為政者に注文。

そこにお金がある。

それは世の人々と同じく、汗水たらし働いて得たお金ではない。

利権に群がる人が見返りを期待し、投資したお金である。

そのお金の多くは社会的活動において、正当な労働の対価やサービスの報酬の類であろう。(そう思いたい。)

しかし、集めた側は支払う人ほど苦労した訳ではない。

苦しくないから、お金そのものに本来の価値を与えない。

そのお金がたくさんあるから隠す。

必要だから、いや必要な時期が間違えなく到来するであろうなど理由付けは容易だ。

お金がどれほどあっても不足と考えるのは欲心。

一度嘘をつく。

嘘が嘘を作る、嘘の連鎖が生じる。

やがてその嘘は自分で作ったものでないとさえ考え始める。

巧みな言い逃れこそ真実の語り口と近い。

熱く語る内に無実の人を批判してみせたりする。

嘘も100度語れば真実に聴こえるもの。

しかし、一度尻ごむと見せるや身辺に責任者を立て逃れる作戦にでる。

既に常套手段になりつつある。ほとぼりが冷めるまで舞台に上がらない。

さて、お金のルールを守れなかった政治家がこの度、国家権力の頂点に立つ。

ここはまるで汚職にまみれた金権政治のタイ王国?とても世界の先進国には思えない。

と、同時に1億3千万人の国家財産を懸念する。

さて、非常事態の財政をさらに悪化させた場合、また何処からか責任者を探し糾弾させるつもりであろうか?

そうならないように厳しい目で監視しなければなるまい。

為政者が不自然な作為に憧れる限り民に平安はない。

人心は腐乱し、盗みや犯罪が増える。社会は混乱する。

将来を先取り失態を晒した領袖に汚名返上の時間を与えるとすれば、すでに相当疲弊した民衆に活力を与え、友愛のメッセージに嘘偽りがないことを示すことだ。

国家窮乏の危機にあることは万人が認めるところ、急ぐべし。

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つぶやき②

いよいよ国会が解散した。

あと数日で候補者名、政党名およびガンバリマス!を連呼するだけの選挙カーが職場に自宅周辺にと、縦横無尽に駆け巡る。選挙カーのボリュームにルールがあると思うが、小鳥のさえずりがこだまする閑静な場所と、車の行き交う大都会では音声の受け留め方がまるで異なる。

私の住む田舎街でもあの音はいつも許容を超えている!騒音公害は環境問題の一部?お年寄りや乳幼児のいる家庭では健康障害すら心配だ。いずれにしろ、この音を考えただけでもしばらくは憂鬱な気分になる。

目下、エコ文化真っ盛り。排気ガスを撒き散らす選挙カーは少ないかもしれないが、はたしてすべて電気自動車になるだろうか?いや、選挙費用が決められてるはずだから、レンタカーの予算を最優先できまい。

それにしても、路上清掃車と見間違えるノロノロ運転で、時には葬儀の列のごとく複数台が連なる。これには関心しない。追い越して先を急いでくれか、あるいは支援を請いたいのか・・・候補者の紛らわしい手の動きに度々閉口した記憶がある!

さて、普通選挙がはじまり80年以上が経過している。この21世紀はテレビの普及率は限りなく100%に近い。またPCの発達により国内で8000万人近くがネットを覗ける環境にある。

ここで提案である。

車の走行距離と騒音公害にもなりかねない、単純な言葉の連呼数を競う旧態依然のやり方をそろそろ変えてみないか?

勿論、移動手段として車を利用することは構わない。その際に車に選挙公約や政党名、また自分の顔のポスターを飾る事まで誰も厭わない。

その変わり選挙期間を公示より30日間とする。

政治的空白が目立つが、この程度なら取り返しがつく。国家の一大事でシステムが機能するよう準備をすればよい。

加えて選挙活動を24時間とする!

この意味は若者以外にも80年前と比べ、明らかに生活スタイルに変化が見られる。

深夜でも候補者が有権者を前に政見を語りたいと考えるなら、若者や夜勤の人が集まる場所や集会所を抑えればよい。要するに規制を撤廃して限られた時間を自由に使えるようにする。

次に移動のための選挙カーであるが、生協が共同購入場所で組合員を呼び出す程度の音楽ならよい。

この選曲もやはり候補者が自由な裁量で決められる。ポップスよし、ジャズよし、演歌よし!思い違いも含め?おそらくは自分のイメージに近づけるであろう。

この曲に合わせ候補者は有権者に手を振るだけでよい。また、子供もすぐ覚えられる優しいメロディーを考え、候補者の名前を売り込む唄として考えても面白い。

そういえば、田舎町ですれ違う選挙カー同士が相手の候補者の健闘を讃える光景を思い出す。

スポーツなどではいかにも好感を持てるシーンであろうが、これまでさわやかさを微塵も感じられなかったのは、この陳腐な選挙のやり方に問題があった!一体、何が目的でスピーカーを使用して相手を讃えなくてはならないのか??

ボイスがないから新人は知名度向上につながらないと考える候補者がいるとすれば、そこは思考停止状態。固定概念より「選挙たるはこうでなくてはならない」ではなく、条件により過去は捨て去り変化に対応した独自の方法を各々が考案する。

いつ、どこの場所にいけばよいか、時間帯はいつが良いのか、移動手段は自転車、それとも走るか?

候補者のやる気とセンスがにじみでれば、スピーカーでうるさく叫ばなくても有権者は振り向くに決まっている!本当に政治がやりたければもっと以前から地道に活動をするべきである。

今日は、変化に順応する能力もこれからの政治家に必要ではないかと考えた。

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21世紀はどうなる?

我々が生きる今、この21世紀は22世紀以降の未来からみて一体どのような時代に映るであろうか?

「人口爆発による食糧不足と環境破壊による天変地異の100年になる!」約10分の1を経過した今、こう予測をした識者がいる。

アジアを含めアフリカなどで今後も人口増加が進み、2050年には今より33億人多い100億人に達するとの予測である。現在も10億人が食糧不足にあえぐ中、食糧事情は益々厳しさを増す。もはや一刻の猶予もあるまい。この問題は人類の抱える問題ととらえ、世界中で総力を上げ解決を図るべきであろう。

次に環境問題であるが、これも先の食料問題と同様で人類を危機に晒す問題、また地上のあらゆる生命の存続に関わる問題でもある。いずれも人為的に繰り返された過ちが起因したものである。

人為的災害と認識してはじめて、良識のもと行動ができる!

さて、この地球温暖化の原因、CO2の削減目標などの低炭素化に向けた動きであるが、今回の経済危機によりさらに焦点が絞られた感がある。

解決のためには食糧問題と同様、地球規模での協力が必要である。地球に生きる全ての人のコンセンサスを得る日までは・・・

勿論、今すぐ生命にかかわる食料問題を大事にしていきたいところだが、実はこの2つの問題は根底が共通する!

この地球温暖化の原因について、二酸化炭素の増加との関連をいぶかる学者の声もあるがすでに議論は待たない!実際に200年前の産業革命時より大気中のCO2は30%も上昇している。また、有史以来これほどの上昇率はないらしい!!

昨年末発生した世界同時不況、いわゆる経済危機であるが、これほどまでに大きな経済の下降局面が全世界に飛び火することはきわめて稀なことである。だが明確な時期は専門家に譲るとして・・・いずれは収まるところに収まる!

環境問題と経済危機・・・いずれも世界規模での出来事ゆえに合理的思考のもと全員参加でいきたいものである。勿論、経済的効果あっての持続であろう。

とりあえず、現在はこれに優る経済効果の呼び水となる平和的な目標は考えにくい!

