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飽食の時代

「呑み放題に喰い放題!!」

最近、こうした看板を掲げる店が増えてきたように思う。

まさに飽食の時代を象徴する社会現象。

この頃の日本人は外食するだけでは物足りないらしい。

ご馳走を頂く上、さらに必要以上の量を摂らねば気が済まない。

ぜいたくとは、飽くなき欲望の権化。

食べ放題、飲み放題の顛末は「太り放題」また、体調悪化による

「病気し放題」が待ち構える。

例え一日としても、必要以上に飲み食いすることは体に良い訳がない。ストレス解消だけの理由で済まされない話だ。

きっと欲望まで病的に「肥満化」している!?

とはいえ飲み放題、喰い放題は魅力的だ。

そういう私も、すっかり虜になってしまった。

支払い時に腹部を覆うあの重量感が、至福の気持ちに誘う。

また、酒飲み放題についていえば、酔い放題と換言できる。

大いに酔っ払えば、後始末が必要となる!(この辺りで反省する機会の多い自分でもある。)

飲み放題についていえば、私のような大酒飲みは利用しない方が身のためであろう。

さて、このまま飲み放題、食い放題を続けていくと、口に入れる行為そのものに飽きてしまう時代が訪れるかもしれない。そこで考えてみた。

欲望に限界あり!と知った大人の貴方に最高のおもてなし!!友人、パーティー、合コン、デートに最適!

大切な人や家族の見守る中、貴方好みの絶食ができる店が遂にオープン!!

今なら7日間継続利用でクオカード500円プレゼント!

また、一人で絶食が楽しめる個室ルームもご用意しております。

平日ランチチタイムは12時~3時 (注意*ただし水はご用意できません。)

こうした「絶食し放題のお店」を作ってみてはどうか?

外見は中華、和食、すし、洋食の店で、メニューは普段の店と変わらない。

お客はテーブルに座ると店員に向かい料理をオーダーする。

次々に登場する料理と酒。

ただし、皿の上に何も載っていない。またグラスも空である。

客は皿の上に載る自らがオーダーした料理を想像する。

そこで無限の空間と自らの欲望を比較するのである。

中にはあまりのギャップに失笑する人もいるかもしれない。

また、時折、グラスに詰まった空気を意味ありげに飲み干す。

そのあと空のコップをじっと見つめる。

そこで、煩悩が消え去ったことにご満悦の笑みを浮かべる。

「絶食という名のついた料理の逸品が揃うお店」

当店自慢のシェフといえば、仁王様ではなく敢えて七福神としたい。

飽食の時代ゆえ、その後も絶食の甘美が誘う料理の数々に賞賛の声があがる。

話題作りとしては、芸能人レポーターの石塚氏を招きたい。

新しい流行語は「ま・う・い」でなく「無・ま・い!」

放映終了後、店の前に太った人とアルコール患者ばかりが行列することにならないことを祈る。

忘れかけた大切な記憶には、幸福感に包まれる極上のエッセンスが隠されている。

本日の練習

走行距離    10キロ

月間      152キロ

メニュー    400M×6本 インターバル 

        

        腿上げダッシュ、ウインドスプリント  

時間どろぼう

ネットの普及により、この10年間でビジネススタイルが大きく変化した。

従来の広告媒体と比較にならないほど安いコストで効率的PRができる。また、情報を探す側はいつでも欲しい情報を世界中から得られる。

この世はネット文化真っ盛り。

しっかりと恩恵を享受したいところではあるが、近頃は弊害の方がむしろ目立ち始める。

それは、社会の健全な発展と人間同士の相互信頼を基軸に置く我が国の商道徳感をも揺るがしかねない、マナーの悪化である。

情報を選択する権利の全ては受け手側が握るとする傲慢な考え方が広く根ざし始めたところに問題ありと指摘したい。

ここ数年増加しているケースである。

サイトに掲載してあるのだから更に詳しく聴けることが当然の権利であるかの如く、質問を繰り返してくる例だ。

こちらは公共性の高いサイト運営をしているわけでない。あくまでも乾燥剤を紹介する商業ベースのサイトであるにも拘らずである。

包み隠さず言わない理由を教えろとまくし立てる御仁もある!

