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金星の日面通過

またもや天体ショーである。

ニュースをつけるとそれ一色。国民全体の関心ごとのように報道している。

金星から地球を観れば、地球が一瞬にして無くなりかなり衝撃的ではないだろうか。

しかし、太陽からこちらを観れば、ただの鼻くそショーに過ぎぬかもしれない。

街中に目をやる。

道路ではいつもと同じように車が走り、忙しそうに人が横切る。

太陽との距離を測った功績と、太古の科学者のロマンは分かる。

しかし、にわかづくりのこの歓声は如何なものか?

いや、次回の観測が105年後という微妙なる数字が、無常のこの世を想起させるのであろうか?

いずれにせよ森羅万象に対し一期一会の心構えは大切だと思う。

何より、今日見た瀬戸の朝焼けは素晴らしかった!

本日の練習

走行距離   8キロ

内容      ジョグ 5′30″

またもや調子は逆戻り。

一層の細胞分裂により破壊された筋肉が蘇る日が待たれる。

正論を導く

何時の時期からか分からぬが、原発がなくなると町の存続すら危ぶまれるらしい。

逆から言えば、原発の存在が町を自立できなくなるまで追い込んだことになる。

町には到底必要としない数のハコモノが立ち並ぶ。

元々の産業がない。

原発基地にはそうした場所が選ばれてきた。

当初、地域住民は建設に反対し立ち上がった。

しかし時の政治家、行政、学者、建築関係者、電力会社は原発を作ることに腐心した。

何が何でもこの場所に作る。(沖縄基地移転問題に通じる)

そのため反対派の怒りの矛先を鎮める必要があった。

そこにお金と仕事がじゃぶじゃぶと注ぎ込まれる。

しばらくして町が潤い始めると、原発を推進した人の評価が高まり、やがて町民の支持を集めることになる。

そしてあの日、再び歴史が変わる。


原発再稼動にはまず、住民の賛成が必要である。

しかし、昨日の報道によると大半が反対しているという。

福島の惨状が目に焼きつき、あれほど恐ろしいものはこの世に存在しないとすら考えはじめている。

今すぐ再稼動すべきと叫ぶのは主に経済界のようだが、その経済界とは一体誰なのか?

人は名前をつけることではじめて存在を認識、使い始めて相互の関係を測る。

仮に、経済界の存在を認めるとする。

では、自分と経済界とは一体どのような関係にあるか?

また、経済界は自分をどのような存在として認めているか?

これを考えることにより、経済界とは自分であると思う人がいて、また自分ではないと思う人がいるだろう。

そこで原発のある地域住民と自分との関係を考える。

ここは重要で、真剣に捉えるべきだ。


意見が異なるのは、あふれる情報による混乱と認識不足による。

ただ、自己愛がすべての価値観に勝っていないか、一度疑う必要がある。

ここは誰の影響も受けず、どうあるべきか自分の胸に尋ねる。

そして間違えないと思ったとき人に伝えるべきだ。

私は大飯の再稼動に反対する。

     本日の練習

走行距離  5/15 夜 6キロ    5/16 朝10キロ

月間     208キロ

メニュー   JOG  キロ5分 

       体が重い  先日のトレイル走による影響である。

雑記10月12日

西日本に移り約20年。

当然のことながら、仕事でも関西人との会話が多い。

そこで気になる言葉が二つある。

一つは『正直・・・・』

この言葉を使う時は、以降伝えたい内容を更に真面目に説明するためと思いきやどうも違う。

そこまでの勢いがある言葉というより、嘘と思わないで引き続き聞いて欲しいといったニアンスで使用されている。

使い手は中年までの営業系男子が多い。

然し、これまでの話は正直ではなく嘘?