この理由だけではない。他にも枚挙に暇がないほどの環境の変化を人類が目の当たりにしているからである。それゆえ誰もが追随する他あるまい。人事を尽くしたあとは、天変地異がこないことをひたすら祈るだけだ。

さて先日の政府広報紙を読むと、日本の2020年までのCO2削減は1990年比で15%と決議したようだ。これで充分であるかまた非現実的であるかは別問題として、日本としては大きな目標を立てて取り組む方がメリットが大きい。なぜなら技術的なアドバンテージを持つからだ。また文化レベルも高く、平和教育により大多数の国民に賛同を得やすいこともある。

次に京都議定書に署名した国は、EU15カ国、ロシア、日本。この国々で排出量をあわせると22%。

一方、非承認国のアメリカと中国が20%づつである。

アメリカに関しては自国でスタンダードを作らない気持ちがおさまらない?にしても、オバマ政権のグリーンニューデールが今後額面どおり機能すると削減量は大いに期待できる。

要は力を入れる、入れないとの不平等をなくしたいことを建前に、リーダー国を標榜する国が基準を作りたいだけであろう。しかし、この基準さえいつ変更になるかわからない!!きわめて曖昧である。

なぜなら全てにおいて新しい取り組みでもある。また中国やインドなどから想定を超えた排出量があれば制度自体変わりかねない。要するに国際協調が必要であることを間違えなければ、将来の自国の威信をかけて各々が愚直にやればよい!

今回は人類の危機から立ち直るとの意で、全く負からのスタートであるゆえ逆コースに大ぶれする事はあるまい。それがもとで国際紛争の火種になる心配がないところがよい。

(これすら分からないという識者が仮にいれば・・・それを話題にする時、もはや状況は手遅れになるほど事態は切迫しているという認識をすべきだ!)

後進国も今後は協力せざる終えない。先進国のメッセージを真摯に受け止めないほうがデメリットとなる社会に進むからだ。環境に配慮しない商品は、たとえ安くても購入してもらえない。たとえばカーボンフットプリントなる制度が徹底すると、商品毎に輩出したCO2の量を商品に書き添えねばならぬ。それゆえ環境保護を訴える国に配慮のない商品は売れなくなる。

このテーマについては今後、折に触れて書いていきたい。とりあえず二つの問題が人類に立ちふさがり、それを克服するために努力を尽くすことを心に命じる。

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つぶやき

ここのところお茶の間に映る政治ショーには辟易する。

どの役者も大根役者、見事に小粒ぞろいに見える。マスコミに露出することだけ力を入れ、そこに肝心の政策やイデオロギーは見当たらぬ。加えて自民党内に政策における相違点がないにも係わらずかっての同胞が派閥を盾に争う。政策を語らず選挙のため、自己保身のために・・・

国民に今一番受けの良い旬の言葉とパフォーマンスとは一体何であるかを考え、瞬間芸として演じる。だからいたるところで失言が目立つ!!だからこそ大根役者たるゆえんである。

確かにここ数年、実現を考えたこともないであろう歯の浮くような言葉と国民受けを狙った政策のオンパレードであった。

政治は言葉といえども誠のない言葉は誰にも響かない。1つの政策をたとえ誰もが評価しなくとも未来に対して語り続ける、骨のある政治家の存在を見出せずにいる。非常に残念だ。

一億の老若男女が同じ不安を抱える年金問題や社会保障より、経済危機克服が大事とアドバルーンを掲げて躍起になった経済政策。先進国中のどこよりも深刻な財政危機の渦中、将来の見通しは国民負担であることには口をふさぐ。無責任に財政を封印してまでばら撒いたお金の波及効果を検証して見るまでもなく、次から次に借金を重ねばら撒く。

このばら撒き政策を見る限り、現在逆風下のエクセレントカンパニーの景気回復後の圧倒的優位性を保証するものが目立つ。中小零細との不公平さに戦慄すら覚える。加えて一般人にばら撒く前に将来の不安を打ち消さず、ただ消費を促す話ばかり先行する。

そもそも現在の日本の悪い状況は社会制度の疲弊にあると考える!不完全な社会システムが富の公平なる分配を妨げている。それを腰をすえ改革する必要があることが分かっていながら場当たり的政策の応酬で急場を凌ごうとする。

「今までの事は全て前政権の失敗にある!」

政党名や派閥など変幻自在の腰の軽い政治家達が声をそろえる。そんな気がするのは私だけか・・・

今や党を立て直すことはあきらめ誰と誰の派閥が一緒になるか、何時のタイミングで沈みかけた船より降りるか・・・政治家の個個はそれ以外に興味がないのであろう。

今回大いに話題を提供した二人の県知事であるが、これまでダーティーイメージの県知事職に国民のスポットを浴びせた意味で他の県知事から賛辞を得ているものと考える。

ここ数年で汚職による逮捕者が続出した地位でもある。利権の巣窟に欲望をむき出しにしてトップ自らが手を汚す県政に国民があきれ返っていたところでもあった。

ここで地方分権を財政支出削減の要と考え、中央集権体制による官僚主導のばらまきの無駄を批判、議員を削減し地区代表制にするなどの首長制も国民の賛同を得やすい事であろう。

その考え方自体に新鮮さは欠けるが、なによりも中央の官僚が指導する地域の実態を無視した無駄な支出を抑制する必要性はある!しかし、地方の懐事情も厳しさを増している。加えて不明瞭な使途金の存在もあるだろう。今後、官僚の反発も予想され改革は容易ではないであろう。過去の責任を棚上げし、組織替えをするだけで終わって欲しくないと考える。

さて、この二人が官僚主導の中央集権を批判することはかっての田中知事の主張に似て非なるところであると記憶する。これらの焼き直しについて鮮度があるからメディアも追いかける。マスコミが自然にひいきするから国民もその話題についてゆき理解を深める構図だ。

知事会は支持政党を公表しないと議決したが、政党のマニフェスト実施状況を評価する点につき今回新たに盛り込んだ様子だ。

そうであれば県知事のマニフェストであるが、お互いの県知事同士で評価しあうのはどうだろうか?ここは競争のルールを用いて県政のレベルアップを図る。あるいは議員からみた知事のマニフェストに対する評価も欲しい。こうした意見の理由として県知事の仕事は国民には分かりづらく、評価がいたって難しいからである。

やはりこんなことをブログに書いても仕方ないか・・・さあ、自分の仕事に戻ろう!

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違反はどっち?しかし裁くは人也。

「そこの車、右側に寄せ停車しなさい!」

後にいるパトカーからのようである。

耳に突き刺さるけたたましいサイレンの後に

無機質かつ高圧的口調がスピーカーから流れる。

和やかな風景を瞬く間に冷たい空気に制す。

ドライバーでなくとも、日常的とは言い難いこの露骨な命令口調に

周囲は心を凍てつかす。

「私か?」

まずはその気持ちになる。そのほうが楽、辺りを見回すよりまず観念する。

考えることより先に心の動揺を見せてはならぬとばかりに

最低限の自己保全を最大の優先事とする。

「例え捕らわれても私ならなんとかなる!」

なにせ違反歴20回以上、免停歴有りのキャリアが物を言う?

