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乾燥剤屋の梅雨模様

このところ梅の販売を始める店舗が増えたようである。

街路では、水を得た魚のように生き生きと成長するあじさいを眺めると嬉しくなる。

先日、例年より10日以上も早く西日本が梅雨入りしたと発表があった。

乾燥剤、除湿剤の仕事に関わり、早いもので20年を数える。

元々、この仕事は梅雨入りと深い結びつきがある。

それは、さながら灌水した田んぼとカエルの関係とでもいえようか。

水を張るほどに、生命が脈々と息づくかのごとく、湿度の高まりにより除湿剤は一気に需要が拡大する。

これから秋の台風シーズンにかけて、年間で最も湿度が高くなる時期でもある。

家ごと雲(水蒸気の塊)に包まれるケースも珍しくない。

兼好法師の言葉にある。

住宅は夏を旨とすべし

職業柄、まさに至言と言わざるを得ない。

戦後、建造された日本の住宅の多くは、この偉大な先人の忠告に耳を貸さなかった。

治安、騒音、エネルギー効率を最優先、狭い国土に機密性の高い住宅ばかり建てる。

土地が間に合わなくなれば空間を使えとばかり、コンクリート製の箱物を次から次に建造する。

機密性の高いマンションや一戸建てなどは、屋内にカビや不快害虫の生息条件を提供する。

こうして我々の仕事がこの世に認知された。

文明開化以前の開放型住宅では、全く必要のない代物であろう。

大きく開いた家同志の間隔は、風が吹き抜ける道を提供する。

床は地面よりはるか高く、どこからでも風が縦横無尽に吹き抜ける理想の構造である。

そこには屋内の約8割を開放できる窓枠が用意され、木の扉により自在に開閉できる。

住宅を覆う塗り壁は、そのものが呼吸をする土壁。

はりをはじめ、骨格部分のすべてに呼吸しやすい木材を使用する。

強く雨が降る。

すると雨戸を閉めて、水分の浸入を防ぐ。

それでも元々通気性のあることより、1時間に数度は屋内の空気が入れ替わる。

いざ天候が回復すれば雨戸を開放、乾いた風が屋内を循環する。

この風は水分を吸放湿する天然品、畳の井草、漆喰などの塗り壁、木材をすっきりと乾かす。

乾いた天然品に害虫やカビは繁殖しない。

古来の住宅に対する知恵を侮るべからず。

効率化を求めるほどに、新しい問題を作る。

そのため、問題解決に向けたエネルギーを費やす。

とはいえ、狭い国土でこれほどの人口増加を吸収するには、近代建築が必要であったことも事実である。

除湿剤は、あまりに人工的に作られた、近代都市の弱点を補完する商品といえよう。

部屋の湿度を適度にしなければ、人体への悪影響は免れない。

空調だけでは、すべての空間を調湿することはできない。

また、これより電化製品の使用方法が様変わりするであろう。

こうして考えると、しばらく除湿剤が必需品であることに間違えはなさそうだ。

梅雨の季節に忙しい理由を自ら尋ねてみた。

さて、今年の梅雨はどうか・

歳月が経過したこともあり、最近ではこうした問いにようやく自然体になりはじめた。

しかし、自然に向かって自然体というのは、やはり不自然であろうか?

やはり、自然に優る自然はなし。

3時間の向こう側

何がなんでもサブスリー。

想いは募るばかりである。

目標を立てた当初は、ただの通過点と思っていた。

それから13年の歳月が流れた。

手元まで手繰り寄せたかと思えば、するりと手から抜け落ちる。

あれは夢か幻か・・・

とりわけ故障の時は気が滅入る。

このまま走れなくなるかもしれない・・・不安ばかりよぎる。

そうこうしている間に、知人のランナーが次々に達成していく。

それと同時に、眼前に立ちはだかる壁を感じ始める。

目標の下方修正などありえない。

ならば超長距離の記録狙いといくか。

そんなことを考えた時期もあった。

しかし、マラトンが命を賭して走りきったあの距離にこだわりたい!

つまり、自分のフィールドは42・195キロメートルでなくてはならない。

その決めた距離で力を振り絞り、マラトンのごとく人生でたった一度の走りに徹っしてみたい。

自分を男として認める約束事、それがフルマラソンを2時間台で走りきることだ!

