然に沸き立つ!

最近では、この感覚を麻痺および抑えることに限界を感じ始めた。

ここまでくると『夏の暑さ』は今後、トラウマ化するかもしれない。

熱中症など暑さに冠を捧げるかの言葉が周囲を飛び交う。今月の流行語大賞に間違え有るまい。危険であることは分かるが・・・ついこの前まで、新型インフルエンザの猛威に国民が震え上がったばかりである。

メディアは、過剰なサービス精神?と会社間の競争原理により脅威をことさら大きく演出する。

連日の猛暑を映像と、一般人の言葉を借りてきては煽る。さらには天気予報まで特集を組む始末。

自分だけは頭を冷やし、ここは冷静に装おうと考えるがやはり暑い!

さて、その暑さ対策である。

まずは感情の元である意識に暑さが潜り込む事を防ぐため、『暑い』という言葉の使用を避けることとした。

次に、秋を感じるものを必死に探してみる。蝉の声、虫、草花、日の翳り・・・

例年に比べると速度こそ遅いが、主役は着実に入れ替わりつつある。季節の中には次に控える季節が必ず待ち構える。この摂理だけはかろうじて対面を保ったようだ。

『そうだ、暑さの中に秋を見つけにゆこう!』

そう言うわけで(どういう訳?)友人3人と鳥取大山に登ることにした。

P8171147

ランシャツにランパンの装い、しかもジョギングシューズ。とても登山客に見えない。

P8171158

大山から見下ろす中国山脈 蒜山の方角 勿論雲の上である

P8171149

3人の友人 大山寺にてポーズ

P8171161

1500M地点から山頂の剣が峰を見上げる

P8171162

山頂および傾斜部では岩肌がむきだす 

P8171163 

この上の画像、1600Mあたりの尾根で忌々しい出来事が・・・

死刑の抑止力

刑罰としての死刑の在り方が再び問われている。

現在、先進国で死刑が執行されているのは日本とアメリカぐらいである。

片や移民国家と単一民族の組み合わせは、いかにも象徴的でもある。

さて、この死刑という言葉に遭遇すると多くの人は思考を停める。

法律の下、極刑として認められていれば当たり前の話である。つまり死刑とは、これ以上時間を掛けることなく、犯人の死をもって犯罪を収束する式典。

死刑を指示する考え方の中に、この簡潔性も一つの理由にあるのではないだろうか。

しかし、審議を司るのは人である。

断固、毅然として向うケースもあれば、判断に気迷うこともあろう。

では、死刑を望む犯人がいればどういう話になるか?

ここで同時に、死刑は犯罪の抑止力になるか?との疑問が生じる。

昨今、二人以上を殺せば死刑となることを動機とした凶悪犯罪が増加している。

これでは罪のない人を犠牲に、犯人に対して理想の死を提供しているようなものではないか。皮肉な話であるが、無差別殺人などが該当しよう。

では、死刑が犯罪を抑止する意味を持たなければ、ただ罪の制裁のためだけに用いられることとならないか?

これでは単なる合法的殺人ゲームではないか?

それに興じている訳ではないだろうが、現在400人もの囚人が来るべき日のため待機している。

こうした犯人をこの世から抹殺しても、今のところ直ぐ犯罪が途絶えることにはならないであろう。例えてみると、殺虫剤を改良しても次から次に虫が変異(変性)していくことに似る。

また、『自白すれば死刑は免れる』などの恐喝まがいの取調べにより、無理矢理犯人にさせられる不幸な人も後を絶たない。免罪事件の大半で、被疑者はそのように証言する。

犯罪者を捏造することに死刑制度が利用されるのであれば、人権擁護の観点からも制度の存在すら疑う。

次に、犠牲になった被害者が加害者に対して死刑を望まないケースである。

例え非道な仕打ちに合えども、死を持って報いよとする死刑の在り方を批判する人も多い。こうした理念を持った人が不幸にも被害者となれば、死刑を執行することで被害者の品性と人格を傷つけることになりはしないか?

凡そ人道主義者は、人の持つ悪ではなく、まずは社会悪に道義上の連帯責任を感じる。

犯罪は現在の社会そのものを投影するものでもある。つまり、社会のあちらこちらに悪の巣窟がはびこるから犯罪が絶えないと・・・また、モラル崩壊を理由に凶悪犯罪が起きるとも考える。