しかしこの日は私でなく、すぐ後方の車が停められた。

「至極、気の毒である。」

しかし、私ではなかったことに安堵する。

(ここは正直な話しだ。)

その後、何もなかったように平常時の運転に戻る。

事故なら別であるが、先の出来事などは完全に他人事と化す。

しばらく経つと忘却の彼方に消えてゆくことが普段であろう。

何故なら毎日、しつこいほどの違反現場とパトカーの追跡を路上で見かけるからである。

さて、話しを元に戻す。

路地を曲がり直ぐの所に予定していた訪問先があり停車する。

少し経つと私の車の後にパトカーと違反により停車を命じられた先刻の車が停まる。

パトカーより若い2人の警察官が降りてきて、違反したドライバーに駆け寄る。

「進入禁止違反か?スピードではあるまい・・・」

その現場を後にして訪問先に入り1分程で用事を終えて車に戻る。

すると、警察官に体を張って精一杯の抗議をしている小柄な中年男に再び目が留まる。

商用型バンに乗り、身なりも清潔である。一見で営業マンらしく思えた。

「だから・・・何回も言っているじゃないですか、電話なんかしていないですよ。」

体格の良い2人の警察官はこの小柄な男を仁王立ちで囲む。居丈高な態度である。

「それでは携帯の着信履歴を見せてもらっていいですか?」

「どうぞ見て下さい」

男は携帯電話を無造作に渡す。

「こうやって見るのです」

憮然とした表情であるが、しっかり事態を受け止めた堂々とした態度である。

(何も事情を知らなければ、警察の捜査に協力する善良なる市民か?と勘違いしたくなる。)

「ほら、○○からの電話が1時間前、私の最後の発信は30分前、これでわかったでしょ」

携帯電話を操作し、身振り手振りを交えつつ無実を叫ぶ男に対し警察官の一人が発した言葉に驚く。

「バッグの中を拝見させてください」

バッグに別の携帯電話を隠し持っているかもしれないとの推理か・・・

一体どこまで疑えばよい?

ここまで堂々とした男の態度に、2人の警察官は清々しさすら感じないらしい。

「重大犯罪でもないのに、まさかバッグの中身まで調べることはすまい。また、この男は応じないのではないか。」

私はそう考えた。

だが・・・事実は異なる方向へ進む。

「どうぞ見てやって下さい」

少し考えた後、男は厳しい視線を2人に送りつつ吐き捨てた。

それからの警察官であるが、最初は遠慮がちに次第に執拗に男のバッグに手を入れかき回していた。

目を疑いたくなる光景であった。また、端から見てその行為そのものが不潔で挙動不審に思えた。

別の携帯電話が見つからないことに焦り始めたのか・・・

その態度を読み取り、その後男が見せた態度は圧巻であった。

車のシート目掛けてエイヤと言わんばかりの勢いでバッグをひっくり返したのである。

何もそこまでして潔白を証明しなくとも・・・しかし、男の態度は真剣そのものであった。

この後、しばらくして警察官は何かを男に告げてその場所を離れる素振りを見せた。

男は無表情に警察官を見やりながらつぶやく。

「分かってくれればいいのです。」

時間の無駄をさぞや取り戻したいだろう。また、とてつもなく不愉快な気持ちでいるだろう。

男が実に気の毒に思えた。

またほんの数分前、この出来事を記憶から抹消しようとしていた自分を責めたい気分になる。

2人の警察官はお互いの顔を見合わせて暫くさえない表情を作った後、

車に散らかしたバッグの中の荷物をしまう男の背中に向け警察官が投げかけた言葉が耳から離れない。

「悪く思わないでください。車を停めることが我々の仕事なんで・・・」

「???」

緊急の際、瞬時に現場における行政の執行人として、また法を守る番人として

治安を守り続ける警察官。

時には命も省みず正義のために力を尽くす尊い仕事である。

その絶対的な権威は、民には常に、公正な判断を求められる立場にある。

危険回避のため交通ルールを遵守させる指導は必要であろう。

そのためルール違反した人を罰することも再発が多発するのであれば止む終えないであろう。

(自分も過去に散々お灸をすえられたことで、近頃ようやく大人しい運転をするようになった。)

だけど彼らも人の子、判断を誤ることがある。

犯人逮捕の権限や権威は言い換えると犯罪者、違反者として

簡単にレッテルを貼ることが出来る仕事ともいえよう。

いわゆる犯罪印(マーク)の総発売元である。

しかし権威を手にする彼らが万が一、無実な人間を追い込むことがあれば思わぬ悲劇につながる。

権力を行使する際に一瞬の判断が必要な場合もあろう。

こうした自信がなければ犯罪者を見逃してしまう。

また見逃せば更なる惨事を招きかねない。

しかし誤りがある場合・・・

その時に限り同じ市民の立場として考えて欲しい。

これから裁判に一般人が立ち会い審判する制度が始まる。

個人的にいえば先進国でアメリカと日本に限られる死刑制度をまず廃止してほしい。

それから後に一般人を審判に招致すればよいと考える。

裁く立場側に長くいると法制度の疲弊を感じることもあろう。

1つとして同じ犯罪はない。しかし過去のものと全く適応しない類の犯罪ではその都度、裁く側は与える罰則に困惑しなくてはなるまい。

だからといって国民をランダムに・・いやランダムだから良い!

この制度は審判する側と、私をはじめとするいつ審判されるかもしれない側の垣根を低くする意味で

賛成している。もともとはとてつもなく大きな壁が存在した。

勿論被告にならない限り?出席して意見を言いたい!

さて、今回私が目撃した国家権力の誤発動であるが、勿論そう滅多にあることではないだろう。

しかし、現実に目の当たりにすることになった。

こうした誤った判断を冷静に分析し、いかなる時も憲法の下で人権を擁護する訓練を国民としてつむ必要性を感じる。

それがもうすぐ始まる裁判員制度に意味を与えることになることと願う。

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連休と初めてのETC割引

一般的にゴールデンウイークと称される期間が昨日で終わった。

昨日といえば週半ばの水曜日にあたるが、ウイークの終わりとすることに何ら抵抗を感じない。

連休中は帰省のほか、各地の行楽地で賑わいをみせたと報じる。

この期間は突然の新型インフルエンザ感染の広がりに世界は緊張したが、あらかじめ海外旅行を予定していた人に影響はなかった様である。

このゴールデンウイーク、世界の金融マーケットは通常どおり営業していることを新聞で確認すると日本の国民的行事であることをあらためて知ることとなる。

さて、今回の休日で異常ともいえる道路の渋滞など話題を独占した?ETC割引について考えてみた。

その前に日本における高速道路の有料制度は世界でも稀であると知る。その理由は地価と地形にあるようだ。

日本の国土は約70%が山林、欧州の10%、アメリカの50%と比べいかにも平地が少なく、そのためトンネル工事や橋梁工事が多く高速道路を設置する建設コストが高い。加えてもともと少ない平野部は人口密集地帯により取得に必要な地価が高い。

だからといって天文学的な赤字を財政が抱えて良いとは国民の誰一人考えていない。

また、あの膨大な借金は今後、一体どうなる?などを考えれば、国民ならずとも官僚および政治家は心配しないではいられない気がする!

一般の会社であれば、多額の借金を抱えて夜も安らかに眠れないところであろうか・・・

ところで道路法人を評論家や作家が糾弾していたことは記憶に新しい。

加えて巨大政党の党首とゼネコンの癒着が発覚し未だ真相は霧の中にある。

これらの背景とは別に「大規模な財政政策は楽観的な広がりを見せる」とする米の心理経済学者を支持したかどうか・・・今回のETC割引制度が実施された。

IMFの試算した我が国の今年度の経済成長率はマイナス6.4%と先進国中最も悪い。内需を活性化する適正なる財投の分配に異論はないところである。

そこで登場した今回のETC割引は不況対策の財政出動における目玉商品でもある!

将来的にみて大きな財源を必要とするからにはその効果においては即効性と持続性を併せ持つ必要がある!!

生活防衛に走る国民が一斉にレジャーに向うかどうか甚だ疑問が残るが・・・この制度の効果は今回の連休においては存分に発揮されたようだ。

「人間は思考こそすれ行動こそ論理を象徴するものである。それゆえ誤った行動は慎み、また必要としないものは購入することはありえない。」

今回の政策はこの理性に尊厳を与える考え方に対して、社会的動物たる集団的真理を逆手に取ったやり口とみえる。

滑り出しこそは、あのETCバーの見事に開放した瞬間のように?好調の様相である。

しかし、景気が失速する手前あたりで発動出来なかったことが悔やまれる。

備えがないからそれを不況と呼ぶ!