単純な突っ込みを都度、入れたくなることに不思議はあるまい。

語り口調および顔の表情で相手に訴えた方が良いように思う。

次に『ぶっちゃけ・・・』

ぶちあける、いや打ち明けるがルーツであろうか。。。

これから先の話題が急展開するための勢いづけであろう。

然し・・・実際は期待するほど発展しない。

また、その後特別な相手として秘密を打ち明けられたとの記憶もない。

この言葉を多用する人は、隠し事をする必要がそれほど多い人かと、気の毒に思ったりする。

しかし、上方の文化は多様なる言葉の文化。

言葉の呪術師たちが、今日も自在に言葉を操る。

ぶっちゃけ、この20年間というもの、いまだに圧倒され続けている。

昆虫のご馳走

仕事上の付き合いが長く続き、お互いすっかり顔なじみとなるヤマト運輸のドライバーさんのご招待で昆虫採集に出掛ける。

自宅より車で5分も走れば山がある。いつもはトレイル走でお世話になる山々に、今日は異なる目的で足を運ぶ。

3時起床、くずる子をふとんから引っ張り出して車に乗せると、すでに友人親子とドライバーのI氏が集合場所に待ち受けていた。

さて、そのI氏である。

40歳に手がかかるほどの年齢ではあるが、趣味は少年時代から続く昆虫採集。

なかでもカブトムシの魅力に取り付かれ、シーズンに数百匹もの採集をすることもあるツワモノ。

少年の面影を残す彼は、礼儀正しいドライバーの中にあってもとりわけ好感が持てる。

さて、元々昆虫採集好きの私ではあるが、夏山でやぶ蚊やスズメ蜂に追いかけられるより、雲を追いかけ走りまわる趣味に転じて久しい。

そのため臭覚、嗅覚などの五感が鈍り、採集に行くが連戦連敗の年が続いていた。

3年前にミヤマクワガタのつがいを捕獲して以来、子供にいいところを見せていない。ここは起死回生といきたいところでもある。

そのために、I氏は願ってもない助っ人である。頭にサーチライトを被りつつ軽快に山に入る時の彼の姿が、横から見るとカブトムシに見え笑えた。(失礼)

さて、周辺のクヌギの木が軒並み切り落とされ、彼のホームグランドもかなり荒らされたと嘆く。

その理由は、宅地造成や墓地整備にある。

昔、里山にはクヌギ、ブナ、ナラなどの広葉樹が密生し、周辺の人々も木々を大切に扱うことで豊かな自然循環が成り立っていた。

木々により、小川は急激な温度上昇を防ぎ、木の実や昆虫などの落下により魚が成長するなど、物理的な生物循環があった。

現在、放置された竹やぶが広葉樹を侵食し、かっての里山の原風景はすっかり陰を潜める。また、著しい生態系の変化をも引起す。

また、排気ガス、黄砂、酸性土などの影響により、木々はかってないほど樹勢を失い、早くから老木の体をなしている。そう、山に入るとよく分かる。

昔あれほどいたカブトムシが年々減る傾向にあると、虫取り名人のI氏も嘆く。

空を見上げると満天の星、一体我々は地球をどうしていたわってあげられないのだろうか。。。

そんなことをよそに、子供達は嬉しそうにはしゃいでいる。

折角の早起き、三文以上の得をしたい!

秘密の場所に到着、車から降りて歩く事約5分。

そこにお目当てのクヌギの木があった。

サーチライトで照らすと直径1メートルもある大木。

その中央部に大きな窓のような陥没部があり、すきまから樹液が滴る様子が分かる。

しかし・・・肝心の主役の姿が見えない。

『あ、カマキリだ!』友人の子供が叫ぶ。

大きなカマで蛾を捕獲し、食べている様子が分かる。

『他に何か見えないか??』

そこに、小さなマイマイが奇妙に歩く姿を確認した。

虫を見たことのない子供達はなんでも珍しそうであった。

『触ってみたら?』

子供に誘うと、つかんで直ぐに放り投げる。

『殺生なことはやめようよ!』

そこで考える。自分はこれまでに一体、どれほど多くの罪のない昆虫を捕獲し命を奪ってきたことであろうか・・・引裂いたり、他の昆虫と戦わせたり、また動物のえさにしたりと虐待の限りを尽くす少年時代を送ったではないか。。。いや、待てよ、それでもそうした殺生により命のはかなさや、小さな動物の弱さを、幼いながらも全身で感じていたのではないか。

現在、都会に住む子供や山で遊ぶ事のない子供は、こうした体験を持ち合わさない。これでよいものだろうか?一体どのような生命体が山で暮らしているのか?こうした事情を肌で知る事こそ、自然を見つめる心をはぐくむのではないだろうか??