道徳を説く人がいなくなって以降、この国はおかしくなった・・・

犯罪の目を小さいうちから摘み取る社会の目、いわゆる社会の監視機能が現在、麻痺していることを心から憂う。

平安時代の350年間は一度も死刑がなかったという。また、死刑制度を撤廃することで犯罪が多発した国の例は未だ耳にしない。

今、時代にストレスを感じる人は多い。ゆえに社会から阻害されたと感じる人が多いのも事実。

また現在の日本は有史稀に見る格差社会に突入している。

これらは明らかに社会システムの障害が引き起こしている。

一つに富の分配が万事公平に進んでいないといえよう。

このままていくと、弱者は益々社会に痛めつけられる。

また大戦後の価値観の変化により、すっかり拝金主義および個人主義を衣にまとった国民性となった。

こうした社会に対し、社会的弱者は益々疎外感を味わうのであろう。それらが負のエネルギーを蓄え、やがて犯罪を作り上げる。

犯罪は人間そのものからではなく、共同体たる社会から生まれる。

また、社会悪を栄養源として人を作り変える。

私は生を受け現在に至るまで、生まれながらの犯罪者の存在を未だに知らない。

さて、ここで提案である。

死刑を一度ゼロベースに戻してみよう!

中途半端でなくその一切を取りやめてみよう。

それを契機にあらためて今の社会の在り方を問う。

まずは国民で犯罪を醸成させる社会を猛省してみよう。

例えば、不正の温床となる政治および行政の国家システムを厳しくチェックする。

次に礼節を教える道徳教育に重きをおく教育制度を再構築する。

そして最後に、富の公正なる分配を念頭にまずは行政より格差是正の道を探る。

思考を停止させ、抑止力にもならない死刑をこのまま認める訳にはいくまい。

今後は死刑に依存することなく、犯罪者を作らない知恵を出す。

まずは、死刑制度がないことを犯罪の抑止力としてみよう!

共同体に所属する一人一人の目を、組織を構成するため欠くことのできない確かなものとする。

勿論、時間はかかるが必ず実現できる。

まずは家族、次に地域共同体である。

過去が示す基本にさえ戻れば、凶悪犯罪はなくなるはずだ。

『死刑!』は漫画ガキデカの名台詞とだけ記憶に留めたい。

私の8月6日

8月6日は人類初の原子爆弾が戦争で使用され、罪のない多くの一般人が殺傷された日だ。

65年前の出来事とはいえ、現在広島に住む私にとって昔の出来事という感じは全くしない。数々の生々しい場所、火傷の傷跡が残る人々、そして友人の多くは被爆2世という事実。

広島に住む住民一人一人がそれぞれに特別な意味を持ち迎える1日でもある。

記念碑および戦没者名簿の前では、多くの市民が慰霊に訪れ花を手向ける。例年のことだが、朝から厳しい日差しが容赦なく照りつける。

朝8時前には平和式典が開催され、各国要人が我が国閣僚と共に同席する。

今年は核を落とした張本人、米国のルース大使が出席した。米が謝意を行動として初めて示すことに話題が集まった。中には歴史的転換点と騒ぎ立てるメディアや論客もあったが、この度はいかにも政治的な色合いが濃すぎる。言い換えると米国と国益を共にする国々の幹部が参列したにすぎない。また、今回駐日大使が出席したことで、未来永劫にわたりアメリカ大統領が参列する可能性が消えたと私は考える。

騒々しく訪れ瞬く間に帰国、もしくは官邸に戻る魂の抜けがらより、遠くから式典に訪れる高齢者の交通手段を考えるべきだ。この式典に広島市と国は20億円という途方も無い大金を投じるというが、国民および被爆者のコンセンサスを得られる出費であるかと問いたくもなる!

さて、原爆が落とされた8時15分になると、式典にも拘わらず街中にサイレンが鳴り渡る。市民は戦没者のため1分間の黙祷を捧げる。サイレンのけたたましさは市内の何処にいても聴こえるほどだ。ただ音が大きい分、サイレンが鳴り止む手前の余韻は物悲しささえ覚える。

この日、広島市内の学校はどこも登校日となり平和教育が行なわれる。

日中の光景といえば、市内のあちらこちらで墓参りに向う人の列を見かける。因みに命日をこの日とする人は10万人をくだらない。

そして日が翳りだすと再びドーム周辺には大勢の人が集まり、灯篭を流しだす。

あの世に届けと云わんばかりに、供養の心を灯篭に託し川に流す。時に、弔われた人があの世に向う行列にさえ見える。きわめて神秘的光景でもある。

さて私の8月6日であるが、多くの広島人と同じく原爆ドームを訪れる。

6年前より被爆ピアノコンサートの設営ボランティアをしている。(スタッフの総勢は10名足らず、一人でも欠けるとスケジュールにも影響する。)

参加の理由は、被爆ピアノを譲り受け10年前より全国で平和コンサートを続けるピアノ調律師、矢川さんとの出会いからであった。

彼と元々は仕事のご縁であったが、深く付き合いを重ねるうちに彼の活動を純粋に支援したい気持ちにさせられた。

矢川さんは、ここまでに120台のピアノを養護施設や外国に寄贈されてきた。日本在中の個人において、ここまでピアノを寄贈し続けた人はあるまい。過去に数多くの表彰を受けているようだが、これだけでも他人が真似事すらできない偉業である。