だが、友好国のためには例え改憲してでも予算を捻出する法案を迅速かつ強引!に通過させる今の為政者は果たして国民に視線が向いているかどうか・・・大いに疑問が残るところである。

いずれにしてもこのETC制度割引を利用することとなるが、この期間中に小旅行に出かけた。

行き先は我住む街、広島から300キロ先にある高知県を選択する。愛すべき竜馬を訪ねての旅でもある。

道中に見かけた車に遠方から着いた車が多いことに驚嘆した。

東京をはじめ東北から鹿児島まで実に広範囲に、また、突出する地域もなく均等に並ぶ駐車場のナンバーを確認すると自分は一体何処に居るのであろうかとの不思議な気持ちに包まれる。

また、この割引制度が今回は実にインパクトがあったことを知ることとなる。

これまでは近県に出かけていた人が一気に遠距離まで足を伸ばしたことが顕著であった。好奇心を呼び起こし日本中を旅することで観光を資源とする地域が潤う。何かいいこと尽くめであるようだが、手放しで喜べない理由も少なくはない。

先の財源不足などが加速化し、この割引を将来の増税による景気浮揚の足かせにならぬかなど懸念してみた。

また道路行政にまつわる不明瞭な赤字が闇に消えていくことにならぬか懸念もある。

この制度は観光サービス業にこそメリットはあるが、高速道路のヘビーユーザーたる運輸業においては限定的である。そのため休み明けの荷物の到着が遅れるなど、関係者において被害の声が次第に広がりつつある。

加えて突然の制度の施行における端末機器を持たない人々の不公平感!

また、環境対策半ばにしてエネルギー効率の悪い車を駆って炭酸ガスを吐き散らす自然に対する仕打ちなどなど・・・環境面の問題も憂慮する。

また、クリーンエネルギーを誇る公共機関への影響は軽微とはいえないようだ。こちらは今後の進退すら心配でもある。

しかし、この制度自体は約20年前より大前研一氏などが景気刺激策として有効ではないかと語っていた。

また、浮上してきては財政問題などにより足並みが揃わなかったテーマでもあった。

いずれにしてもこの機会を利用して、山を分断し緑を伐採して作った普段はそれほど活用されていない道路を国民が大いに利用することになるであろう。

その際に立ったまま枯れ果てた木や、しばらく放置された倒木などを目にすることにより自然の発する警鐘を目の当たりにすることが出来る。その記憶こそが日本人の行動を大胆に変える事を今回のETC割引制度の副次的効果として期待する。

また市民ランナーの一人として考えることは月に一度、高速道路を車のない一日として使用させて欲しい!

ランナーが、歩行者が自由に散策できるようにする!

勿論、「走るプライバシー」と揶揄されるカードの保持はこの際必要としないこととする。

こうすれば一日分の排出ガス抑制につながり、割引時の増車分だけ相殺ができるのではないだろうか・・・

くどい様ではあるが今回のETC割引が初期の試算とおりであったか、また波及効果はどれ程であるかなどの数値公開が待たれる。良い政策と感じられぬ不公平感のある人のためにも是非、公開を急がれたい。

旅行中、駐車場で忙しそうに駆け回る女性スタッフに「儲かりますね~」とつい余計な言葉をかけたがその女性から「麻生さんのおかげです~」との言葉が返ってきたことに驚きを隠せなかった。

かくして世論は風のように移り変わり、人は入退場を繰り返す。責任をすべて次世代に生きる人に託して・・・いや、やはりこれではいけない。

最後に、高知の人はとにかく明るかった!この南国の県民性が究極のアウトレット、坂本竜馬を輩出したと土地柄であることを感じつつ、渋滞続きの旅を思い返した。

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豚インフルエンザの報道下で・・・

先日から被害の拡大とともに報道が激化したメキシコ発、豚インフルエンザである。

文明の利器より渡り鳥化?した人間が病原菌を伝播、先進国にも広がりを見せたことで大きな騒動に発展している。

先のニュースによると、我が国の厚生大臣は「この病原菌の拡大を防御するために人と金を惜しまず立ち向かう」とあった。

経済危機後のG20の共同声明でも聞いている心地がしたのはこの私だけであろうか・・・

さて、先進国ほどの医療設備がなく、感染病にも無防備なメキシコ人の間に犠牲が拡大していることに心が痛む。

「地球上で暮らす生き物は等しく生きる権利を持つ。また後の世代にも安心して暮らせる地球にすることが必要。

そのため壊れかけた地球環境を取り戻そう。」

(人類が望む地球にしようとするエゴも透けるが・・・エコはエゴともいえる)

環境をすさまじい勢いで破壊し続けた先進国の輩もようやく反省した。

また順調に見えた経済成長に急速にブレーキがかかると、今度は各々が目標を定めた環境維持に全力を挙げて努めるとのこと。ひとまずのコンセンサスを得たところは記憶に新しい。

しかし環境問題にも関わるが、人類が抱えるもっとも厳しい現実が食糧問題である。

世界には、生きることに最低限必要な1600キロカロリーすら摂取出来ず飢えに苦しむ多くの人々がいる。

またこのたびの世界同時不況により、こうした人々の食糧事情がさらに悪化、先進国の緊急かつ強力な支援なくしては

餓死者の増加は免れない事態にあると聴く。

1日を1ドル以下で生活する困窮者が世界には10億人、これをボトムビリオンと呼ぶらしい。

当事者ではない先進国の人が、優位な自らと区別(差別)するため名付け親になったことに間違えはないだろう。

この「ボトムビリオン」日本語訳で「底辺の10億人」

呼ぶ方も呼ばれる方も、お互いが正気であれば吐き気を催すほど残酷な呼称である。

ただ相手が気づかないから使用が許される差別用語を何気なしに使う例は日常にも多く、言葉を増殖させ使い捨てるマスコミ由来とはいえ、平素から使い方に気をつけたいところである。

これら危機に瀕する人々は産業革命以降の世界の繁栄から取り残された人々、そのうち年間で1500万人、一日に換算すると4万人が餓死しているのが世界の現実だ。まさに戦慄とともに驚嘆すべき数字ではないか・・・

地域で見るとアフリカなど後進国の一部に集中して久しいが、元々報道が少ないからつい見過ごす。また、日々に提供される新鮮な報道により過去の記憶が薄れてしまう。こうしたことは情報を受け入れる側にありがちなところである。

しかし身に降りかかる火の粉だけ払えばよいものではない。豚インフルエンザの報道の中でも餓死の危機に瀕する多くの人が食べ物と薬を求めている事は容易に想像できる。

今朝の新聞によるとインフルエンザによる不幸な死者が150人を超えた、と大きく報道があった。

しかし、WHOにおける豚インフルエンザの危険レベル判定のように数値化できないのが餓死であろう。

環境、経済や食料事情が原因で伝染している病にも思える。

その世界の餓死者4万人を増やさないための支援策は、マスコミからも為政者からも大きくは聞こえてこない。

現在の先進国は自国の繁栄のためだけに、同じ人類がたとえ餓死しようが構わないという野蛮なやり口で不幸な過去を歴史に刻んだ。

この重大な責任を忘れてはならない。

また、繁栄から取り残された国家と人々を、例え形式において開放したからとはいえ、その後のことは関知しないではすまされない。

さらに複雑になった理由だけを大きく伝えたい気持ちはあるだろうが・・・否、ここはとにかく緊急の人道支援である。 

(今回のブログは豚インフルエンザ対策を否定するものではない。)

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世界の紛争と不況について考える。

ガザ地区は、相変わらず双方の容赦ない攻撃により市民の犠牲者が増え続けている。

国連調停が勢いづくのは、オバマ政権発足後に期待してよいものか?

