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修験道に学ぶ

厳しい修行に向う気持ちは純真な信仰心。

頭で思考するだけでは到底、物足りない。

行動に起こしても結論の出ないことが数多ある。

宗教とは理解するものでなく、信じるものだと心に決める。

そう考える人が、厳しい行に向かう。

仏に会うため、自らが仏になるためにひたすら行ずる。

眼前には絶体絶命の修羅場が待ち受ける。

そこは死を覚悟し、自らを奮い立たせる。

この先自分は仏になる。

また、きっと生まれ変わると信じる。

即身成仏。

死とは何?

肉体的に言えば、生から死の状態への移行。

微生物、虫けら、魚、鳥、動物から人に至るまで、すべての生命体は等しく死を迎える。

生まれた時から死ぬまでの時間の長短など問題のうちではない。

生ある物に必ず訪れるのが死。

死を恐れたり、忌み嫌う必要など何処にもあるものか。

生きながら、あの世を臨む。

あの世に立ち、始めてこの世を覗く。

体の力が不思議に抜けてくる。

そう、生と死とは魂と肉体とのご縁に過ぎぬ。

自己の不滅を意識に刻みこむ。

すると、仏の存在が益々身近なものに思える。

魂の在り処と、仏の声をいつでも尋ねる生き方を修験道の行者より学ぶ。

雑記10月12日

西日本に移り約20年。

当然のことながら、仕事でも関西人との会話が多い。

そこで気になる言葉が二つある。

一つは『正直・・・・』

この言葉を使う時は、以降伝えたい内容を更に真面目に説明するためと思いきやどうも違う。

そこまでの勢いがある言葉というより、嘘と思わないで引き続き聞いて欲しいといったニアンスで使用されている。

使い手は中年までの営業系男子が多い。

然し、これまでの話は正直ではなく嘘?

単純な突っ込みを都度、入れたくなることに不思議はあるまい。

語り口調および顔の表情で相手に訴えた方が良いように思う。

次に『ぶっちゃけ・・・』

ぶちあける、いや打ち明けるがルーツであろうか。。。

これから先の話題が急展開するための勢いづけであろう。

然し・・・実際は期待するほど発展しない。

また、その後特別な相手として秘密を打ち明けられたとの記憶もない。

この言葉を多用する人は、隠し事をする必要がそれほど多い人かと、気の毒に思ったりする。

しかし、上方の文化は多様なる言葉の文化。

言葉の呪術師たちが、今日も自在に言葉を操る。

ぶっちゃけ、この20年間というもの、いまだに圧倒され続けている。

練習のプロ

ランニングを日課として今月17日で14年目を迎える。

ここに来てようやく日々の練習が、ごく自然な日常行為と考えるようになる。

思い起こすと当初は僅か500メートルのジョギングから始まった。

現在は起床後10キロを走る。休日は別メニューである。

さて、ここまで続けてきた理由を探る事とした。

悪天候、仕事、夜の付き合いにより練習ができない日もある。

また、故障の時は泣く泣く休まざるをえない。

それでも何故、ここまで続けてきたかといえば、自分の置いた目標の存在といえよう。

その目標は、到達するごとに変化(進化?)していた。

ハーフマラソン出場を皮切りに、フルマラソン完走、フルマラソン3時間30分切り、その後ウルトラマラソン完走、ウルトラマラソン10時間切りを達成した後の5年間は、フルマラソン3時間切りを目標に掲げている。

目標があるから記録も伸びる。大きい目標ゆえに発奮する。

すると練習が楽しくなり、日々の練習に工夫が生まれる。

14年前は、時計など気にせずただ走り廻っていたが、今は時計を忘れると愕然とする。

日々のタイムは調子のバロメーターだ。

また、昨日もしくは以前の自分との比較ができる。負けてなるものかとばかり、追い込む練習日には、レースさながらストップウオッチのラップを絶えず気にかける。

俄然、練習が楽しくなる。加えて四季折々の変化も味わえる。

色々の楽しみ方を、練習から見つけることを覚える。

次第に過激になる一方の練習も楽しく思える。

すると、体がいつまでも頑丈で頼もしい存在であることを願うようになる。

そこで体に良い食事を心掛ける。

また、他にも加齢に勝つための努力は惜しみなくするべきと考えはじめる。

日々、自分の体を題材、いや玩具にしていることを否が応でも意識する。

ただし、いくら用心していても故障はつきものである。

無理が利かない年齢に差し掛かっているから仕方がない。

だけど、目標から離れることを恐れる。

いざそれから離れた時の喪失感は、情熱を燃やしたエネルギーと比例するであろう。

すると怖くて練習が休めなくなる。

すでに怠けて練習を休むという状況はない。

何かしらの理由があるが、とにかく練習を休むことに罪悪感を感じてしまう。

目標を持つ自己に対する後ろめたさとでも言えようか。

『練習をしないと気持ち悪いとか、いらいらが募ったりしませんか?』

度々問われる質問の答えがそこにあるような気がする。

人間はリズムで生きている。

良い習慣の繰り返しは、人を活き活きとさせる。

この世に与えられた時間は、少しでもこうした時間を少多く持つべきではないだろうか。

『良い習慣は、良い人生を作る。』

結局、そんな大目標があるから練習に励むのであろう。

14年目のシーズンを目前に、数年先の目標でも追いかけ続けることが出来る練習のプロになろうと心に誓う。

友へ

心を人に明け渡してはいけない。

その心、常に我が身にあることを尋ねる。

人の心に捉われるばかりに、自分の心の棲家がなくなるのは愚かな事。

いつも自分の心は我が心で埋め尽くす。

そのために心の緊張が必要となる。

いつでも他人が入り込めないよう、隙を与えない。

また、いつでも志を掲げて行動し続ける。

油断するとまた無礼な奴らが侵入してくる。

長く潜伏して折角これまで育ててきた心の骨格を、容赦なく喰らい尽くす。

他人の言葉、特に毀誉褒貶は真実に乏しい。

これには、目を向いて撃退しよう。

他人の行動だけを評価しよう。

他人の真剣な眼差しが放つ光のみ感じよう。

情緒を抑制できないようでは、大事は成し遂げる事は出来ない。

今後も他人の責任にしないため、自分の道に自らが明かりを灯す。

その明かりは、多くの路頭に迷う人を救済する。

そう、例えばこんな事を一日中考え続けるとする。

悩みがあろうとすぐさま消え去る。

心の問題は、『自分との知恵比べ』とだけしておこう。

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