それにも拘らず、被爆ピアノを譲り受けた時に更なる使命を感じたという。

『被爆ピアノにより平和を訴える!』

この被爆ピアノが9月11日、海を越えニューヨークに渡る。グランドゼロで被爆ピアノコンサートを開催するという歴史的事業を、彼は今まさにやり遂げようとしている。

彼とのご縁については、いつかブログに書き留めたい。

さて、私がこの被爆ピアノコンサートに立ち会い最も感じることといえば、平和な空間を共有しているとの感覚である。実に幸福感に充ちた感情でもある。

思想や政治的なことをいえば角が立つ。人それぞれに譲れない持論があろう。

しかし、ピアノの奏でる平和の調べであれば、誰のもとにも自然に心に溶け込んでゆく。この心こそ平和を希求する心の礎となる。

さすがにこの日ばかりは仕事もキャンセルすると心に決めている。

さて、今年で6年目となった。

今日も朝から混みあう道をドームまでたどり着き、平和コンサート設営を手伝った。

それが、現在の私の8月6日に課したことでもある。

P8031122_2 

この先に原爆ドーム

P8031123

さらば広島市民球場。

P8031124_2

P8031126 

P8031127

P8031128

P8031132

被爆ピアノと矢川氏

P8031137

被爆した樹木 アオギリ。

夏の思い出 8/1/2010

今日は、地元で開催された水中を走るリバーマラソンに参加した。

昨年はじめて仮装し出場した大会である。早いものであれから一年、大会が近づくごとに今年の仮装に頭を悩ませるが・・・その理由はこにある。

P7071066

知らぬ間に、昨年のカニ姿がポスターとなっていた。街の掲示板や公民館、役所、学校などに貼りだされたようだ。これに気が付いた人は少なかったが、唯一中学生となる息子の友人に知られることとなったようだ。息子は噂が拡まることを恐れ隠蔽するのに躍起であった様だが,以来会話がめっきり途絶えることとなる・・・

さて、子供が多いことも大会の特徴。1100名の参加者のうち7割が子供だ。やはり、夏休みの思い出に出場する子供も多い。そこで彼らに対して今大会出場を印象づける仮装をしたい。しっかりイベントを楽しんでもらいたい。(断っておくが関係者ではない)

あれこれ考えてはみたが、今年は作家がテレビ放映化するなど話題性もありまさに旬!と考えこれに決めた。

P7291121

P7291118

このフルフェイスのマスク。実は3年前、えびすだいこく100キロマラソンで知り合った境港のランナー、通称『目玉親父』の持ち物である。現在もこの姿で100キロを走り続けている。この度は、被りものの世界では由緒正しい?マスクを借り受けることとした。まさに貴重品である。さすがゲゲゲの地元、作りも精巧で見るものをその世界に誘う。

マスクを手にした瞬間から日頃のレース参戦とは異なる意味でモチベーションが急上昇、被り根性まで彼から授かった気がした。

密かにあこがれていた仮装だったのか?被ってみたら何故かヒーローになった気がした。

さて、普段走ることのない水の中、3キロの個人競技と500Mのリレーを被り物でこなす。

水量はやや多め。今年の梅雨後半に降り続いた雨は、まだまだ豊富な水を山に蓄えている様子だ。競技終了後に放水があるから、川には入らないでくれとのアナウンスにあらためて状況を把握することとなる。

午前中とはいえ日差しはきつく、気温はかなり上昇した。しかし、この被り物は実に都合がよい。紫外線対策にもなる!また、考えていたよりはずっと涼しかった。

個人競技には友人二人が参加、いずれも仮装に付き合ってくれた。

花屋を経営する友人はひまわり親父、工場を経営する友人はカラス使い親父。

普段より杯を酌み交わし人生を語り合う面々だ。息の合わぬはずがない!

レース中も抱き合ったり、ポーズを決めたりの大騒ぎ。

一体誰が一番愉しんでいるのか、容易に想像がつきそうなものであろう。

子供達の反応もよく、しっかり大会の記憶に刻んでくれたのではと期待する。

最後に、昨年のカニ姿よりも大人の反応が悪いように感じた。この理由は、仮装で顔全体を覆うからであろうと推測する。

サングラスをかけた人と視線はあわない。だからなるべく目を見ないようにする。

そんな心理が働いたか・・・

P7291119

ありがとう。ひまわり親父にカラス使い親父。来年もまたこの場所で!勿論被り物を忘れずに!!

競技の愉しみ方も様々な方法があるものである。

« 2010年7月 | トップページ | 2010年9月 »