2013年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

サザン・セト大島ロードレース参戦記 2013年

トラックに入ると全力で疾走した。

ゴール後、少しよろめきながらも前に倒れないよう歩く。

「心臓の酷使も程々にするべきかなぁ・・」

よたよた歩いていると絶妙の場所に給水所があった。

大会関係者の心づくしの配慮である。

スポーツドリンクを数杯、湿り気すらない喉元深く流し込む。

「旨い!最高のご馳走だ。」

この時この場に、たとえ生ビールがジョッキに注がれていたとしても、

間違えなくこちらを選んだことであろう。


再びゴール近くに戻り、仲間を待ち構えた時である。

「おや、全然疲れていない。本当に21キロを一生懸命走ってきたのだろうか?


突然、不安な気持ちに見舞われる。

大袈裟かもしれないが、とても「走り切った!」とするあの感覚ではない。

仲間のゴールを見届けると、あわててランナーの帰還続くトラックを横切り、記録表を受け取る。

昨年より2秒遅れはしたものの、87分台で完走していた。

「良かった・・・」




その後、どうして疲れなかったか理由を考えていた。

スタミナ練習に比べると、スピードトレーニングの不足といったテクニカル的理由もあるだろう。

ただ、確実に言えるのは、年々心拍数を上昇させることが難しくなってきたことだ。




今回のレースを振り返ると、前半と後半のタイム差は約
30秒。

つまり、ほぼイーブンペースでまとめていた。

このレース内容とゴール後の調子から判断すると、明らかに加齢、いや長距離ランナー化?が進んでいるようだ。



心拍数を上げずにいち早く目的地に到達するには、こうしてベストのピッチを刻み続ける他ない。

しかし、体の方から老い支度を迫られるのは、やはり不愉快なものである。

では、早速今後の方針である。

「レース中に心臓の負荷を与えすぎないよう更なるスピード練習に挑むこととしたい!」つまり、心肺を鍛え抜くこととした。



それにしても暑かった。

周防大島東和町の正午における温度計は摂氏10℃を指していた。

レース後も体から水分の発散が続く。

ランシャツは、汗の結晶が点在していた。

着替えの荷物を置く競技場の屋外観客席に戻る。

フェンスの直ぐ後ろ、10メートル先には海が拡がる。

そのため、この辺りは磯の香りで充ちている。

見上げると晴れ渡る青空の下、風もなく穏やかな表情をした海と島々を眺める。

「なんと美しい・・・」

シャツを脱ぐ。

裸のままでも心地よい。

この日は2月とはいえ、泳ぎたくなるほどの陽気である。

気分上々の中、名物のジャコ(雑魚)天ぷらをかじりつつ、今度はスポーツドリンクではなく生ビールの誘惑に耐えながら会場を後にした。





大竹駅伝参戦記 2013年


早朝、
3人の大先輩を夫々のご自宅までお迎えに上がる。

諸先輩方の落ち着いた語りには年齢に相当する重みがある。

その日の車の積載量に比例するかのようだ。

運転しながらも、言葉に散りばめられた宝石を丹念に探っていた。

さて、会場は高校生の多さゆえ熱気に包まれる。

目の輝きは眩しいばかり、会話も生気みなぎり勢いを感じる。

思わぬところで、人の世の味わい方を学ぶ。

私は今、実に面白い年代に在る。

やがて、チーム一同は集結。

今回は出場選手5人に対し、サポートが8人。

一見、異様にも豪華な陣容に見える。

しかし、サポートの充実こそ頼りになるが、同時に選手層を厚くしていく必要を感じる。

さて、今回私は4区の5.5Kmを任された。

前走の佐北駅伝のように、時間制限のある関門はない。

モチベーションはともかくとして、気分的にいえば楽だ。

後にメンバー編成をして頂いた監督に配置の理由を尋ねると、「気分転換よ!」といわれ思わず納得する。(これも理由か?)