子供のころ慣れ親しんだ遊びを大人になって行なうことではじめて、現在の子供との境遇の差が比較ができるものだと感じた。

一行は次に場所を移動し、そこでようやくコクワガタのつがいを採集できた。

今回、友人の子供達もはじめての昆虫採集とのことで、とても喜んでくれたようだ。また、大役をお願いしたI氏も、それを見て安堵した表情であった。本当に有難うございました!

さて、最後にI氏が話した言葉である。

『昔のカブトムシ。それはもう大きかったんだ。また、ノコギリクワガタのオスの体長は10cmを超えていた。立派で貫禄のあるノコギリに惚れ惚れしたものなんだ。だけど、ここ数年のカブトやクワガタは総じて小さい。その理由は栄養のない土にあると思うんだ。幼虫の時、いかに養分を土から吸収するかによって、成虫のサイズが決まる。子どもはどんな生き物も同じなんだね!』

里山を今一度整備し、早急に腐葉による自然循環の正常化を考えなくてはいけまい。

虫取り名人の口を通じて、森の生き物からのメッセージを聴いたような気がした。

野球観戦から見る起立問題  

僕は小学校6年生の男子。

今日は待ちに待った遠足の日!

マツダズームズームスタジアムで地元球団、広島カープの応援だ。

私の通う市立小学校では、学校行事として年に一度の野球観戦がある。

少し自慢だけど、OBに現役のカープ選手がいる。だから父兄にも熱狂的ファンが多い!

そのため、引率ボランティアは募集後直ぐ締め切りになるそうだ。

さて、担任のK先生は大阪府出身、根っからのタイガースファンだ。

奇しくも今日はその阪神と対戦する。

今年ここまでの対戦成績は、圧倒的にタイガースが優勢である。

私としては、何とかカープに勝利して欲しい!

球場に到着した。真っ赤な帽子が目立つ私たち集団は、例年通りカープ応援側に陣取る。場内放送より、私の通う小学校の名前が呼ばれ、見学御礼を告げるアナウンスがあった。

生徒一同、歓声により応える。

中盤まで、タイガースに大差をつけられていた。

劣勢のカープに、応援側スタンドの雰囲気は重苦しかった。

しかし、終盤に差し掛かる頃、看板選手がホームランを打つ!

『かっとばせー!くりはら♪くりはら♪くりはら♪』

メガホンを上下に振りながらスクワットに似た動きをとるスタンディングオペレーションは、すっかりカープ独特の応援スタイルに定着してきたようだ。

得点が入ると、立ち上がりながら万歳のポーズを取るウエーブがスタンド中に巻き起こる。

勿論、生徒たちもウエーブ仲間にいれてもらう!

終盤、大量点をあげたカープが試合を見事に引っくり返す。

引き続きチャンスが訪れる。周囲は否が応でも盛り上がる!

