2013年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

« 友へ | トップページ | 雑記10月12日 »

練習のプロ

ランニングを日課として今月17日で14年目を迎える。

ここに来てようやく日々の練習が、ごく自然な日常行為と考えるようになる。

思い起こすと当初は僅か500メートルのジョギングから始まった。

現在は起床後10キロを走る。休日は別メニューである。

さて、ここまで続けてきた理由を探る事とした。

悪天候、仕事、夜の付き合いにより練習ができない日もある。

また、故障の時は泣く泣く休まざるをえない。

それでも何故、ここまで続けてきたかといえば、自分の置いた目標の存在といえよう。

その目標は、到達するごとに変化(進化?)していた。

ハーフマラソン出場を皮切りに、フルマラソン完走、フルマラソン3時間30分切り、その後ウルトラマラソン完走、ウルトラマラソン10時間切りを達成した後の5年間は、フルマラソン3時間切りを目標に掲げている。

目標があるから記録も伸びる。大きい目標ゆえに発奮する。

すると練習が楽しくなり、日々の練習に工夫が生まれる。

14年前は、時計など気にせずただ走り廻っていたが、今は時計を忘れると愕然とする。

日々のタイムは調子のバロメーターだ。

また、昨日もしくは以前の自分との比較ができる。負けてなるものかとばかり、追い込む練習日には、レースさながらストップウオッチのラップを絶えず気にかける。

俄然、練習が楽しくなる。加えて四季折々の変化も味わえる。

色々の楽しみ方を、練習から見つけることを覚える。

次第に過激になる一方の練習も楽しく思える。

すると、体がいつまでも頑丈で頼もしい存在であることを願うようになる。

そこで体に良い食事を心掛ける。

また、他にも加齢に勝つための努力は惜しみなくするべきと考えはじめる。

日々、自分の体を題材、いや玩具にしていることを否が応でも意識する。

ただし、いくら用心していても故障はつきものである。

無理が利かない年齢に差し掛かっているから仕方がない。

だけど、目標から離れることを恐れる。

いざそれから離れた時の喪失感は、情熱を燃やしたエネルギーと比例するであろう。

すると怖くて練習が休めなくなる。

すでに怠けて練習を休むという状況はない。

何かしらの理由があるが、とにかく練習を休むことに罪悪感を感じてしまう。

目標を持つ自己に対する後ろめたさとでも言えようか。

『練習をしないと気持ち悪いとか、いらいらが募ったりしませんか?』

度々問われる質問の答えがそこにあるような気がする。

人間はリズムで生きている。

良い習慣の繰り返しは、人を活き活きとさせる。

この世に与えられた時間は、少しでもこうした時間を少多く持つべきではないだろうか。

『良い習慣は、良い人生を作る。』

結局、そんな大目標があるから練習に励むのであろう。

14年目のシーズンを目前に、数年先の目標でも追いかけ続けることが出来る練習のプロになろうと心に誓う。

« 友へ | トップページ | 雑記10月12日 »

「スポーツ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/185064/42303568

この記事へのトラックバック一覧です: 練習のプロ:

« 友へ | トップページ | 雑記10月12日 »