この日のサポートについて頂くF氏とバスに乗り込み、4区中継所に到着。

そこはすでに陸連関係者約20名が、中継所の設営準備を始めていた。

(厳しい寒さの中、ご苦労様です。)

一般部門と高校生を合わせると約80名が、ここでたすきを繋ぐ。

選手はそれぞれに着替え終わると、約1時間後に迫る本番に向けた準備に掛かる。

私もF氏とアップを開始。

里山を縫うように流れる川の土手を走る。

田園地帯は濃淡こそあれ、からし色のモノトーン。

冷たい空気を山の霊気ごと吸い込む。

二人は次第に風景に溶け込んでゆく。

集合時間だ。

一同が広場に集まり、選手確認のコールが始まる。

いよいよ開戦と、周囲はにわかに慌しくなる。

私も跪き、既に幾度となく縛ったはずの靴紐を締め直す。

やがて広報車がやってくる。

先頭ランナーの到来を拡声器が告げる。

それから間もなく、駅伝名門校が2台の白バイに先導され、やってくる。

待ち構えた選手は、たすけを受けるとそのまま地煙を上げ駆け抜けていく。

全力を尽くしここまで走ってきた選手にはサポーターが寄り添い、肩から抱きかかえるようにタオルを巻く。

選手は体を九の字に折り曲げ、息が整うまで必死に堪える・・・

つい2週間前、テレビを食入るように見つめた、あの人気番組を彷彿させるシーンだ。

その荒々しい息遣いは、たくましい生命力を感じさせる。

手前の中継所を選手が通過するごとに、チームのゼッケンナンバーがホワイトボードに書き込まれる。


かなり後方ではあったが、仲間は確実にこちらに向かっている。

目の前で次から次に、たすきが渡る。

高校生、大学生が凡そ繋ぎ終わると、次は社会人チームの出番となる。

そろそろやってくるはずだ。

しかし・・・

「それにしても遅い。」

少し気をもみ始めていた。

時計に目をやる。

関門まであと3分。


そのタイミングで、別の色のたすきを手にした大会係員がこちらに向かい歩み寄る。

「まずい、もう時間が残されてない・・・」

悪夢が心をよぎる。

その直後であった。

「よし、見えたぞ!」

サポートのF氏が、ようやく仲間を発見してくれた。



 

「よかった!本当に有難う。信じていたよ。いや、ごめん。ほんの一瞬だけ君を疑ってしまった・・・悪かった、俺を殴れ!」

名著「走れメロス」のあのシーンを思い浮かべたのは、レース終了後であったことを念のため書き添える。


 

走る・・・

得意分野でもあるウルトラやフルマラソンのペースと比較すれば短距離走である。

ほぼ全速力に近い走りだ。

「おや?」

仲間からもらい受けた、たすきがほどけていた。

「紐のままでは、たすきといえない!」


 

そこで曲技を見せる。

全力で走りつつ、紐にこぶを作る。

見事、たすきのを復元に成功。

ここで心地よさを得て、勢いづく。

「さて、そろそろ行くとするか!」



だが、遠くに2人のランナーが見えるだけ。

一人は100メートル先、また、もう一人はその倍以上も離れる。

追走していく。

すると、前との距離が中々開いていかないことに気付く。



「もしかして、先にいけるかも・・」

2キロを過ぎたところで一人追い抜く。

すると別のランナーが見えた。

左程スピードを上げた感覚はないが、次第に至近距離まで迫る。

ランナーの息遣いが聞こえ始めると、一気に追いついた。

見ると私より少し先輩のようである。

失礼とは承知しつつ、諸事情により先を急がしてもらう。


中継所まで残り約1キロ。

また一人のランナーを発見、同じく100メートル先に見えた。

しかし、何時も100メートル先とは可笑しい。

恐らく、私の近視が影響していることであろう。


 

「残りあと1キロ。前のランナーと少しでも詰めるぞ!」

 

私の後はチームのエースが待機している。

エースのモチベーションのため、ここは少しでも間隔を詰めておきたい。

そう言い聞かせ、心を奮い起こす。

そして、願いのとおりあと50メートルまで詰め寄ったところで相手がスパート。

 

たすきを肩からはずし、そのまま手に持ち替えると必死の形相で追走する。
「あれ、まだこんな闘争心が残っていたか??


「すべてはチームのため。」

よくある優等生的発言だが、実は自分の成績をよくするため言い換えた言葉でもある。

すべからく、他人に喜んでもらうに越したことはない。

また、これこそ揺らがぬモチベーションとなる。



 

「頑張れ!」

エースの声がやがて大きく聴こえ始める。いつもは子猫のように大人しいエースが、あれほどまで大きな声を出すことに驚く!

「後は頼む!」

無事、たすきを繋ぐ。一仕事終えた気分に浸る。

エースはしっかり3人抜きを達成!