生徒も周囲にリズムを合わせ、見よう見真似の応援に興じた。

しかし、最高潮ともいえる雰囲気の中、担任のK先生は少しも愉しげな顔をしていない。

スタンディングオペレーション、ウエーブの最中でさえ、座って静かにプレイを眺めている。

その先生の周囲の生徒だけは、応援で立ち上がることなく座ったまま観戦していた。

そのうちの幾人かは、それでも応援が気になるように見えた。

しかし、明らかに野球観戦に興味を示さない生徒も窺えた。

そこに、熱狂的カープファンで知られる教頭先生がやってきた。

開口一番。

K先生、少しは生徒と野球観戦を愉しんでみてはいかがでしょうか?クラスでまとまって地元チームを応援することは、生徒に郷土愛と連帯感を持たせる絶好のチャンスですよ。

また、先生と生徒の親睦は学校行事の目的でもあります。K先生がカープファンではないことは知っているけど、ここは学校行事と割り切ってもらえないでしょうか?』

するとK先生は目を丸くして

『教頭先生、それは私がカープファンと同様、起立する応援を繰り返せという意味でしょうか?』

『うん、・・・だけど眺めていると君がちっとも応援しないものだから、君の周囲だけがムードに取り残されているようにも見えるよ。まあ、考えてもみてくれ、少数の生徒が先生に遠慮して試合を観戦したとする。これでは楽しいはずの遠足が果たしてどうなる?

また、本日引率のため参加している父兄の視線も、少しは気を使って欲しいよ』

『お言葉ですが教頭先生、本日は当然のことながら職務です。

だから、野球観戦を心から愉しむつもりなど、当初から微塵もありません。それどころか、引率により、とてつもなく神経を使っているのです。

だけど、私の周囲を選んで座る生徒は、実のところ私と同じくカープ嫌いの子や、また野球に興味を示さない生徒ばかりです。

この子たちは、球場での自分達の居場所を求める意味もあり、私のところに集まるのです。だから、その子達の言い分をしっかり聞いてあげることも大切な教育だと考えます。』

『だけど、児童がまとまり応援するムードに水を差す行為は考えものだよ。君の偏狭な考え方は周囲に悪い影響を与える。それに気がつかないとすれば君、教員失格だよ。』

『偏狭とは随分なお言葉ですね。それでは教頭お尋ねします。一部の生徒がこの先、野球に悪感情を抱く結果になったとしても無理矢理起立して応援するよう、私は指導しなければならないのでしょうか?』

『いや、少なくとも君だけは立って応援をしなくては示しがつかないと言っているのだよ。それは、例え誰かの感情を損なおうが、また特定の人にえこひいきになろうが・・・団体活動を円滑に遂行させることは我々の職務なんだよ』

『教頭先生、本日の私は仕事上の任務としてカープ応援席にいます。

その場所で応援する児童も、また応援しない児童もすべて私が受け持つ生徒です。生徒の野球に対する受け止め方はそれぞれに異なります。その一つ一つと向き合ってこそ、教育だと考えてきました。また、起立して応援する生徒、起立しない生徒がいて、お互いがそれぞれの立場と考え方を尊重し認め合う、また、自由闊達な意見交換をする。こうしたリベラルな雰囲気作りこそ、生徒指導に必要なことと考えます。今回、私が立ってカープを応援しないことを、むしろみんなの議題にして欲しいくらいです。』

『うむ-、君の考え方はよく分かったよ。ただ、今後、君のおかげで教育委員会や学校側の指導方針すべてに反抗する生徒や先生が増えないか不安だ。ところで、公務遂行において上司から発せられる職務命令に背くと、国家公務員法でどうなるか知っているかい』

『教頭先生、それって・・・威しですか?それでは私の教育に対する理念や信条は一体どうなるのでしょうか?公務員である以上、誰も守ってくれないのでしょうか?』

『そんな目くじらを立てなくても良いよ。君の好きなチームを変えろとは言ってない。ただ、決められた場所で、職員はしかるべき行動をとることの重要性について、もっと賢しこく振舞うように忠告したいのだよ。特に君は若くて将来がある身だからね。ただ、それだけだよ』

『ただ、それだけ?』

さて、上司である教頭に理不尽な要求を突きつけられたと怒りを覚えたK先生、早速この話を裁判所に持ち込んだ。すると、行政に媚を売る裁判官は、K先生の要求を不当と跳ね返した。そのタイミングを待っていたとばかりに行政の長は、学校行事により野球観戦に行った際、絶対多数のファンのいる場所(公共の場と呼んだ?)では、ご当地チームの応援歌が鳴り響く間は、引率の教員は一様に起立して応援しなくてはならないとの法案を提議した。