こちらが知らない事だって大いにある。また、企業がネットに書けない隠し事をしてはいけないとでも?

それでも折角のご縁と考え直して説明を続けていくうちに時間は刻々と経過、丁度その頃になると先方はすでに上得意様気取りである。

ようやく質問が途絶え、納得した様子が伺える。

すると・・・

「だいたい分かりました。どうも有難う!」 電話を切ろうとする。

「ところで弊社商材にご興味頂けたのでしょうか?」

「いや、社内で明日、プレゼンがあるので資料作りのため電話しました。」 とか、

「ネットの解説以上に薬品の詳しい勉強をしたかったもので・・・」

平気でお答えになる。

こうした傾向は有名企業の若手および官庁(警察もある)に多い。

では彼等は企業名と肩書きさえ名乗れば、ある程度の協力は無償で得られると考えているのか?

いや、これらはネット社会の弊害でないかと考えてみた。

要するに受け手としてみれば、ネット上より得た情報はすべてバーチャルの延長上と考える。すると実在する企業および担当者すら、ネットから生まれた虚像としても良いわけだ。

情報だけは得たが、ネットを利用して得たものだから御礼など語る必要もない。更に加えると「相手は商売でネットを利用している。だから情報を得てコンタクトをとったまでだ。ネットを見るのは無料。情報とはそもそも、ただ同然で手に入れられるものだ。ネット情報の延長を質問すれば教えてくれるのは当たり前。」

つまり、こうした用件が終わればデリートキーによりプロセスを記憶から消去できるのである。

最初から面会する気持ちなどない。

ネット上の契機はそうした面倒な作業を省略できる。

ゆえに用件を済ませるだけの御仁には、都合が良いことづくしである。

だが、こう考えてみると腹は立たぬが空しさも募る。

このような乾いたビジネスでよいか不安な気持ちに襲われる。

「そうだ!双方が互いに感謝し、喜び合うことにビジネスの感動がある。また、真剣なぶつかり合いは人間成長の糧となる。」

このままの状況が続くと、日本語が通じることさえ呪わしく思う日が訪れる予感がする。

「ネットを見たのですが・・・」有り難いことに連日、電話を頂く。

現在のところは、マナーを心得た立派な方からのご縁が圧倒的に多い。

ネット文化の恩恵に授かっていると度々感じている。

では、先のような時間泥棒を相手にした場合であるが・・・

暫くは膨大な時間短縮を実現したネットによる恩恵の代償と考えるとするか!

病は気から燃え上がる??

実はこの2週間、病んでいた。

頚椎の神経を壊してしまった。原因は長時間連続して見るパソコンにあった。同じ姿勢で見続けると、首に負担がかかり、肩が凝る。その症状が悪化すると神経を蝕み、最後はあの恐るべし、ヘルニアに近い症状を引き起こしてしまったのである。

病名は頚椎変形症。

パソコンの普及により今や現代病になりつつあると聞く。

今思えば、私の首はもともと弱い!(経営者であることとの因果関係はないようだが?)

成長してからの私の身長は180cmを超える長身のため、立ち話をしていてもよく「姿勢が悪い!」と周囲から指摘され続けてきた。

下を向くのと、上を向くのではどちらがいけないの?と単純な疑問が心をよぎる。こちらは草木と同じく、重力に逆らいながらも何とか直立しているつもり!屋内では、私より背の低いドアと過去より度々衝突した恐怖がトラウマ化したことも、首を折る悪しき姿勢が身についた理由でもあろう。とかくこの世は住みにくい。(引用)

しかし、この約10年間続けたマラソンにより、体力は同世代に引けをとらぬものと自負する。そんな自信が音を立てて崩れたのがこの2週間の出来事であった。

痛い!!ほんとに、マジヤバイッスヨ!

座薬に次ぐ座薬、今度は頓服に安定剤とギャルソネも真っ青な薬のてんこ盛り!レントゲンの後は、お決まりのMRIによる放射能の洗礼!首の牽引やら低周波やら、盛りだくさんの日替わりメニューにも閉口しつつ、一向に改善しないこの症状!