同時に故障から復活ののろしを上げることとなる。


さて、本当に愉しくレースが出来た。

一同に心より感謝申し上げたい。












 

防府読売マラソン参戦記 2012年

大会出場者数2700名。

空前のマラソンブームにより年々増加する競技者が師走の防府に結集した。

「防府読売マラソン」

地元オリンピックランナーの実績を讃えることで産声を上げ、「若手ランナーの世界への登竜門」と呼ばれた輝かしき歴史を誇るエリート大会である。

Pc130162

高速SAより防府市内を見下ろす

Pc130165

Pc130164

大会前のスタート地点

私も参加資格が大幅に緩和された5年前より毎年参加しているが、それより以前といえばこの大会に出場することを目標に日々の鍛錬を積んできたものである。

ベテランの中には、私と同様に引け目を感じる人も少なくないのではないか。

この感情を払拭するには、以前の出場資格であるフル3時間以内を達成する他あるまい。

昨年のレースは10分オーバーした。

今年は来年以降のためにも、出来る限りタイムを縮めておきたい。

そんな気持ちを胸に秘め、日毎に募る張り裂けんばかりの緊張感を抱きつつ、その日が訪れるのを待った。


今回はこれまで同様、いや、それ以上に入念に準備をしてきた。

生活面でいえば2週間にも及ぶ断酒がある。

程度さえわきまえれば影響はないと思うが、後々の言い訳にしたくない。

意志を制御することもレースにおける心の修養と捉え、それまで連日飲み続けたビールをその間だけ断つことにした。

あわせてカロリーの高い食事の摂取を極力控える。

ビールを飲まないだけでもつまみが減る。

その上食事に規制を加えることで1キロの減量が出来た。

体脂肪率12%、ここまですべて計画通りである。


実力を存分に発揮できた人もいよう。

しかし、半数程度は、何らかの理由で完全には力を出し切れなかったのではないか。

理由は参加者の数ほど存在する。

しかし、まず何よりも目標としていた大会に出場できたことに感謝したい。


ぎりぎりまで鍼灸の治療に通い、一向に癒えることない痛みにも耐え、別メニューにより調整を続けてきた走友のS氏、前走の福岡国際での無理がたたり、古傷を悪化させてしまったK氏。

また、大会になくてはならないE氏他、古顔の数名が出走表に名を連ねていなかった。

今回スタートラインに並べなかった同志の回復を心より祈る。



さて、今回の予定ラップは22′:05″の設定。

後半少し切り上げるようイメージしていた。

5k   22′:51

10k  22′:08

15k  22′:25

20k  22′:58

25k  27′:51

30k  35′:52

35k  26′:57

40k  27′:11

42k  12′:41

(ここまで書いてブログを閉じようとしたが、少し間を置き以降を書き加える。)


結果、昨年より30分オーバー。

かろうじて制限時間内に完走したが、この10年間でいえばワースト記録である。

今更に走れなかった理由を解き明かす必要は無い気がする。

レース後の7日間、それだけ自分に問いかけ続けたからだ。

ここに完結した数字が残る。しかし、それは無機質な数字の羅列でもある。

ゆえに第三者的に数字を俯瞰してみる。


さて、早く移動した時間とゆっくり移動した時間を繰り返した様子が伺える。

20キロまで万全とはいえない移動のようだ。

その証拠に、5キロの時点ですでに誤差が生じている。

それを10キロまでリカバリーしていない。

15キロ・・・20キロ・・・

距離が伸びるにつれ、ゆっくり移動している。

見物でもしているのか?それとも考え事をしているか??

25キロで移動速度が20%遅くなる。

これまでのペースに置き換えると、距離にして約1キロ長く走ったことになる。

まさか寄り道していた?道を間違えたか??

30キロでは、1キロを進むため7分を要している。

きっとトコトコ歩いていたに違いない。

待てよ!40キロまでの10キロでは移動が速くなっている。


(ここで順位表と記載のある数値を眺める。すると40キロで300ほど数字が小さくなっている。20キロより30キロまでの間、700ほど数字が大きくなったことが余程気に喰わなかったとみえる?)

それほど早い移動でないにしろ、25キロまでのペースに再び戻っている。

1キロの移動に要する時間は約530秒。

目的とする場所が近づいたから?

いや、精神が体を脱ぎ捨てたのかもしれないぞ!

だが、少し注目すべき数字の変化である。


最後まで読む。

3時間40分かけて42.195Kmを移動したことに間違えなさそうだ。

数字だけは嘘をつかない。


さて、メンタリティーに問題がなかったか?