やはりアメリカ新政権による調停への強い指示の姿勢と、軸足を変えた新しい調停案なくしてはこの紛争解決はありえない。早急に互いの政権を認め合い、軍事介入を自重させなければ戦禍は収まるどころか拡大の一途をたどるものと懸念する。

この地区の紛争は現在、戦禍の拡大に応じて日々報道されることより世界の耳目を集めるが、「昨年起きた国家紛争において大きく報道されなかったニュース」の見出しで、NEWS WEEK誌が編集していた。

この記事より少し抜粋する。

「アフガニスタンに派遣しているアメリカ軍は、2008年度は過去最大規模の4万人に昇る。」

この規模は内紛でなく、すでに戦争状態にあるとの見方を軍事評論家および同メディアは指摘する。我が国においてはこの報道に関して、メディアから大きく取り上げられることはなかった。

むしろ隣国イランの核兵器開発問題の報道が余程大きく取り上げられていた感がある!西側同士の暗黙の了解?協定??いずれにせよ偏重報道に対抗するには、立場の異なる国のメディアからも等しく情報を入手する以外に方法はあるまい。

次には、同一言語を語りながらも長く殺戮を繰り返すツチ族とフツ族の紛争は、ウガンダからスーダン、コンゴに広がり、この10年間で一般人死者だけでも500万人を下回らぬとのレポートだ。500万人の死者・・・・あの、史上稀に見る残虐な殺戮、恐るべきナチの集団虐殺でも400万人の犠牲というが・・・ 絶句。また憂うべくは今もなお戦禍は収まりきらずにいるとの事実。

いずれにせよ、この地球上に今尚続く人類同士の殺戮を、一体人間以外の誰が止められるというのであろうか?この当たり前について、今更に考えてみる必要がある!

民族抗争、領土侵害、不平等条約の締結、負の遺産を引き継ぐ政府の存在など・・・未解決な理由は紛争の数ほど存在することであろう。

また過去の帝国主義の侵略における国家単位の富の搾取や人権剥奪が、いまだに禍根を残し現在に至る事実。これらの認識は、正しい未来を迎える意味でも必要なものと考える。

この他、紛争の渦中にある国々に加え、近代の繁栄から不幸(この二元的判断は断定ではなく問題提議!)にも取り残された貧困な国々では、流行病や飢餓による死者が一向に減る気配がないと聴く。殺戮と同様に人類の脅威といえる。これらも今後の人類の幸福と平和への足かせになるものではないかと憂慮する。

また、この度生じた世界同時不況については、こうした疲弊し、貧困状態にある国々とその国民をさらに奈落の底に突き落としかねない。クーデターによるタカ派政権の誕生、暴動の多発など、一般市民を暴力に巻き込む危険性がはらむからである。現在、世界では1日1ドル以下で暮らす人が10億人いるという。こうした国々の困窮した人々への支援はNGOやユニセフなどの国連中心の活動だが、その寄付金自体が減少しかねないからだ。

また、これらの貧しい国をも蝕む環境破壊は、ますます食糧事情の悪化に追い討ちをかける。これより「環境を守る!地球再生」などをスローガンに、先進国が経済効果を掲げながらも国策として行なうプロジェクトであるが、この議題そのものは必要に迫られていることは凡そ分かる。また、大いに大義はある!

しかし、そもそもこれらは自然の方から求めたわけではないことを先に理解することが大切!!勝手に環境を破壊し、また資源を爆食しておいた挙句、これからは低炭素化やエコロジーでいきましよう!と拍手喝采では、無力なるがままに破壊された地球に疑念を抱かず暮らす、近代化の恩恵を全く受けなかった人々にたいしてあまりにも無責任。また恥さらしも甚だしい。

否、ここは自ら壊した自然環境を今度は保護することをビジネスとする先進国のしたたかさを誉めるべきか?ビルド&スクラップ??

いずれにせよ、一斉に盛り上がる議題はすべからくムードが先行しがちである。

それゆえ個々に冷静な分析が必要と考える。

話は大いに脱線したが、ここは世界同時不況下である。

夏の日に突然のスコールが襲ったとする。化石燃料をたっぷり使用し、安価な労働力を求めた資本家により生み出されたスーツを身にまとう先進国のリッチな人がずぶ濡れになった。ゆえにこの人から先に救済するのではなく、過去の史実をあらためて座視し、不幸にも戦禍にある国の人々。または戦闘と貧困に晒され、明日の生死すら保証の無い国々にある不幸な人々への人道的援助政策を、自国の民の困窮とあわせ考える必要を各国の首脳および行動をともなう学識研究者に望む。

また、そうした議論が活発化するようメディアに切に望む。

我が国の国民は、意味もそこそこにしか分からぬ英語の優れた演説ばかりに熱を上げてる場合ではない!地球は地図にすると平面だが、正体は丸い球状だ。

自分が住むことに都合の良い場所だけ存在を認め、また、それを世界と呼ぶことはやめよう。

心地の良い情報ばかりに酔いしれると、必ず偏狭的視野に陥り過ちを犯す。現在の状態はそれに似る??

昼があれば夜の場所もあると、もっと立体的に我々の世界を考える時期がようやく到来した。。

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2009年スタート。報道と戦争について考えたこと。

今年も早いもので?9日が過ぎた。その間起きた出来事を思い起こすと、不思議なことに明るい話題がどうしても思い浮かばない。

実際は報道されたはずであるが、印象が薄いのであろうか・・・

しかし、現在の状況ではメディアは明るい報道をすることに意義すら見出さずにいる様子。連日伝わるメッセージは悲観論一色の不況実況生中継!おまけに先行きが見えないと連呼する不安増大キャンペーン!には恐れ入る。(そろそろメディアも飽きる頃であろうが?!)

またコメントしやすい話題にはその都度、街角インタビューならぬ市民の声とやらが登場。この街角の声、度々顔と姿は変われど我々の予想する答えと大きくかけ離れることはない。

要するにこれらの回答は、突然マイクを突きつけられたことにより瞬時に発する模範回答。半ば無理矢理発言を強いられた、作られた声としか聞こえてこない。(質問に誘導的な問いかけが多々あることに不自然さを感じるのは私だけであろうか?)

ここら辺りは、世論を方向付けする手練手管にたけたマスコミのお家芸ともいえるのではないか。

誠に恐るべきは実相と仮装の世界が入り混じる現代文化。

世論を正論と信じることは思考停止の状態にあるか、またはそう願うことが楽で仕方が無いかと自らを疑う必要性を感じる。

そもそも世論と呼ぶもの、一人前の道徳観を持ち社会的責任のある人がまずは語らないフレーズである。

また、事後の一切の責任を負うからと、世論を支持するように不特定多数の民に働きかける語りはそもそもが怪しい。また、そう考えた方が賢明である。その証拠に世論の存在理由が消滅したと同時に多くの人は醒める。その後は一斉に、先まで同じ立場にいた人を懐疑の目により見つめはじめる。やがて忘却の彼方に強制的に放棄するほかに道は残されない。

この世とは時が移りゆくことで森羅万象の全てが変化する場所。

人は時代の空気からはいつでも不自由にあるが、その空気ばかりにあまり捉われ過ぎてはいけないというところか・・・

不変の真理を語る人が目の前にいなければ、自らが真理を探究しつづける以外に心が安堵できまい。

さて冒頭にもどるが、今年最悪のニュースとは、やはり700人を超える一般市民の犠牲者を出した中東における武力紛争であろう。

日本のメディアは今回のカザ地区におけるハマスとイスラエルとの武力紛争こそ、さらに詳しく状況を報じるべきだ!!情報が少なすぎることに度々苛立ちを覚える。

しかし、本来は戦争に無縁であるはずの市民、中でも未来の象徴でもある子供たちが次々に戦火の犠牲になる報道に、度々胸を痛める。

いつ何時、ロケット弾が飛来するか分からぬ中での生活・・・その恐怖は想像を絶する。

それがこの時、この地球上で起きている。対岸の火事と見過ごすわけにはいかぬ。

「武力は武力により滅ぼされる」と歴史は語るが、この場は組織化された金と武力の矛先をまずは抑えることが肝要。次にお互いの民族の恒久平和を約束した後、仲介人は過去の負の清算に対してお互いが少しでも前向きになるように高い見地より譲歩を引き出す。これらを対話を重ねることで実現してほしいと切に願う。

が・・そこに難しさがあるのも事実である。

しかし、ここは緊急を要する。もうこれ以上、血で血を洗うことはやめろ!

