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人災の極まりレベル7 『風評被害』

風評被害の正体みたり。それは醜い自己愛であった。

風評被害を端的に言えば、言動に責任をとらぬ一連の行為だ。

しかし、実害を加えるとする意識が一様に希薄であることに特長がある。

だからといって言い逃れはできまい。

話題に対する消極的参加者と換言できまいか。

この風評、例えて言えば、無責任が服を身にまとい街を闊歩している状態であろう。

このパレードの参加者に共通していえることは“無知”であり、また“無知への自覚”がないことでもある。

知性から発する好奇心と一線を画す。

風評を受け入れる気持ちは、不安の払拭が深層心理に潜む場合が多い。

元々話題に根拠がない。

だから、賛同を求めるべく他人を巻き込もうとする。

こうした自己防衛の行為は、醜い自己愛が導く。

話を聴きいれる相手選びとは、自分のレベル、もしくはそれ以下が対象となる。

負および腐の連鎖は、こうして時とともに拡大する。

『これは風評被害だ!』

叫び始める人が、被害者以外にも増えはじめる。

すると事態の背景と正確な内容説明を、繰り返し一般に訴えることが最良の策と考えようとする。

その情報を公開するタイミングと解説する役目にある人間により、事態がさらに深刻化する場合がある。

被害者救済の道筋をはっきり示せないまま、ただ不安の種を撒き散らす。

すると、情報を聞きつけた人々は不安に陥る。

それまで何事もなく過ごしてきた人、また深く考えなかった人も、話題に乗り遅れまいとばかり自己防衛に走る。

風評の告知はさらに消極的参加者を増やす。風評が炎上するとでも言うべきか。

被害者の実害が拡大の一途をたどる。

風評とは、噂とも言い換えられる。

『噂を信じちゃいけないよ。』

一世を風靡したあの唄が空しく心に響く。

混迷する時代背景のもと、ちっぽけな偏見が次から次に市民権を得る実情に不安を感じる。

事態収束のためのシナリオはお構いなし、鮮度ある情報を伝えることがミッションと、不必要な情報を切り売りする無能なメディア集団に腹が立つ。

また、評価に値するするかけらさえ見出せぬ、器量に欠く政治家の面々。

加えて売名かギャラ目的か知らぬが、軽率なメディアに引っ張り出されて突然大学の講義を始める厚顔な有識者?(因みに彼らは我々を無識者と呼ぶのか?)

これらのミスキャストが演じるお茶の間劇場こそ、事態を拡大させ収束を妨げていることがまだ分からぬか!

さて、風評と向かい合った時、大人として一体どのようにあるべきかを考えてみよう。

これには自らの良識と善意の考え方で対抗する他あるまい。

この善意とは、言い換えると慈悲深い人間愛である。

この愛の力こそ、日本を窮状から救うものだ。

恐怖を煽る人は責任を取らない人。また、自分さえよければ他人はどうでも良いと考える人。

海外に拡がる日本への風評被害の中、国内の風評被害騒動などあってよい訳がない。

日本人の矜持が今こそ求められる。

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