圧倒的勢力を誇るワンマン首長のいる議会のため、この法案はいとも簡単に可決、法案化したそうだ。因みに裁判官、首長はあの教頭と同じ熱狂的カープファンだったと聴く。

これは、K先生と同じく、別の学校で先生を勤める私の父親から聴いた話である。

父は続ける。

規則とは人を治めやすくするために次々と作り変えられる。

また、罰則だけが唯一、規則に重みを与える。

共同社会では、規則が出来ればできるほど道徳心が廃れ人心は貧弱に陥る。

また、考えても仕方がないやという諦念にも似た感情より、思考をしない人が増える。

歴史は繰り返される。教育の現場に行政や政治の圧力が必要以上に加わることは、実は恐ろしいことなんだ。

普段は優しい父のまなざしは、いつになく厳しい視線で遠い一点を見つめていた。

 

つづく

国家公務員法

(法令及び上司の命令に従う義務並びに争議行為等の禁止)

98 職員は、その職務を遂行するについて、法令に従い、且つ、上司の職務上の命令に忠実に従わなければならない。

日本国憲法

19 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

乾燥剤屋の梅雨模様

このところ梅の販売を始める店舗が増えたようである。

街路では、水を得た魚のように生き生きと成長するあじさいを眺めると嬉しくなる。

先日、例年より10日以上も早く西日本が梅雨入りしたと発表があった。

乾燥剤、除湿剤の仕事に関わり、早いもので20年を数える。

元々、この仕事は梅雨入りと深い結びつきがある。

それは、さながら灌水した田んぼとカエルの関係とでもいえようか。

水を張るほどに、生命が脈々と息づくかのごとく、湿度の高まりにより除湿剤は一気に需要が拡大する。

これから秋の台風シーズンにかけて、年間で最も湿度が高くなる時期でもある。

家ごと雲(水蒸気の塊)に包まれるケースも珍しくない。

兼好法師の言葉にある。

住宅は夏を旨とすべし

職業柄、まさに至言と言わざるを得ない。

戦後、建造された日本の住宅の多くは、この偉大な先人の忠告に耳を貸さなかった。

治安、騒音、エネルギー効率を最優先、狭い国土に機密性の高い住宅ばかり建てる。

土地が間に合わなくなれば空間を使えとばかり、コンクリート製の箱物を次から次に建造する。

機密性の高いマンションや一戸建てなどは、屋内にカビや不快害虫の生息条件を提供する。

こうして我々の仕事がこの世に認知された。

文明開化以前の開放型住宅では、全く必要のない代物であろう。

大きく開いた家同志の間隔は、風が吹き抜ける道を提供する。

床は地面よりはるか高く、どこからでも風が縦横無尽に吹き抜ける理想の構造である。

そこには屋内の約8割を開放できる窓枠が用意され、木の扉により自在に開閉できる。

住宅を覆う塗り壁は、そのものが呼吸をする土壁。