この目標に到達したことで、人類に多大なる功績を残すことはあるまい。

あくまでも自らを鼓舞するため、目標に置いたフィギャーである。

しかし、自分史の完成において重要なものとなろう。

ゴールを目指すだけではない。

いつでも力を出し切ることに意義がある。

平常にこそ意義がある。

そのままの状態でレースを走り切る。 

結果、目標としていた時間内でテープを切る。

趣味というにはあまりに軽すぎる。

自由時間に繰り返し行うことに違いはない。

しかし、これまで興じてきた道楽とは異なる気がする。

生きがい、生き様、人生の一部・・・

気の利いた言葉が見当たらない。

いや、敢えて言葉に置き換える必要を感じない。 

“生きている”

そう感じる事の出来る貴い時間に間違いない。

では“3時間の向こう側”に一体何がある?

考えてみただけでわくわくする。

新しい心の境地が開けることに間違えなさそうだ。

体全身に震えが止まらず、泣き笑いをしている自分の姿を思わず想像していた。

防府読売マラソンまであと6ヶ月。

1日一生

私の足は、この体重を支えるだけで精一杯。

一歩すら足を運べなくなっている。

踏み出すとバランスを失いそのまま倒れこんでしまう。

腕は数トンもの鉛をぶら下げたように重い。

眼前を小蝿が往来する。

振り払う力さえわかない。

頭の内部からこめかみにかけ、強い圧迫感がある。

一刻も休むことなく考え抜いたためであろう。

小刻みに襲う旋律にしびれ、思考力を失う。

もはや少しも動けない。

また、何一つ考えることが出来ない。

よし、ここは休む他あるまい。

もはや限界、勝負はここまでだ。

背中とお尻で同時にベッドに倒れこむ。

頭をしたたかに打つことになるが、痛みをちっとも感じない。

おや、今度は何も見えない。

まぶたを動かす筋肉まで力尽きてしまったようだ。

いよいよ体内に残されたエネルギーは完全に枯渇した。

少しだけ時間が経過した。

物音一つない静寂の中、心臓の鼓動を耳にした。

自分はまだ生きている!

心が体より解き放され自由に飛び回る。

体もいつものような心の奴隷ではない。

支配を免れ最も自然なポーズをとる。

負荷のない状態とは、まさにこのことだ。

これほど甘美な疲れがあるなら、死の状態もそうあるべし。

さて、一日を生き抜いたご褒美とばかり再び我が身を暗闇に委ねる。

目を覚ますと、すっかり夜が白んでいた。

朝陽が窓辺より差し込む。

あれほど無力であった体が、嘘のように動き始める。

さあ、今日も元気一杯だ。だから、思いっきり疲れよう!

人生とはこう在るべきなり。

原発

その日、歴史は変わったのだ。

以降、考えるべき問題ではない。

人間が制御できなくなった時点で、この議題の一切は無用との結論を得た。

安全性は根底から瓦解した。

あたかもあの日起きた建屋爆発の如く。

人は未知なるものに恐怖心を抱く。

次に懸命に理解するように務める。

信じた瞬間、思考は停まる。

安全である、とは時の為政者とそのステークホルダーが言い散らすにすぎない。

それが今回でよく分かった。

さて、裏切られた。

どう考える?

まずは原発運転を止める。

全部を一斉に止める。

そこまでするのは感情的すぎる?

そう考える人に被災者の関係者はいない。

原発事故は日本の技術ですら制御できない。

そのことを世界中に見せつけた。

海外の日本製品に対する信用が大きく揺らいだ。

だからこそ、危ないことだからやめましたと宣言する。

浜岡の停止要請がでた。

原子炉もんじゅにも制御不能の炉がある。

その危険性はフクシマと似たレベルという。

また、島根原発が耐えられる津波は5メートルという。

このまま運転している場合ではない。

多くは電力不足による経済停滞を恐れるであろう。

しかし、原発の脅威と比べ一体どちらが恐怖といえるか?

これ以上の人災が起きてしまった場合、我が国は補償できるとでもいうのか?

また、後世の人に対して、人体の安全と自然保護の観点において責任を負えるというのか?

フクシマ原発事故は、国民に突きつけられた問題でもある。

結論は先送りしないほうが良い。

その後の経済停滞や企業の海外流出などは、地震より想定内だ。

国民が協力し、また英知を集めれば必ず早期に解決できる。

エネルギーを可能な限り少なく使用し、浪費をしない社会にしよう。

巨大な核融合炉ではあるが、ここは太陽エネルギーの活用に期待する。

科学者はデータの分析はするが、安全とは宣言しない。

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