ここだけが今も尚、気にかかる

満足すれば、自分を鍛える気持ちに影響する。

不満を鮮烈に意識づけるには、いささか酷のような気もする。


分かった!

確かにあの日、あの時間、自分は走っていた。

また、何よりも愉しい時間を過ごしてきた。

その場にいる自分は、他の大勢と同じく世の果報者であった!


朝から互いに励ましあったK氏に感謝。

人生において、この素晴らしき競技にめぐり合えたことに感謝。

みなぎる闘志を体中で表現し、元気を与えてくれた見知らぬ競技者に感謝。

そして大会ボランティアさん、声援を贈り続けてくれた沿道の皆様に大感謝。

参戦記を綴ることを途中で投げ出さず、最後まで書き終えてよかった。

ようやく来年に向け希望が膨らみ始めた。

佐北駅伝参戦記 2012年

本日は佐北駅伝、地元ランニングチームの一員として、今年で5年続けての参加となる。

この駅伝であるが、年明けに開催される大竹駅伝と並び、自分にとってすっかり年末年始の恒例行事である。

目指す会場は、標高約300メートルに位置する。

そのためか、天気予報は雪マーク。

備えあれば憂いなし!

夜中ではあったが急遽、知人の冬用タイヤ装着車を借用することとした。

近隣のチームメイトを乗せて会場に向かう。

峠を越える辺りから景観はがらりと変わる。

辺り一面雪景色である。

また断続的に大粒の雪が舞い降りる。

「こんな天候でも開催される?」

胸中不安が沸き起こる。

思わず監督に様子を伺うが、決行濃厚とだけ回答を得る。

「本日のレースは何が起きるか予測すら出来ない」と、予め覚悟を決めての会場入り。

早朝830分。

開催式の行われる公民館の中は、すでに大勢のランナーと大会関係者で埋め尽くされていた。

Pc060154

Pc060152_4


しばらくするとチームメイトの顔を見つける。

全員が無事到着したことにひとまず安堵する。

それぞれに天候の不安を語るも、雪道を走るコツをベテランに尋ねるなど、あくまでも前向きなチームメイトである。

(それは、雪質を瞬時に見極め走りなさい!とした単純明快なアドバイスであった。)

兎に角、皆のおかげで元気が沸いた。

さて、今大会であるが、メンバー最速のエースがひざを故障したため走れない。

チームにとって大きな痛手である。

その彼の持ち場といえば1区。いつもは6キロをわずか20分で走り切る。

高校生を除く一般ランナーの中でも際立つ速さである。

我々のチームといえば、そのエースが稼いだ2分余りのアドバンテージを大切?に食い潰す戦術により、これまでたすきを繋いできた。

しかし、今回だけはその戦術、いや、勝利の方程式が使えない。

つまり、4区の関門(繰上げ区間)に至るまで、出場選手はそれぞれに普段の実力以上を発揮しなくてはならないのである。

しかし、突きつけられた現実とは裏腹に、選手の事前予測は超が付くほど楽観的である。

勿論、各自それなりの緊張感はある。

「皆で力を合わせれば何とかなる!」

サポートを含めチームの全員がきっと、そう考えていたように思う。

「これぞまさしく団体競技!」

個人競技の極みともいえるマラソンと、やはり趣を異にする。

だが、私の今回の持ち場は、関門待ち構える第4区である。

責任の重さゆえ、一抹の不安を拭い切ることは出来なかった。

さて、選手5名はそれぞれ、別々のバスに乗り込み中継箇所に向かう。

私だけは移動せず、3区との中継箇所でもある公民館でそのまま待機となる。

2時間余りの時間、チームの会長とマラソン談義に花が咲く。

「さて、アップは何時から始めようか?」

Pc060153_2


70名以上いる4区間ランナーも私と同様、周囲を気にしているよう思えた。

そこは走暦40年のベテラン、チーム会長の一言で疑問は一発解消する。

「ぎりぎりの20分前でいいでしょう。」

(今回走る距離は4キロ、駅伝では凡そ本番に走るであろう時間をアップ練習の目安とする。)

しばらくストレッチにより体をほぐす。

外に出ると凍てつくように寒い。

薄着のウエアを数枚重ね着し走り始める。

我が子のような高校生ランナーと次々にすれ違う。

この大会は高校陸上部が大半を占める。

「今日、彼等と一応は同じコースで競い合うのだ。」

この時とばかり年齢を忘れる。

しかし、足の上がり、腰の位置、フォームの軽さ、回転力、どれをとっても自分のそれと比較にならない。

活きの良い彼等を、眩しいばかりに見とれていた。

「きっと彼等には、オッサンが老体に鞭打ち走る気持ちなど分からないだろうな。」

そんな恨めしさに似た感情が、ふっと心によぎる。

しまった!