イスラエルと蜜月関係を持つ超大国アメリカに仲介を望めないなら、エジプトとフランスの大統領に加えて我が国の特使は、国連主導のもとで一日でも早い停戦を試みるべきだ。国際法でも禁じる、集団による無差別殺人を断固としてやめさせなければなるまい。

イスラエルとハマスの両指導者には、このメッセージを伝えたい。

「人はただ愛によってのみ憎しみを超えられる。人は憎しみによって憎しみを超えられない。」

仏教国であるスリランカは第二次世界大戦における日本の戦争責任について、サンフランシスコ講和条約において自国の見解を述べた有名な言葉である。(仏教の「法句経」を引用してある。)

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店長が名ばかりの管理職?

大手外食チェーンの元店長が、訴訟まで起こし遡っての残業代を請求。裁判により残業代の支払いを命じられた会社は、今後、店長職の名称の見直し、仕事内容、および給与体系の変更、労働環境をモニタリングする目的での管理機構の設立などを公表した。

これらの方針の発表を受けたメディアの多くのコメントは、企業はイメージを損なわず世論の批判をかわせる範囲に収めるだけを目的とし、本題である給与および待遇面の改善については解決に至らず問題を先送りにしたにすぎないと伝えた。

属さない会社への経営批判としては、甚だ余計なお世話のように感じたが、たしかそんな内容であった。

その記事を読み、思わずこの記事を書く人と、それを読む人について考えた。

勿論、書く人は会社を維持、運営する立場の人ではあるまい。読む人の大半を被使用人と想定。その人達に向けて、同意を得るための工夫を施したメッセージを送る。そんな狡猾さをマスコミに感じた。不祥事で老舗企業が倒産することを、当然の報いであるとだけ評論することにあまりも酷似する。

新聞、テレビの報道はいつでもキャンペーン。世論の支持が記者の最大の関心事。

良い記事とは商売でいえば儲けのネタ。視聴率や購読数を要求されるマスコミは、自分が発掘し、発信するニュースを、世論の関心事と重なるか否かが大事。要するに記事が一般大衆に受けることが重要。Y興行のコメディアンよろしくだ。

だから・・事実を歪曲させることもしばしばある。その証拠にかって続いた捏造報道などがある。(ここのところ鳴りを潜めているのは、現場が綱紀粛正に努めているのでなく、その記事自体に鮮度が薄いからであろう)

しかし、ここは冷静に考えたい。

今回スケープゴートとなった大手外食チェーンの問題を取りざたする気はさらさらない。(食事のお世話になることがしばしばあるから?!)

この企業、人員の管理方法と食品の製造方法について、25.000以上のマニュアルを数えると聞く。

傍からは実に窮屈に思えるが、それに加えて今後は造反?店長の扱い方なるマニュアルが1つや2つ加わる程度であろう。(従順な社員であれば、他に方法がいくらでもあるはず)

むしろこの問題、社会全体が1つの方向性に傾くことが怖い。

例をあげれば格差社会。

この言葉を他人に対して自分の声で発したと時、それと同時に社会的にも道徳的にも、この言葉そのものに責任を持つ。あるいは言葉の持つ印象以外の感覚を、自らの思考で捉えることが大人としてふさわしく考える。しかし実際は、むしろ責任を放棄したつもりになる人が多い気がする。(本当に弱いと自覚する人は、周囲にこの言葉を語らないと思う)

すべては他人事?いや、自分達が理想として何を掲げ、何が出来るかを考えることがコミュニティー。唯一、動物と一線を画すところのはず!

他人の悩み事を、ただ面白可笑しく聞いて、自分に降りかかりそうな不安であれば、首を突っ込み話の中に割って入る。

その結果として、社会全体が本来あるべき自由闊達な意見を妨げる風潮となる。

理想は他人の権利を迫害せず、平和に全ての人と(人種、考え方を含む)共存する社会。違う考え方でも尊重できるリベラルなコミュニティー作りを尊ぶ。

現在の立場が強い、弱い・・・そんなことだけが問題ではない。

現在はどうやら、これらの観点にだけ偏りすぎている気がする。近視眼的だ!

だから仕事は何よりも報酬(お金)が優先する!

この論理が絶対の命題とすると、その価値観はお金から逸脱できぬ。

世に拝金主義だけがはびこる。

つまりは労働の本質や本人のやる気。はたまた人生においての仕事の意義。全てはお金が代償とするとの価値観の呪縛から一切が逃れられなくなる。

(諭吉様申し訳在りません!)

何はともあれ、いかなる残業代をも支払うべきとの論理とはいささか危険である。

(完全否定ではありません、悪しからず)

またこの議題の本質を問わず、降って沸いた話にただ乗りだけを考えるとすれば・・・

規模に関わらず会社には賃金規定、社員規則がある。(会社の登記に必要)

また、すべての会社には創業者の志と企業理念が存在する。

(創業者がいなければその会社は存在しないはず。)

それらの理念を理解した上で、会社の仲間入りを果たしたのではないだろうか??

現在の世論と迎合?する心地の好いムードに安住したいためだけに、会社を窮地に陥れることを考えていないか?

企業は社会の構成員として道徳心が必要なことはいうまでもない。

言い換えると、会社にも健全なモラルを持つ社員(構成員)が必要ということだ。

一部の企業の店長が名ばかりの管理職との報道により、世間の店長の大半が、職業としての店長たるプライドを傷つけられたことを、まずは考えたくなくとも想像してみたい。

私の知人で店長を生きがいとし、またその店長を目標とする人間が多数いることをあえて伝えたい。

この事例は、店長という職業名と、それに従事する人の名誉を著しく汚したことも長く記憶にとどめるべきであろう。

他人を強制的にコントロールすることで、アイデンティティーを保とうとする擬似インテリに追従することなく、自分の価値観で仕事を捉え、いつも仕事に対して感謝の気持ちを忘れない。疑問があればその場で直ぐに解決する。決して周囲を巻き込まない。

今回の店長にはこんなことを考えさせられた。

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隣国の惨状を憂う。

先日起きたミャンマーのサイクロン。中国四川省北部を中心に発生した大地震。

いずれも数万人に及ぶ死者を出した大惨事である。

災害はある日突然、平和に平凡に暮らすごく普通の人々を襲う。

完膚なきまで容赦なく叩きのめす。

災害に遭遇した人々は、その日を境に人生が一変する。

子供、親族、友人などを失う悲しみは、耐え難いものである。

それに加え家屋や財産、職業すらも失うこともある。

その内の一つでも耐え難い苦しみである。それが同時に襲いかかるとすれば、天を怨み、心底自分の運命すら呪いたくもなる。やり場のない憤りが心を襲う。

災害はあまりにも人間にとって過酷なものである。

いくら想像力を働かしても、当事者の気持ちを全てに汲み取ることはできまい。

忌々しい災害から生還した人が心の傷を癒し、以前の暮らし向きまで戻るまで、相当なる時間と周囲の支えが必要であろう。

人それぞれに、絶望の淵から一条の希望の光を見つける。そのためには乗り越えなければならない苦しみに耐え抜く力が必要である。

隣国の目に余る惨状に、今回こそ被害のなかった我々、日本人の一人一人が、救済できることは一体、何であるかを考える必要がある。

ミャンマーの現在は政情が不安定である。それゆえ援助は金銭よりも身の回りの物資が良いと思う。軍事政権に横領されるなど考えては救済は何ひとつできない。横領できないものは善意。それと物資を合わせて送る以外には、今は手立てがないと割り切る他あるまい。

(真偽は定かでないが、かって日本でも虐待を受けた犬の救済を申し出た非営利団体が献金横領で疑われたではないか・・・この手の話は疑えば切りがない!)