生!点数だけ稼ぎすぎてませんか! 頼むから効果がでてからのカウントにしてもらえませんか・・・ 痛けりゃぼやきたくもなりますよ!!

このまま痛むようなら、あと5分して救急車を呼んでくれ!」

家族にそう訴えつつ「このまま痛みで気を失うのも楽になる方法ではないか!」など不謹慎なことを考える始末。

その間、考えたことは

「今、自分が病であることを考えないようにする!」

 これは大きい!! 養生訓にも確か書いてあった!

とはいえ、痛みが我慢できる時ならまだ良いが、耐え難い激痛の時はどうするか?

とにもかくにも何かに没頭する。無理矢理にでも行動に移す!

痛みは、反射的なものを含め全ては自分の脳(意識)に宿る。痛み(症状)があれば自分は病気と診断し、病院に向かう。医者は豊富な経験と知識から、患者にふさわしい病名を授ける。その与えられた病名は、患者とその周囲の学習意欲を活性化させ、情報が情報を呼び込み、学習による症状をも意識のなかに植えつけてしまう。

やがて病名は、症状とともに潜在意識に刻まれ、存在感を増しながら患者独自の所有物と化す!?ゆえに病名が症状を悪化させないように、くれぐれも気をつけなければなるまい!

いずれにしても、自分は(大した)病気ではないとまずは考えるべきだ。そして病など考えて治るものでなく、むしろ考えれば考えるほど悪化するものであるとも・・・

何が幸いしたのであろうか、私の痛みが急速に意識の世界からなくなっていった。

今回の私の病は長期におよんだことより、影響は軽微とは言い難かった。しかしこの病のもたらした意義をまとめると、あの忌々しい痛みを伴った病も、少しはいとおしく思えるから不思議である。自分を成長させたところもあったことだろう!

「病も気から」

医学が発達した今、医学にそれほど頼れなかった先人の心の教えに素直に脱帽する!! 首の角度を気にしつつ!?

2007年のサンタクロースに望むこと!

今日はクリスマスイブ。

街中はイルミネーションで飾り立てられ、何が模範かよくわからないが、幻想的(現代的?)風景をかもし出す。久しぶりに開いた市の買出しを終えた様に、人々は大きな包みを提げながら人で混み合う師走の街を行き交う。

今が旬よ!と近年,定番化した音楽が執拗までに耳に入り、マスコミはまるで大災害を報道するかのようにフェステバルに沸く人々の様子だけ騒然と写す。

クリスマス。もともとは教会と信者による宗教的儀式(祭典)

この文化が日本の大衆文化に定着した背景には、欧米の豊かな物質文明に対する憧憬があったことだろう。

今、我が国は欧米並みの物質文明を謳歌できるほどになり、その繁栄を象徴するかのごとく、この祭りは過激さを増している!!

バブル期や景気回復期など、この日を、これ見よがしに贅沢三昧する日本人の姿が度々放映された。経済の発展に伴い、商業的意義の重要性が増した。それに伴い宗教的な意義を問うことすら少なくなった。

この文化に対する日本人の精神的解釈はどうだろう??

(勿論、信者を除くが) 2000年の歴史を抱える欧米の宗教的儀式の完全模倣を目的化しているにすぎないのではないか??

精神的思考の支柱をもたぬ擬似行為は、後世の世にまで誤解をもたらすに違いないであろう!

そもそも、愛する人にだけプレゼント(物資)を送り、また送り返される行為を神が推奨しているとは思えない。

この日ばかりは家族を省みようなど語る、本日づけのA新聞の表紙を飾る看板エッセイなどは、とてもいただけない。

この一日の意義を訪れた今日、無理矢理、しかも場当たり的に解釈しようとしても土台は無理な話!

せめて懸命に考えようとするなら、この日はキリストと同じく、人類の幸福を考えるべし。

史上最悪の人道危機、残酷な殺戮が今なお続くスーダン、ダルフール問題は今こうしている間にも罪のない子供や女性が銃弾により倒れている。

内紛が多発するイラクの国民の生活、洪水により多くの人が犠牲になり、なおも治まる気配すらない世界で一番貧しい国、バングラディシュの人々。

皆、同じ時代に同じ空気を吸って生きている!