コール終了の時間が迫っていたのだ。

駆けつけると既に、チーム名を何度も繰り返し読み上げられていた有様だ。

ウエアをめくり、正面と背中に貼り付けたゼッケンをあわただしく係員に提示。

すると、棄権はかろうじて免れる。

少々のお叱りを頂戴したが、当然である。

4区中継点に選手が続々と現れる。

そのたびスピーカーからゼッケン番号が連呼される。

駅伝名門高が続々とたすきをつなぐ。

先頭通過より約10分遅れて仲間がやってくる予想である。

その間、私のサポートについてくれた監督、故障中のエースとレース模様を眺めていた。

「ゼッケン●●、中継点に並んでください」

仲間の到着を告げるコールが耳に届く。

勢いよくウエアを脱ぎ捨てる。

「では、ぼちぼち行って来ますわ」

気持ちと裏腹な言葉がついつい出てしまうところが、いかにも自分らしい。

降り続く雪にもかかわらず、沿道には大勢のギャラリーが並び、選手に大きな声援を贈ってくれる。

誠に有り難い!

そこは65年も続く伝統ある大会、地元住民の応援も筋金入りである。

「頑張れー!負けるなー」

商店街の中を走る中継点からの約1キロは、声援が途絶えることはなかった。

すぐ一人抜き、二人抜き・・・よし、自分でも追いつき追い越すことができるぞ!

勿論、ここまでである。

暫くすると抜かれ、また抜かれ、それでも直ぐに抜き返しと激しく順位は入れ変わる。しかし、走行中一度も後ろは振り向くことはなかった。

「たすきをつなぐ。ただ、そのために走る。」

昆虫の生き様のように単純化されたプログラムをただ遂行するかの如く、ひたすら走る。

商店街を通過すると、以降田園地帯が続く。

障害物がないため、向かい風が行く手を阻む。

雪が眼鏡を覆い、時折視界が閉ざされる。


「あと残り1キロよ!」

掛け声を頂戴する。

素直に言えばあと2時間ばかり走っていたかったが、そこは仕方ない。

心拍数を上げ、追い込みに入る。

いよいよラストスパートだ!

中継箇所が見えてきた。

おや?中継点のライン上に仲間の姿が見えない。

本来ならば大きく両手を振りつつ待ち構えてくれているのに・・・

近づいてみるとそこは、これからも続くコースをわざわざ開放してくれるかのごとく、大会関係者数名がラインをはさみ、道の両脇で私を待ち受けていた。

「はい、ここまでですよ。」

言われるがままラインをまたぐ。

「ごくろうさん」

「・・・・・・・・」

上気した呼吸を沈めようと腰を二つに折る。

間もなく、後続ランナーが足音を響かせやってきた。

大会関係者はそのランナーに向けても私と同様の指示を与える。

ここでようやく状況が呑みこめた。

出走後、始めて時計に目を落とす。

関門時刻より、丁度2分が経過していた。

「そうか、やはりあの2分か・・・・」

いつもより早く脈打つ心臓の音が、空しい気分を掻き立てる。

火照った顔の表情が少し強張る。

想定外続きの状況下、それでも予定通りの走りを示してくれた仲間の顔を思い浮かべる。

「まあ、仕方ないか・・・」

少し悔しさも残り、会場まで走って戻りたい気持ちに駆られる。

しかし、そうした選手が過去にも数多くいたため、近年よりレース後の選手は必ずバスに乗り込むことが義務付けられていた。

着替え終わる頃にバスが到着、観念して乗り込む。

車窓からつい数十分前に走ってきた道を反対方向より眺める。さすがに感慨深いものである。

寒いためであろう、あれほど声援を贈ってくれたギャラリーの影すら見えない。

「確か、この位置で突風が吹いた・・・」

懐かしさすらこみ上げる。

寒風を吸い込みすぎて止まらなくなった咳にも構わず、外の様子を注意深く観察して脳裏に記憶を焼き付ける。

公民館に戻ると、仲間一人一人に状況を報告。

たすきが渡らなかった事実を聞いた瞬間、まずは一様に驚く。

しかし、次第に落ち着きを取り戻しレースの分析を始める。

選手それぞれが反省の弁である。

幾らかの心の重石を、夫々に感じたことであろう。

しかし、これを糧とし次回頑張ればよい!