中国はお金、物資のいずれでも良いと考える。その代わりしっかりとしたボランティア団体に託す方が良い。

弱い人をまず直撃するのが災害。(不況も同じではあるが・・・)

他人の心の痛みを分かち合う慈悲心と、利害関係が唯一支配する国家関係については、全く別ものと考えるべきだ。

日本人には弱い国、不幸な人達を思いやる慈悲心があるはずだ!

しかし今後の災害報道は、情報に新鮮味が薄れるという理由で、次第に減少させていくことに間違えはあるまい。

(情報伝達が過去と比べ格段発達した現代では仕方がないところもあるが、批判を浴びても仕方のないほど過剰に報道する無意味なニュースなどは、マスコミの視聴率至上主義と重なるものと考える)

これからも被災地で苦しむ人々の声の多くは我々には届かない。

それゆえに苦しい事情を理解し、隣国を襲った災害を含め、政情不安や災害で苦しむ人々に手を差し伸べることを絶えず忘れない。今後もそのような日本人でなければならないと考えた。自国に不平ばかりを唱えている自分に反省しつつ・・・

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2007年のサンタクロースに望むこと!

今日はクリスマスイブ。

街中はイルミネーションで飾り立てられ、何が模範かよくわからないが、幻想的(現代的?)風景をかもし出す。久しぶりに開いた市の買出しを終えた様に、人々は大きな包みを提げながら人で混み合う師走の街を行き交う。

今が旬よ!と近年,定番化した音楽が執拗までに耳に入り、マスコミはまるで大災害を報道するかのようにフェステバルに沸く人々の様子だけ騒然と写す。

クリスマス。もともとは教会と信者による宗教的儀式(祭典)

この文化が日本の大衆文化に定着した背景には、欧米の豊かな物質文明に対する憧憬があったことだろう。

今、我が国は欧米並みの物質文明を謳歌できるほどになり、その繁栄を象徴するかのごとく、この祭りは過激さを増している!!

バブル期や景気回復期など、この日を、これ見よがしに贅沢三昧する日本人の姿が度々放映された。経済の発展に伴い、商業的意義の重要性が増した。それに伴い宗教的な意義を問うことすら少なくなった。

この文化に対する日本人の精神的解釈はどうだろう??

(勿論、信者を除くが) 2000年の歴史を抱える欧米の宗教的儀式の完全模倣を目的化しているにすぎないのではないか??

精神的思考の支柱をもたぬ擬似行為は、後世の世にまで誤解をもたらすに違いないであろう!

そもそも、愛する人にだけプレゼント(物資)を送り、また送り返される行為を神が推奨しているとは思えない。

この日ばかりは家族を省みようなど語る、本日づけのA新聞の表紙を飾る看板エッセイなどは、とてもいただけない。

この一日の意義を訪れた今日、無理矢理、しかも場当たり的に解釈しようとしても土台は無理な話!

せめて懸命に考えようとするなら、この日はキリストと同じく、人類の幸福を考えるべし。

史上最悪の人道危機、残酷な殺戮が今なお続くスーダン、ダルフール問題は今こうしている間にも罪のない子供や女性が銃弾により倒れている。

内紛が多発するイラクの国民の生活、洪水により多くの人が犠牲になり、なおも治まる気配すらない世界で一番貧しい国、バングラディシュの人々。

皆、同じ時代に同じ空気を吸って生きている!

唯一平等であるはず?の空気の質について責任すら持たないと言っているのは、あの超巨大国!今日一日、とても幸せに暮らしている様子だ。(少なくとも前述の国々よりは・・・)

我が家では今日、そんな話をしてクリスマスの日を迎えよう!

親父なんてきっとサンタさん来ないよ~ って言われるだけだが・・・

このままこの外来文化の上辺だけを、我が子に教えるわけはいかない。

宗教的には異なるが、この日をクリスマスとして迎えるためにキリストの善行を心に刻み、人類の共存と平和を希求する日としよう!

そして子供に教えつつ自分を戒める。

キリスト同様、他人の苦しみを我がことのように考え、多くの人に愛を惜しみなく与える人になれますように!

そして、多くの人々が自分の家族を大切にし、贈り物をする気持ちを人類に向ける。人類皆サンタと化す。世の中は善意の贈り物で溢れる。しかしクリスマスを飾るだけの仰々しい包装紙は必要在りませんヨ!

すべて今年のお歳暮のように簡易包装で構わないからね!!

本日ブログを書き終えた後、何気なくテレビをつけると、日本人がフィンランドのサンタと称する人に会う設定で、その実況中継を放映していた。そこで敬虔な信者のコメントを聞き、今回のブログ内容の中で、クリスマスに対する認識に不足があったことに気づいた。それは、「信者はイブ、もしくはイエス生誕日である25日には、家族以外の人と連絡すら自重し、ひたすら家族といる時間を大切にする」との内容であった。著者の認識不足をお詫びすると同時に、この日の宗教的な重みについて改めて認識することになったことをここに追記する。

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日本人が日本人を欺く!

今年もあとわずか。1年間を象徴する言葉が「偽」だそうだ。

食品偽装、粉飾決済、官僚汚職、耐震偽装、性能偽表示に

とどのつまりが年金問題・・・   枚挙に暇がない。

日本人が日本人を欺く。そこには連綿と続く民族の誇りのかけらもない。競争社会の中、我欲を向きだしにして、ただ利己心のために平気で不正を繰り返す。他人など見向きもしない。受益者はいつでも自分の居る側。これが常態化すると自らを疑う作業すら忘れる。

連日の報道によると、業務だけにとどまらず、とるべき責任まで分業化?する、職を保障された役人、内容はともあれ人数が自慢の大企業、創業者の血の滲む苦労のかけらもしらぬボンクラの経営する老舗企業に多い。

これらに従事した側の論理として、長期におよんだ不景気で安定しない雇用のため、不正を修正する正義感や正しい判断を思考する判断力を失ったこともあろう。

民間企業は不況の中、経営の効率化が至上命題との掛け声むなしく、その実態は顧客をあざ笑うかのごとく目を覆いたくなるばかりの悪態。

役人は窓口から本当に困った国民に視線を送ることすらなく、組織の中での地位と、自らの退職後の職探しに躍起となり、ただ自己保身に努め、本来の職務から離れることを常軌とする。

ベストセラーの本ではないが、「日本人の矜持」は何処に?

他人に施す良きことは周囲に幸福をもたらす。それだけでも自ら幸せな気持ちになれる。

足ることを知り、困った人がいたら自然に手を差し伸べる。

間違ったことはしないし、押し付けない。

当たり前のことができれば、この国はきっと良くなる!

不安を増幅するだけで、解決策を何一つ提示できないメディア(マスコミ)に同調してはいけない!

また、マスコミの受け売りたる価値観だけで行動することも慎む必要がある!!

物質文明のもたらした恩恵は人々の暮らし向きを大きく向上させた。欲しい物はいくらでもある、お金をだせば手に入る。

無論、このことは自然環境の悪化や国家間の不公平を増長させた問題をはらむ。

自らの欲望にまかせ、高度に発達した物質文明のもと、この拝金主義に陥れば、欲望を向きだしの輩の格好の餌食となるにきまってる。

なぜか?ベクトルが一緒だから・・・

物質の豊かさに比例した心の持ち方ができなければ、全ての消費を慎むべきだろう。

腹が減らないのに欲望のまま美食するからメタボになる!