はりをはじめ、骨格部分のすべてに呼吸しやすい木材を使用する。

強く雨が降る。

すると雨戸を閉めて、水分の浸入を防ぐ。

それでも元々通気性のあることより、1時間に数度は屋内の空気が入れ替わる。

いざ天候が回復すれば雨戸を開放、乾いた風が屋内を循環する。

この風は水分を吸放湿する天然品、畳の井草、漆喰などの塗り壁、木材をすっきりと乾かす。

乾いた天然品に害虫やカビは繁殖しない。

古来の住宅に対する知恵を侮るべからず。

効率化を求めるほどに、新しい問題を作る。

そのため、問題解決に向けたエネルギーを費やす。

とはいえ、狭い国土でこれほどの人口増加を吸収するには、近代建築が必要であったことも事実である。

除湿剤は、あまりに人工的に作られた、近代都市の弱点を補完する商品といえよう。

部屋の湿度を適度にしなければ、人体への悪影響は免れない。

空調だけでは、すべての空間を調湿することはできない。

また、これより電化製品の使用方法が様変わりするであろう。

こうして考えると、しばらく除湿剤が必需品であることに間違えはなさそうだ。

梅雨の季節に忙しい理由を自ら尋ねてみた。

さて、今年の梅雨はどうか・

歳月が経過したこともあり、最近ではこうした問いにようやく自然体になりはじめた。

しかし、自然に向かって自然体というのは、やはり不自然であろうか?

やはり、自然に優る自然はなし。

1日一生

私の足は、この体重を支えるだけで精一杯。

一歩すら足を運べなくなっている。

踏み出すとバランスを失いそのまま倒れこんでしまう。

腕は数トンもの鉛をぶら下げたように重い。

眼前を小蝿が往来する。

振り払う力さえわかない。

頭の内部からこめかみにかけ、強い圧迫感がある。

一刻も休むことなく考え抜いたためであろう。

小刻みに襲う旋律にしびれ、思考力を失う。

もはや少しも動けない。

また、何一つ考えることが出来ない。

よし、ここは休む他あるまい。

もはや限界、勝負はここまでだ。

背中とお尻で同時にベッドに倒れこむ。

頭をしたたかに打つことになるが、痛みをちっとも感じない。

おや、今度は何も見えない。

まぶたを動かす筋肉まで力尽きてしまったようだ。

いよいよ体内に残されたエネルギーは完全に枯渇した。

少しだけ時間が経過した。

物音一つない静寂の中、心臓の鼓動を耳にした。

自分はまだ生きている!

心が体より解き放され自由に飛び回る。

体もいつものような心の奴隷ではない。

支配を免れ最も自然なポーズをとる。

負荷のない状態とは、まさにこのことだ。

これほど甘美な疲れがあるなら、死の状態もそうあるべし。

さて、一日を生き抜いたご褒美とばかり再び我が身を暗闇に委ねる。

目を覚ますと、すっかり夜が白んでいた。

朝陽が窓辺より差し込む。

あれほど無力であった体が、嘘のように動き始める。

さあ、今日も元気一杯だ。だから、思いっきり疲れよう!