会食後、皆で次走に捲土重来を期すことを固く約束した。

帰り道、これまで出場したレースの中で、記憶に残る大会になったことを確信していた。







 

ペース走終了、いざ本番へ。

今朝のメニューは42キロペース走。

4分30秒設定がノルマである。

2週間後に挑む防府読売マラソンのイメージができれば成功だ。

コースは自宅を起点に海を囲む約8.3Kmの周回コース。

このコース、全く信号がないことよりペース練習にはうってつけだ。

また、後半に控える全長1キロ、勾配5.1%の大橋がご褒美でもある。

唯一難点といえば、海沿いのため強風が吹き付けることか。

しかし、本日は風の無い絶好のRUN日和。

惣菜パンを水で流し込み、暗闇の中、早朝6時元気にスタート。

LED懐中電灯で足元を照らす。

しかし、暗いから照らす訳ではない。

これまで14年間も走り込んできたマイコースだ。凹凸がどこにあるなど、目をつぶっていても分かる。

だが、犬の糞だけは予想が付かない。

嫌な想いをするたびに愛犬家、いや日本人のモラル低下を嘆かざるを得ない。

こうして迷惑を顧みない輩に限り、自宅前にある糞に目を向いて怒りだすのは間違えなさそうだ。

いきなりエンジン全開である。

今朝の気温は3℃。

連日、今年一番の冷え込みを更新中である。

しかし、すれ違うランナーもいる。

思えばここ数年で増えたものである。

実はこのコース。3年前に信号機のない走りやすいコースとしてマラソン雑誌に紹介されたことがある。

以来、ランナー急増中でもあるが、皇居のようにトラブル多発など有り得ないのどかな海岸道路である。

顔見知りから声をかけられる。

「あれ、福岡国際マラソン??}

「はい、私がトップランナーです?」

時間も場所も実力も・・・見当違いも甚だしい!

無事5周、42キロを走り終える。

3週目で一時落ちたラップも4週目になると回復。

最終回は、4週目より幾分落ちたが、それでも3周目よりタイムが短縮できた。

結果からみれば34キロからビルドアップ、上々の走りであった。

残る2週間、スピード練習を中心とし、疲れを多く残さない練習に切り替える。

P3222291

坂ベイマラソン参戦記 2012年

18日の日曜日、坂ベイマラソンに出場した。

朝方の冷え込みにより車窓はすっかり夜露に濡れていた。
紅葉はすでに盛りを越し落葉が目立つ。

山々は冬の到来を待つばかりである。

ご近所に住む獣医のFさんを迎えに行くと、大した混雑もなく30分後会場に着く。

車中は勿論、マラソン談義。

その彼はフルマラソンを100回走ったツワモノだ。

出場した数々のレースの思い出話より現在のトレーニング方法に至るまで、貴重な話しを聞かせて頂いた。

その彼の持つフルマラソンのPB3時間1秒、このたった1秒を縮めるため、血のにじむ努力をその後20年間に渡り続けられている。

普通に生活していれば、1秒など瞬きする間に消え失せてしまう。
彼はこの経験より、1秒の持つ意味を存分味わったと語る。

さて、会場に着くと広場を埋め尽くすばかりの群集に驚いた。この大会は13回目となるが、以前とまったく様相が異なる。

青年、女性、家族連れがやけに目立つ。

夫々の個性を主張するかのようにカラフルなウエアを身にまとい、決まって仲間同士で談笑している。

以前主役を努めた孤独で地味なおっさん(私を含む)は、すっかり影を潜めてしまった。隔世の感しきりである。

さて、会場では友人たちが次々に声を掛けてくる。

その多くは大会で顔見知りになったランナーであるが、一年ぶりであれば懐かしさがこみ上げる。

共通の趣味を持つ相手ゆえ、話がついつい弾んでしまう。

トイレもアップもそこそこ、スタートラインに並ぶ。

1.100名が一斉スタート、5キロを8周する周回コースである。

今日の目標は1キロ425秒のペース走。

次走の防府読売マラソンにおけるPB更新に向け、何としてもペースを体に刻み込むことが目標である。

また、シーズン初のフルということで幸先よいスタートを切りたいと考えた。

以下5キロごとのラップである。

5Km     2153

10Km       2148

15Km       2220

20Km    22′28″

25Km    2225

30Km    2239

35Km    2232

40Km    2352

42.195Km 1117

やはり後半7キロで失速してしまう。30キロ地点までいえば体調はほぼ完璧な状態であった。その証拠に25キロまで、給水を一切摂らずに走れた。これはランパン、ランシャツという、この時期として薄めのウエアを選択したことが結果的に功を奏したといえよう。しかし、30キロを過ぎで2度も給水に失敗。しかし、これは無理もない。コップの置いてあるテーブルがコース片側に6卓、しかも殆ど隙間なく設置され、いずれもランナーのたまり場となっていたからである。