生きるために食べるのであり、食べるために生きることをやめればよい!ただそれだけの話である。

欲望を否定する訳ではなく、むしろ精神の向上性を阻害する活動を自粛すれば良い。

日本人の歴史や先祖のメッセージに耳を傾けると、この国の人々が一番幸せであったのは一体いつの時期だったろう・・・

移り変わる四季折々の自然を愉しみ、それぞれの仕事を誇らしげにこなし、今よりずっと短い人生の中、それでも限られた時間を贅沢に使う。(文化人の残した書物からの印象に過ぎぬが・・・)

人々は未発達なコミュニケーション文化と、過去の先祖と真剣に対話して日本人の心を育んできた。

その誇り高き日本人たるメッセージはメディアからは聴かれない!

きっと今感じている日本人それぞれのストレスの数ほど過去からのメッセージがあるはずだ!!

その声が一つに高まればきっと力になる。

真剣に考える時期がきっと来る。

手遅れになる前にやらねば・・・

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選挙に行く心構え その2

いよいよ明日は参議院選挙の投票日である。

与野党の逆転なるか!国民の審判を仰ぐ1日。

などは世論を無責任に(責任をとる必要がない?)

扇動する一大勢力たるマスコミにお任せしよう。

しかし、メディアの情報をによると、

呆れる他ない政府高官の続けざまの失態。

まさに李下に冠を正さず!である。

国民に政治不信は募るばかり。

政治腐敗の影響も多いにあることだろう。

世相を映す反社会的な行為が度々横行する。

しかもとどまることを知らない。

この国の行方は一体??

嘆きだけでは何も変わらない。

政治には浄化作用がある。

過去にも腐敗と浄化を繰り返してきた。

では我々国民はどうすればよいか?

まずは選挙にいこう!

選挙に行かない人は、現在の政権に対する

ネガティブな支持者と強く認識すべきである!!

次に参政権たる権利を得た憲法について考える。

(実は先日、約20年ぶりに103条の条項すべてを

読み返したばかりである。)

憲法により、全ての国民に人身、精神、経済の自由

などの基本的人権は保障される。

それにともない国政を担う公務員の選定、罷免

の権利を持つ。

この権利は国民固有の権利であると15条で記される。

ゆえにこの権利を行使しない手はない。

どれほどまで苦労して先人がこの権利を獲得した

ことであろうか。

まさに他人に依存するべきものでない

個人の大切な権利である。

次に、憲法と法律と司法を解釈すると・・・

憲法とは、国民が現在の政権(政治家)に対し

遵守を促す不侵犯な約束事。

次に法律は政権(政治家)が国民を統治

しやすいように作る国民に対する指示書(規則書)。

そして司法により、憲法と法律が対立した場合に

この法律は、はたして憲法違反か否かなどを

見極める。いわゆるアンパイヤである。

我が国は法治主義たる法治国家。

ゆえにすべての審判は法廷にて執り行われる。

政治家(政権)も憲法違反は断じて許されない。

そのため政治家は憲法を改正したがる傾向にある。

また、作り変えることに使命感を持つ困った輩もいる。

これらは時代を検証することなく、今ある国同士の

利害関係重視する近視眼的な傾向が強い。

そして政党を作り、力の論理で少数意見を

封じ込める。

そこにイデオロギーがあろうとなかろうと・・・

とにもかくにも徒党を組む!

まさに最近の憲法改正における拙速な法改正

などが如実に物語る。

しかし政治家を選出するのは他でもない。

(前に戻るが)主権をもつ我々国民である

憲法で主権在民と謳う国の面目にかけても、

公共の福祉にかなう、正しい考え方を持つ人

選ぼうではないか!

子供の頃読んだ本で「罪と罰」の中にこんな

言葉があった。

礼儀正しい人間は退屈する義務がある。

一体、そんなに呑気でいられますか??

膨れ上がる財政赤字で今後の大増税は

避けて通れない。

また、少子化により、2011年からは100万強の

単位で人が減る国の地方行政は?

老人福祉は?若年労働者の人手不足は?

また年金は?

(データでは、和歌山県の人口程度が毎年減少!)

世界に類のない戦争放棄、戦力不保持、

交戦権の否認を謳う憲法9条の行方は??

トーマスホッブスが次なる警鐘を与えてます。

究極の自由は各人が自己生存のために

何でもする自由。国家とは人民が自由を

放棄した状態である。

先生よ!なんだか寒すぎると・です!!

(何故かヒロシ調で)

だけどそれでも選挙に行く自由は放棄しません。

たとえ真の自由と呼べる代物でなくとも・・・

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選挙に行く心構え その1

年を重ねるほど小欲が心を支配する。

必要以上に富をむさぼる欲、自分の力以上に

認められようとする欲、見返りを期待する欲

揚句には消滅してまでも何かを残そうとする欲

まさに足ることを知らない。

このため他人との諍いも絶えない。

恥ずかしさも覚えず自分の欲求を満たす。

そのことだけに心を奪われるとやがては

他人を思いやる気持すら失う。

何人も、知識、経験を重ねると同時に

着実に重たい荷物を身に着けていくようだ。

垢がたまる。

そのため顔も年齢と同じく加齢する。

欲望の数だけしわを刻み、それが顔をゆがめる。

醜い顔に見える人は、世俗まみれの欲に魂を

売り渡したからか・・・(容姿の意味ではない)

加齢するほど顔や表情にますます人生がにじむ。

ただ自然が良い。心が清ければ、歳を重ねるほど

気品の漂う顔と表情になるはずだ。

素晴らしい年輪と感じられることもあろう。

そして人生最後の日までその顔で通せることが幸せ。

垢がたまれば洗い流すことが自然。

心が決まれば得ることも失うこともない。

運命と人生が一体を得る。

このように自然な顔と表情をもつ人を

人生の達人と呼びたい。

お金がある、力がある、キャリアがある、

この程度のことでめがねを掛け直すことなく

同じ街にすむ住人として、人前にでて代表と

なる人を見極めようではないか!

そう、7月29日は参議院選挙

マスコミと政治家により扇動された世論作りに

耳を貸し、甚だイデオロギー乏しい政策に加え、

メンバーの入れ替えは自由!数あわせを主目的

とする現在の政党政治。

これらを連呼するだけの人が本当に必要なのか・・・

(三文役者より、文芸座や吉本のほうが立派にこなすぞ!)

そうだ!むしろ欲の少ない候補人を選ぼう。

本気で窮状する弱者の痛みと真剣に向き合える人。

独り権力者の中に在り、自由と平和を妨げる勢力、

不正の温床たる政党が絡む団体に警鐘を鳴らし、

現代の政治に染まらず、絶えず国民の目線により

国民を見続ける。

小欲でなく、世直しをするんだと大いなる意志に

燃える大欲のある人を選びたい!!

選挙中に目立つ人、政党の将来ばかり気にする人

はやめよう!

しかし選択のため費やす時間は決して多くない。

だからポスターにより度々候補者の顔を確認

することとなる。

理想は・・

心を写す顔そのものに、曇りがなく、選挙でも、

家庭と同じ顔で変わらぬ言葉を語る。

いつでもどこでも誰とでも、同じ穏やかな

顔をしている。

そんな人が愚直に一つのことを語り続ける。

ただ一言だけでよい。

この国と、それ以上にこの地球に暮らす人々に

これ以上の迷惑をかけません。・・・と。 

例年どおり選挙に行きます!

結果を問わず、断じて無私の心にだけ、票を投じます。

また、いつものように自分の名前は書きません!

(すみません、これが私の公約ですが違反した場合、

必ず顔に出ます。悪しからず! 笑)

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