人生とはこう在るべきなり。

人災の極まりレベル7 『風評被害』

風評被害の正体みたり。それは醜い自己愛であった。

風評被害を端的に言えば、言動に責任をとらぬ一連の行為だ。

しかし、実害を加えるとする意識が一様に希薄であることに特長がある。

だからといって言い逃れはできまい。

話題に対する消極的参加者と換言できまいか。

この風評、例えて言えば、無責任が服を身にまとい街を闊歩している状態であろう。

このパレードの参加者に共通していえることは“無知”であり、また“無知への自覚”がないことでもある。

知性から発する好奇心と一線を画す。

風評を受け入れる気持ちは、不安の払拭が深層心理に潜む場合が多い。

元々話題に根拠がない。

だから、賛同を求めるべく他人を巻き込もうとする。

こうした自己防衛の行為は、醜い自己愛が導く。

話を聴きいれる相手選びとは、自分のレベル、もしくはそれ以下が対象となる。

負および腐の連鎖は、こうして時とともに拡大する。

『これは風評被害だ!』

叫び始める人が、被害者以外にも増えはじめる。

すると事態の背景と正確な内容説明を、繰り返し一般に訴えることが最良の策と考えようとする。

その情報を公開するタイミングと解説する役目にある人間により、事態がさらに深刻化する場合がある。

被害者救済の道筋をはっきり示せないまま、ただ不安の種を撒き散らす。

すると、情報を聞きつけた人々は不安に陥る。

それまで何事もなく過ごしてきた人、また深く考えなかった人も、話題に乗り遅れまいとばかり自己防衛に走る。

風評の告知はさらに消極的参加者を増やす。風評が炎上するとでも言うべきか。

被害者の実害が拡大の一途をたどる。

風評とは、噂とも言い換えられる。

『噂を信じちゃいけないよ。』

一世を風靡したあの唄が空しく心に響く。

混迷する時代背景のもと、ちっぽけな偏見が次から次に市民権を得る実情に不安を感じる。

事態収束のためのシナリオはお構いなし、鮮度ある情報を伝えることがミッションと、不必要な情報を切り売りする無能なメディア集団に腹が立つ。

また、評価に値するするかけらさえ見出せぬ、器量に欠く政治家の面々。

加えて売名かギャラ目的か知らぬが、軽率なメディアに引っ張り出されて突然大学の講義を始める厚顔な有識者?(因みに彼らは我々を無識者と呼ぶのか?)

これらのミスキャストが演じるお茶の間劇場こそ、事態を拡大させ収束を妨げていることがまだ分からぬか!

さて、風評と向かい合った時、大人として一体どのようにあるべきかを考えてみよう。

これには自らの良識と善意の考え方で対抗する他あるまい。

この善意とは、言い換えると慈悲深い人間愛である。

この愛の力こそ、日本を窮状から救うものだ。

恐怖を煽る人は責任を取らない人。また、自分さえよければ他人はどうでも良いと考える人。

海外に拡がる日本への風評被害の中、国内の風評被害騒動などあってよい訳がない。

日本人の矜持が今こそ求められる。

商道は1日にしてならず!

得意先の社長より学んだ一切を、感謝の念を込めここに綴る。

その得意先の業務内容であるが、我が国の人口構成の変化に加え、昨今の消費不況が追い討ちを掛けることで構造不況業種として国から不名誉な認定があるほど厳しい状況下にある。

その背景にあるにもかかわらず、彼は一昨年に続き再び新店舗をオープンした。

エネルギッシュな社長は実際に数多くいる。また、これまでも多くの社長連中と関わってきた。

エネルギーを内なる心に向けるため、全く情熱を外部に現わさない社長も中には見受ける。

しかし、大概に言えることである。

起業したオーナー社長であれば、仕事に尋常さを超える程の情熱がなければ務まらない。

仮に起業はできたとしても経営者になれまい。

先の社長は過去に面識を得た人の中でも、実にエネルギッシュである。

また、断じて色眼鏡で見ていないことと確認しつつ客観視しても、発するパワーが他と異なる。

ビジネスに対し真摯に取り組む大先輩より、教わった金言である。

『仕事は時に愉しくもあり、また苦しい。当然、予期できないことがおこる

それを時代の変化の責任にするのであれば、自らの努力不足をまずは疑い戒めるべし。

グローバル化や高度な情報化社会、特にネット文化が会社を衰退させたと嘆く企業もある。

言い訳は不振企業の数ほどあろう。

しかし、いかなる理由においても、誠の人間関係に介入できる余地はあるまい。

人と人をつなぐのが商い。それで商人はこの世を渡る。

人間と人間の深いつながりこそ、商いは感動を生む。

購入者と商人、お互いに取引きを通じて信頼と感謝が生まれる。

それが連鎖するからこそ、商いは栄える。

商品などは、いつの世も探せば必ずどこかにある。

また、買うことなど腐心すればどこからでも一時的には安く買えるのは世の慣わし。

ならば、買いたい人はそこで買えば良いではないか。。。

しかし、それらは心より満足して商品を購入したと、果たして言えるであろうか?