唯一平等であるはず?の空気の質について責任すら持たないと言っているのは、あの超巨大国!今日一日、とても幸せに暮らしている様子だ。(少なくとも前述の国々よりは・・・)

我が家では今日、そんな話をしてクリスマスの日を迎えよう!

親父なんてきっとサンタさん来ないよ~ って言われるだけだが・・・

このままこの外来文化の上辺だけを、我が子に教えるわけはいかない。

宗教的には異なるが、この日をクリスマスとして迎えるためにキリストの善行を心に刻み、人類の共存と平和を希求する日としよう!

そして子供に教えつつ自分を戒める。

キリスト同様、他人の苦しみを我がことのように考え、多くの人に愛を惜しみなく与える人になれますように!

そして、多くの人々が自分の家族を大切にし、贈り物をする気持ちを人類に向ける。人類皆サンタと化す。世の中は善意の贈り物で溢れる。しかしクリスマスを飾るだけの仰々しい包装紙は必要在りませんヨ!

すべて今年のお歳暮のように簡易包装で構わないからね!!

本日ブログを書き終えた後、何気なくテレビをつけると、日本人がフィンランドのサンタと称する人に会う設定で、その実況中継を放映していた。そこで敬虔な信者のコメントを聞き、今回のブログ内容の中で、クリスマスに対する認識に不足があったことに気づいた。それは、「信者はイブ、もしくはイエス生誕日である25日には、家族以外の人と連絡すら自重し、ひたすら家族といる時間を大切にする」との内容であった。著者の認識不足をお詫びすると同時に、この日の宗教的な重みについて改めて認識することになったことをここに追記する。

選挙に行く心構え その2

いよいよ明日は参議院選挙の投票日である。

与野党の逆転なるか!国民の審判を仰ぐ1日。

などは世論を無責任に(責任をとる必要がない?)

扇動する一大勢力たるマスコミにお任せしよう。

しかし、メディアの情報をによると、

呆れる他ない政府高官の続けざまの失態。

まさに李下に冠を正さず!である。

国民に政治不信は募るばかり。

政治腐敗の影響も多いにあることだろう。

世相を映す反社会的な行為が度々横行する。

しかもとどまることを知らない。

この国の行方は一体??

嘆きだけでは何も変わらない。

政治には浄化作用がある。

過去にも腐敗と浄化を繰り返してきた。

では我々国民はどうすればよいか?

まずは選挙にいこう!

選挙に行かない人は、現在の政権に対する

ネガティブな支持者と強く認識すべきである!!

次に参政権たる権利を得た憲法について考える。

(実は先日、約20年ぶりに103条の条項すべてを

読み返したばかりである。)

憲法により、全ての国民に人身、精神、経済の自由

などの基本的人権は保障される。

それにともない国政を担う公務員の選定、罷免

の権利を持つ。

この権利は国民固有の権利であると15条で記される。

ゆえにこの権利を行使しない手はない。

どれほどまで苦労して先人がこの権利を獲得した

ことであろうか。

まさに他人に依存するべきものでない

個人の大切な権利である。

次に、憲法と法律と司法を解釈すると・・・

憲法とは、国民が現在の政権(政治家)に対し

遵守を促す不侵犯な約束事。

次に法律は政権(政治家)が国民を統治

しやすいように作る国民に対する指示書(規則書)。

そして司法により、憲法と法律が対立した場合に

この法律は、はたして憲法違反か否かなどを

見極める。いわゆるアンパイヤである。

我が国は法治主義たる法治国家。

ゆえにすべての審判は法廷にて執り行われる。

政治家(政権)も憲法違反は断じて許されない。

そのため政治家は憲法を改正したがる傾向にある。

また、作り変えることに使命感を持つ困った輩もいる。

これらは時代を検証することなく、今ある国同士の

利害関係重視する近視眼的な傾向が強い。

そして政党を作り、力の論理で少数意見を

封じ込める。

そこにイデオロギーがあろうとなかろうと・・・

とにもかくにも徒党を組む!

まさに最近の憲法改正における拙速な法改正

などが如実に物語る。

しかし政治家を選出するのは他でもない。

(前に戻るが)主権をもつ我々国民である

憲法で主権在民と謳う国の面目にかけても、

公共の福祉にかなう、正しい考え方を持つ人

選ぼうではないか!