参加者が急増したため主催者サイドの対応が間に合わなかったと考える。(恐らく来年は改まることであろう。)

そうしたアクシデントも理由にあったかもしれない。しかし、やはり足がまだ完全な状態まで出来上がっていなかった。

これこそが最大の理由である。次走まであと1ヶ月、40キロのペース走を最低でも2回やる必要があるとレース中に考えた。

いよいよゴールまであと1Km。

周回コースから外れるとスタジアム内のトラックに入る。

競技場で開催される大会の醍醐味といえば、やはりこの場面に尽きると言えまいか。

これまでの疲労感はリセットされる。

少し元気を取り戻しトラックを廻る。

ギャラリーの拍手や歓声が耳に入る。また、友人たちの姿が目に入る。

「ああ、これでレースも終わりか」

何度ゴールしてもこの瞬間の記憶は鮮やかに残る。

オリンピック選手の流行語を拝借。

「ちょうー、気持ちいい!」



こうした感情は一種、媚薬ともいえる。多くの人がレース中毒となる所以であろう。

さて、ゴール直後に仲間より入賞したことを告げられ驚く。

今回、年代別ではあるが表彰台に昇るといったおまけまでついた。

表彰されることなど小学生時代の書道コンクール以来である。

照れくささをごまかすため、そこは年齢なりに堂々と胸を張っていたが、これが妙に演技臭いと知人の失笑を買っていたようであった。

着替えを終えると毎年振舞われるカキ雑炊に舌鼓を打ち、心も体もすっかり暖かくなり会場を後にした。

 

ランナーズ・ハイ!

表題は度々耳にする言葉である。

しかし、この言葉の正しい意味を理解し、語る人は少ない。

そういう私も数年前まで、意味も分からず多用していた。

語感のイメージで捉える英製和語の典型かもしれない。

元々は、症候群としての医学用語にあるようだ。

ニューヨーク都市近郊で、ジョギング中あまりにも頻繁にジョガーが交通事故に巻き込まれることを調査した結果、共通する傾向性が見出されたことで名が付いたらしい。

医学的アプローチにより実証されたとくれば、一種の病気であるか?

さて、この症候の真犯人は、幸せを呼ぶホルモンと言われるエンドルフィン。

何でも草食動物が肉食動物に襲われた時、痛みを和らげるため脳内から出るホルモンとか。

人が交通事故に遭遇することと、草食動物の末期の痛み止めでは意味が異なるように思える。

しかし、その理由をたどると通じるところがある。

人はジョギングしている時、幸福感に満ち溢れてしまうからだ。

この状態になると、周囲に対する注意力が散漫となる。

だから、交通事故に遭遇してしまうのだろう。

しかし、処方さえ間違えなければ、このホルモンの効果は絶大である。

たとえ考え事が頭から離れない時も、難しいことは考えられなくなくなる。

また、ホルモンが効いている間は、苦しいことや辛い事を想起することもしなくなる。

滑稽といえるほど脳天気になることもしばしばである。(私だけかもしれない)

まさにその状態は、日常からの離脱ができるプチ旅行とも言えまいか。

幸福ホルモン。

神が哺乳類に与えた、とても有難い薬である。

処方さえ気をつければ人生をハッピーにする。

ランナーはこの恩恵だけを受けることとしよう。

本日の練習

走行距離 10キロ

月間    177キロ

内容     T.T   完全復活 

雨中の求道者

本日は雨の中ハイペース走。

しっかり追い込んだため、21キロでエネルギーが途切れてしまう。

折り返しポイントはいつもの草津港。

例の波止場のアニキと親父といえば・・・

雨の中、仲良く並んで釣り糸を垂らしていた。

今日も二人の顔を見る事ができほっとした。

「まさかこのお二人、ブログに登場していると夢にも思うまい。」

そう思うと、いささか罪の意識を感じるのであった。

この日、お二人のご不満といえば、雨のため釣り人が少ないところである。

さぞかし釣りに集中していると思いきや、相変わらず餌もつけず話に夢中であった。

帰り道、内股走法で路面をえぐり取るように突き進む女性ランナーがやってきた。

その特長あるフォームはすでに脳裏に焦げ付くほどに焼きつき、た易く忘れられるものではない!