一時の出費は抑えられたとしても、年数が経過すると必ず購入した、その日の感動を忘れる。

商品の末路といえば、ごく当たり前の話であるが故障と廃棄が待ち受ける。

顧客と店側の心のつながりこそ、購入時に大きな感動を呼ぶ。物が物でなくなる瞬間だ。

感動すれば益々商品に愛着がわく、また、他人にも自分の得た感動を思わず紹介したくもなる。

それらを構築することで、この時代に拘わらず業務拡大できていると考えている』

とのことであった。

お金で買えないものがあるとすれば、やはり信用であろう。

それは、いかに互いが真剣に対峙するかに拠る。

マーケットは真剣の場とその社長は語る。

そのマーケットを軽視しない。

いつでも真剣にとらえる。

そのために、『商いを通じて社会貢献をしている』との意識を絶えず持つべきであるとも教える。

簡単に見えることこそ、実行することは難しい。

ネット販売により、ユーザーは商売人以上に商売気が旺盛になったように感じる。

しかし、気に入ったものをより安く買いたいのは、不況時であろうがなかろうが同じである。

その欲求だけを充たすのであれば、ネットの果たした役割は大きい。

しかし、罪も数多くあろう。

何故なら果たして自分は一番安く買えたのであろうかと、購入後もいちいち心配しなければなるまい。

要するにこの購入ゲームに興ずるとすれば、最も安く買った証明書でも得る事とがなければ、いかなる購入をも満足できないと思う。

『商売人から物を買ってやる。不況だから安くして当然!』との考え方が最近、消費者側の心に蔓延してきていることを危惧する。

感動のない、会話のないやり取りが増えれば人間関係はさらに殺伐となる。

人間くさい場所に行き、顔見知りの人間から必要なものを買う。時には必要でないものも混じる。だけど、次第に必要に思えるから不思議なものだ。

そこの店にはいつも溢れる笑顔がある。

また、店員の顧客を思う真剣さがある。

店とお客さんとの真剣勝負は展示品のクオリティーをさらに向上させる。

そしてまた、新しいお客が訪れる・・・

先日訪問した新店舗の飛躍に疑いなきものと感じた。

また、購買一つにしても人間の品格が現れるものと、つい考えさせられた。

良い店が良い客を作る。良い店が良い客を作る。

諸問題を抱える日本の政治についても、同じ考え方が出来よう。

さて、新しくマラソンブログを書き始めました。アドレスは腹さんにリンクを貼るようお願いします。

入道雲

あの日も暑かった。

着替えを取りに自宅に戻る電車には、昼間というのに大勢が乗り合わせていた。

その日、自分だけが特別な人間と感じていた。

『そうだ。たった今・・・大切な人を失くした。』

周囲を見渡して、見ず知らずの人にそのことを告げたくなる。

『不思議である。誰もこの私の異様さ加減に気がつかないのか』

相変わらず無関心を装い、他人の目線を避けるように視線を移す人々。

感覚を研ぎ澄ませてみたが、電車内はいつもと異なる様子はない。

この時、私だけが自然な状態にあり、逆に大勢が不自然を装っているかの如く思えた。

『大きな穴が心に開いた。』

その穴を埋めるものは今、到底見出せない。

だから・・・

しばらくはその穴を覗きこむことにした。

少し乗客が降りたため、車内に空席が目に付く様になる。

目の前の席が空くと、まるで儀式のしきたりのように腰を下ろす。

しばらくはうつむいたり、天井を見上げたりを不規則に繰り返す。

やがて音が消え、臭いもなくなり、また何一つ見えなくなった。

電車を降り、海辺近くの家まで歩いた。

見上げると、そこは夏模様の空。

海から入道雲が、勢いよく天に向って立ち昇る。

雲上に、まだあの人がいるのではないかとじっと目を凝らしてみる。

森の木々は鮮やかすぎる緑をたたえる。

海の照り返しは、目がくらむほど眩しい。

いつもと変わりなく過ぎる真夏の一日のはずだった。

『あの人は、たった数時間前までこの空間にいて、自分と同じ呼吸をしていた。

吐いた空気をかき集めて雲にすることができれば、あの人は元に戻るまいか・・・』

真夏の入道雲を見ると、8年前の8月に逝った父を想い出す。

人の形をしているとつい、生前の彼の姿と重ねる悪癖が身についてしまった。

                                        2010年 夏

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