子供の頃読んだ本で「罪と罰」の中にこんな

言葉があった。

礼儀正しい人間は退屈する義務がある。

一体、そんなに呑気でいられますか??

膨れ上がる財政赤字で今後の大増税は

避けて通れない。

また、少子化により、2011年からは100万強の

単位で人が減る国の地方行政は?

老人福祉は?若年労働者の人手不足は?

また年金は?

(データでは、和歌山県の人口程度が毎年減少!)

世界に類のない戦争放棄、戦力不保持、

交戦権の否認を謳う憲法9条の行方は??

トーマスホッブスが次なる警鐘を与えてます。

究極の自由は各人が自己生存のために

何でもする自由。国家とは人民が自由を

放棄した状態である。

先生よ!なんだか寒すぎると・です!!

(何故かヒロシ調で)

だけどそれでも選挙に行く自由は放棄しません。

たとえ真の自由と呼べる代物でなくとも・・・

選挙に行く心構え その1

年を重ねるほど小欲が心を支配する。

必要以上に富をむさぼる欲、自分の力以上に

認められようとする欲、見返りを期待する欲

揚句には消滅してまでも何かを残そうとする欲

まさに足ることを知らない。

このため他人との諍いも絶えない。

恥ずかしさも覚えず自分の欲求を満たす。

そのことだけに心を奪われるとやがては

他人を思いやる気持すら失う。

何人も、知識、経験を重ねると同時に

着実に重たい荷物を身に着けていくようだ。

垢がたまる。

そのため顔も年齢と同じく加齢する。

欲望の数だけしわを刻み、それが顔をゆがめる。

醜い顔に見える人は、世俗まみれの欲に魂を

売り渡したからか・・・(容姿の意味ではない)

加齢するほど顔や表情にますます人生がにじむ。

ただ自然が良い。心が清ければ、歳を重ねるほど

気品の漂う顔と表情になるはずだ。

素晴らしい年輪と感じられることもあろう。

そして人生最後の日までその顔で通せることが幸せ。

垢がたまれば洗い流すことが自然。

心が決まれば得ることも失うこともない。

運命と人生が一体を得る。

このように自然な顔と表情をもつ人を

人生の達人と呼びたい。

お金がある、力がある、キャリアがある、

この程度のことでめがねを掛け直すことなく

同じ街にすむ住人として、人前にでて代表と

なる人を見極めようではないか!

そう、7月29日は参議院選挙

マスコミと政治家により扇動された世論作りに

耳を貸し、甚だイデオロギー乏しい政策に加え、

メンバーの入れ替えは自由!数あわせを主目的

とする現在の政党政治。

これらを連呼するだけの人が本当に必要なのか・・・

(三文役者より、文芸座や吉本のほうが立派にこなすぞ!)

そうだ!むしろ欲の少ない候補人を選ぼう。

本気で窮状する弱者の痛みと真剣に向き合える人。

独り権力者の中に在り、自由と平和を妨げる勢力、

不正の温床たる政党が絡む団体に警鐘を鳴らし、

現代の政治に染まらず、絶えず国民の目線により

国民を見続ける。

小欲でなく、世直しをするんだと大いなる意志に

燃える大欲のある人を選びたい!!

選挙中に目立つ人、政党の将来ばかり気にする人

はやめよう!

しかし選択のため費やす時間は決して多くない。

だからポスターにより度々候補者の顔を確認

することとなる。

理想は・・

心を写す顔そのものに、曇りがなく、選挙でも、

家庭と同じ顔で変わらぬ言葉を語る。

いつでもどこでも誰とでも、同じ穏やかな

顔をしている。

そんな人が愚直に一つのことを語り続ける。

ただ一言だけでよい。

この国と、それ以上にこの地球に暮らす人々に

これ以上の迷惑をかけません。・・・と。 

例年どおり選挙に行きます!

結果を問わず、断じて無私の心にだけ、票を投じます。

また、いつものように自分の名前は書きません!

(すみません、これが私の公約ですが違反した場合、

必ず顔に出ます。悪しからず! 笑)