私も所属する、地元ランニングチームの元会長である。

空からの天然水による水浴びを、心から愉しんでいるかのような笑顔である。

「調子どう?」

年齢は同年代である。

すらっとした体型で、顔にもまだ張りがある。

どうひねくれて見ても、体調が悪そうには見えない。

「最近自転車に苦戦して・・・」

そうだ、彼女は200キロバイク走に出場するライダーでもある。

自転車もランのフォームでいけるのかな??

ふと、疑問がよぎる。

「今度、スイミングスクールに入会するんです」

いよいよトライアスロンか!

女子で3時間30分ランナーの実力を、存分に発揮して欲しいと考える。

明確な目標があるからこそ、行動に移せるのであろう。

長く積み重ねた人は、独特のオーラを持つ。

その人の周囲だけ、空気が変わる。

真剣な求道者の姿は、見ているだけでファイトが沸くものである。

本日の練習  

距離  21k

月間 151K

内容 ハイペース走   フル -10″

夕焼けに魅せられて

昨日の夕焼けは見事であった。

世にも不思議、地球最後の日のごとく、幻想的光景を目にすることが出来た。

それは、暗黒の世界から我らが太陽を救いだすため現代美術の大家が一同に集まり、思い思いの色を用いてキャンパスに向かったかの如く、見る物を魅了してやまない。

それほど、天空の画としては逸品であった。

しばらく空を眺めていると感動のあまり足に震えが襲う。

この大自然のパノラマをしっかり見届けたいと考えると、数分の間その場から動けなくなっていた。

こうした夕焼けは、天気の変わり目を告知する役目もある。

本日は快晴なり。

海は昨日と打って変わり、打ち寄せる波は、天平時代の仏像の面持ちのように穏やかな表情をしていた。

そのため朝ランも快調であった。

ここにきてようやく100キロマラソンの疲れが抜けたようだ。

実に、回復まで4週間を要した。

不足していた血液がようやく正常化したのであろう。

今月はそんな理由もあり、距離も踏めていない。

この日曜日、最低30キロと考える。

本日の距離 10キロ

月間     130キロ

内容     T.T 

傘差しRUN決行!

いつものように4時過ぎに起床。

丁度その頃よりポツリポツリと雨が落ち、次第に雨脚は早まる。

6時になれど降り止まず。

その頃、体より「早く走れ!」の指令が下る。

そこで朝仕事の手を休め、雨中の傘差しRUNを決行する。

14年目となる朝RUNだが、天候が悪いとモチベーションが上がらない。

殊に真冬ともなれば、意志の弱さを晒すことしばしばだ。

これまで幾度となく訪れた「継続の危機」をなんとか乗り越えてきた次第である。

それに比べれば、この時期は天国。

余程でなければ、雨でも槍でも対応できる。

さて、この傘差しRUNであるが、、実はフォームを確認するトレーニングの一環として取り組んでいる。

上半身の安定度を測るのに丁度良い。

体幹に微妙なずれがある場合は、傘の揺れが著しい。

そのため雨を余計に被る。

雨の量と風向きにもよるが、フォームのしっかりしている時は体があまり濡れていない。

濡れた量は体幹バランスのバロメーターとなる。

また、傘の抵抗は格好の負荷にもなる!

出来る限り大きな傘であれば、15%以上の負荷を与えることができる。

常に坂道の勾配を登りつめる感覚ともいえよう。

こいつは思わぬ漁夫の利と、ほくそ笑むことも少なくない。

さて、雨の日にランナーは少ない。

梅雨のこの時期、これからも雨模様は続くであろう。

しかし、こうした効果を考えれば、雨の日もまた愉しい。

是非、多くのランナーにお勧めしたい。

しかし、あまり早く走るとすれ違う人に奇妙な目で見られる。

特にインターバルを加えると、立ち止まり見物する人まで現れる。

人通りの多いところでは、この辺りに少し気をつけなくてはならないかもしれない。

本日の練習  6キロ

月間    120キロ

内容    傘差し  ビルトアップ

より以前の記事一覧